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30_偽りの恋心

 

 懲罰房に着いたペリューシアは、セドリックとネロの会話の一部始終を聞いてしまった。


『いいや。好きでもない女からの好意なんて、気持ち悪いだけだったよ。ペリューシアはなんの取り柄もなく、容姿もぱっとしない。作ってくる菓子はいつも不味かった。ペリューシアのことを好きになるような男はいないだろうね』


 そこで初めて、セドリックの赤裸々な本心を知ってしまった。だが、ひどい人だと思ったものの、驚きはしなかった。自分が愛されていないことも、利用されているということも、軽く見られていることも知っていたことだ。

 ずきずきと鈍く痛む胸を抑えながら自分を宥める。


(もうとっくに気づいていたことじゃない。傷ついている暇なんてない。今は、ネロを助けなくては)


 この危機を脱するための方法に思案を巡らせる。

 ネロはセドリックに尋問されて、体中傷だらけだった。あまりに痛々しい様子で、もっと早く助けに来ていればという自責の念に項垂れる。

 ペリューシアはネロのことを庇うようにして抱き、セドリックに言う。


「この人のことは傷つけないで。彼はわたくしの、その……『男娼』ですの! 彼を寝室に招いたのは、他でもないわたくしですわ」

「「男娼」」


 セドリックだけではなく、ネロもぎょっとした様子で復唱する。


 先ほどの会話から分かったことだが、セドリックは入れ替え天秤が使用されたことを知っており、ペリューシアの中にロレッタがいると思い込んでいる。これをうまく利用すれば、ネロを解放できるかもしれない。


「この少年は僕たちの秘密を知っている。こんな怪しい友達なら、ただで返すわけにはいかない」

「殺すおつもりなの……?」

「場合によっては」


 セドリックの口元に氷のような笑顔が掠め、背筋がぞわぞわと粟立つ。


(セドリック様が、こんなにも冷酷な方だったなんて……。『僕たちの秘密』ってつまり、入れ替え天秤と惚れ香水のことよね)


 ペリューシアは先ほど、セドリックが古代魔道具を使ってペリューシアの心を操っていたことも盗み聞きした。


(わたくしの恋は最初から何もかも――偽物だった)


 正直まだ、気持ちが追いついていかない。セドリックに恋い焦がれ、愛のない結婚を受け入れてまで彼の希望を叶えようとしたのは、魔術の力によるものだったのだ。これまでの時間の全てを否定されたような感じ。


 唇をきゅっと引き結び、ざわつく心はどうにか落ち着かせ、まずは説得を試みる。


「大丈夫ですわ。秘密は決して外に漏らさないよう……わたくしが口止めしておきますから。ですからこの辺りで、ご容赦いただけませんか」

「君も、知っていたのかい? 僕も古代魔道具を使っていたこと」

「え、ええ」


 知ったのはついさっきだが、話を合わせておくことにし、わずかに目をさまよわせながら頷いた。すると彼は、はぁと大きくため息を漏らす。


「……次期公爵夫人として、軽率な行動を控えろと何度言ったら分かるんだい? ……今回の件、誕生日パーティーが終わったらじっくり話し合わせてもらうからね」

「分かりましたわ」


 セドリックの敵意や怒りが収まったように感じて、ペリューシアはほっと安堵する。ペリューシアはネロの後ろに回ってしゃがみ込み、彼の手首を縛る縄を解きかけた。


 しかしそのとき、ペリューシアの首に冷たいものが触れ、地を這うような低い囁きが、耳に直接注がれる。


「――そうはさせないわよ」

「!」


 聞き馴染みのあるその声は、姉のロレッタだった。そして、彼女は背後に立ち、ペリューシアの首に短剣の刃を添えていた。


「……っ」


 首筋に触れる金属の冷たさに、ペリューシアは息を詰める。ロレッタがこのまま力を入れて刃を後ろに引いたのなら、ペリューシアの血がほとばしることになるだろう。

 異変に気づいて振り向いたネロは、刃を突きつけられたペリューシアを見て、真っ青になりながらロレッタに訴える。


「やめろ! そいつに手を出すな!」


 ロレッタに後ろから拘束されたまま、ゆっくりと後退させられる。ペリューシアは彼女のことを興奮させないように、されるがままでいるしかなかった。

 そして、その様子を見たセドリックが困惑している。


「どうして君がここに……。これは一体、どういうことだ?」

「分からない!? 入れ替わりが戻ったのよ! たった今、あなたが話していたのは、正真正銘のペリューシアなの……っ! この子の嘘に騙されるなんて、あなたも落ちたものね」

「……!」

「古代魔道具を管理していた男が言っていたわ。王家は赤い目をした人間に、紛失した魔道具の回収をさせてるって。その青年があたしの寝室から魔道具を盗み出して、魔術を解いたに違いないわ。どこにあるの!? 答えなさい!」


 ロレッタの叱責は、ネロに向かう。しかし彼は、入れ替え天秤の在り処を知らないため、怒号をただ受け止め沈黙している。

 彼の代わりに、ペリューシアがロレッタの腕の中で答えた。


「この屋敷にはもう……ないわ。入れ替え天秤は、国王陛下に返還されるのよ」

「なんてこと……。よくも、余計なことをしてくれたわね……っ!」


 ロレッタの金切り声が鼓膜を震わす。彼女の持っている短剣の刃先が肌を撫で、わずかに血が流れる。仮にも血の繋がった妹に刃物を向けるなんて、正気ではない。


 動揺するロレッタに対して、セドリックが冷静に諭す。


「落ち着くんだ、お義姉さん。僕に少し……考えがある」

「考え?」

「うん。だからまずは、ペリューシアを解放するんだ」


 ロレッタは彼の指示に従い、ペリューシアを突き飛ばした。ペリューシアは床に倒れるとき、咄嗟にお腹を庇った。ここに、セドリックとの子が宿っているから。


(赤ちゃんは……無事?)


 お腹に手を当てる仕草を見て、セドリックがわずかに眉を持ち上げる。


「本当に……元に戻ったんだね。お腹を守ったところで無意味だよ。そこに君の子どもはいない」

「え……」

「――流産したんだよ」


 彼にそう告げられ、雷に打たれたような衝撃を受けた。ネロは同情したように眉をひそめ、ロレッタはなぜか愉快そうに微笑んでいる。


(そんな……)


 ペリューシアの頬に涙が伝う。授かった命が失われたことにショックを受け、胸を痛めていると、セドリックが懐から金属の細工が施されたガラス瓶を取り出した。


 それを見たネロが、血相変えて掠れた声で叫ぶ。


「だめだペテュ、逃げろ……!」


 そのときシュッという音がして瓶の中から液体が噴射され、ペリューシアの頭上に降り注ぐ。一度だけでなく何度も何度も噴射され、甘ったるいジャスミンのような香りが鼻を染めたと同時に、目眩に襲われた。


(心を支配する――古代魔道具……)


 セドリックの手に握られた瓶をぼんやりと眺めながら、これが先ほど話に挙がっていた惚れ香水なのだと理解する。液体を浴びせた相手を無条件で惚れさせるという、恐ろしい効果があるもの。


 徐々にペリューシアの頭の中が、セドリックへの愛情一色で塗り潰されていく。

 この人のことしか考えられない。この人が愛おしくて、愛おしくてたまらない。


 恍惚とした表情で彼を見上げていると、彼はこちらにずいと近づき、小さな顎をすくう。そして、親指の腹でペリューシアの唇をゆっくりと撫でる。セドリックに触れられている場所が熱くて、ペリューシアの心をどこまでも高揚させた。

 もっと触れていてほしい。もっと、もっと……と欲望が次から次へと溢れ出していく。


「セドリック……様、好き……」

「ああ、そうだね。君は僕のことが愛おしくて仕方がないんだよね」

「はい……大好きです。大好き……っ」


 瞳を濡らしながら、こくこくと頷くペリューシア。魔道具の作用によって、ペリューシアの心は――完全に掌握されていた。


 セドリックはふいに、ロレッタから短剣を取り上げ、ペリューシアに握らせる。


「これは……?」

「いいかい? ペリューシア。僕を心から愛しているのなら、この短剣で――あの青年を殺すんだ。それができたら、君のことをたっぷり愛してあげる」


 それは、どんなお菓子よりも甘い誘惑だった。ペリューシアはおぼつかない思考のまま、うっとりとセドリックのことを見つめた。

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