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29_誰にも愛されないと思っていた【ネロside】

 

 ネロは生まれたときから、普通に生きることが許されなかった。


『いいか? お前は死人のように生きるのだ。決して己が――王家の血筋であることを、明かしてはならんぞ』


 物心つく前から、何十回、何百回と国王に言われてきた。ネロの父はこの国の王であり、母は王妃だった。ネロの正式な名前は、ネロ・リングレスト。ウィルム王国の第三王子だ。妾の子だったわけではない。この国の神聖な王家直系として生まれ、その血統に恥じるところは何ひとつなかった。


 しかし、ネロは――赤い瞳を持って生まれてしまったのだ。


 かつてネルン教団が異端とした赤い目を持つ人間は、今もなお魔の象徴として差別の対象になる。神聖な王家に魔の象徴を持つ者が生まれたと知られれば、権威に傷がつくだろう。


(俺は生まれたときに、殺されるべきだった。なのにどうして……生かしたんだ?)


 リングレスト王家はなぜか、ネロのことを生かした。しかし、表向きには病弱ということにして、王宮から追い出し、郊外の古びた邸宅を与えた。

 それからネロはずっと、息を潜めて生きてきたのである。社交界に出ることは認められず、療養のために自然豊かな田舎で暮らしているという設定を守ってきた。


「やめろ……っ 痛いっ、離せ……っ」

「忌々しい魔術師め! ほら、立てよ。なぁ?」

「――かはっ」


 いくらフードを被ったり眼鏡をかけたりして瞳の色をごまかしていたとしても、時には見破られることもある。

 街で瞳の色を見られれば最後、幼いネロには激しい暴力が待っていた。


 路地裏で大人たちが寄ってたかって少年のネロを虐げた。ひとりがネロの髪を鷲掴みにし、ひとりが刃物で身体を傷つける。また別の男が、ネロのあどけなさの残る端正な顔を殴りつけた。彼らの唇には氷のような嘲笑が浮かぶ。


「くっ…………う、ふっ……ぅ」

「ははっ、泣いてやがるぜこいつ」

「頼む、もう……やめてくれ」


 生まれたその瞬間から、迫害される運命が定められていた。誰からも疎まれ、誰にも愛されないのだと、ネロは暴行を受けながら悟った。


 ひとしきりネロを痛めつけて満足した男たちは、ネロを道端に放置したまま去っていった。


 地面に倒れたネロは、髪が乱れ、服は乱れ、全身傷だらけだった。血が滲んだ肌が空気に晒される。そんなネロの横を、人々が通り過ぎていく。彼らはネロの瞳の色を見て、口々に言った。


「赤い瞳だわ。汚らわしい」

「気味が悪いわ。この街をうろつかないでほしいわね」

「早く死んでくれないかしら」

「ふふ、そうね」


 全身ぼろぼろの幼い少年に、冷たい言葉を投げ捨てて去っていく人々。無防備なネロは鼓膜でそれらの言葉を受け止めた。

 べったりと頬を地面に擦りつけながら、ネロは小さく唇を震わせる。立ち上がる力も残っていない。


(……俺は一生、誰からも愛されないんだ。俺はただ、誰かに抱き締めてほしいだけなのに。――お願いだ。誰でもいいから……俺のことを見つけてくれ)


 長いまつ毛が伸びる瞳から、涙が一筋こぼれ落ちた。




 ◇◇◇





 ペリューシアの入れ替わりが戻ったころ、懲罰房にて。

 ネロは後ろで手首を縛られ、床に座らされていた。そして、鞭で何度も打たれたために、全身が傷だらけになっている。


「言え。君は一体何者だ? あの部屋で何をしていた?」

「…………」

「強情な奴だね。身体中、痛くて仕方がないはずだ。いい加減、口を割ったらどうだい?」


 セドリックは片手に鞭を持ち、こちらを冷たく見下ろしている。ネロは彼を見上げながら冷笑した。


「はっ、評判が良く憧れの令息が、聞いて呆れちまうな。そんな物騒なもん、坊ちゃんには似合わないぜ」

「うるさいよ。それ以上減らず口を叩くと、もっと痛い目に遭わせるよ」

「何度も言ってるだろ。俺はただのネロ。孤児だから姓はない」


 ネロを問い詰めてくる彼は、どこか余裕のなさそうな様子だった。鞭で打たれた傷が、ずきずきと痛む。けれど、赤い目を持つことで幼いころから差別と暴力の標的となってきたネロにとっては、この程度の痛みなど、慣れたものだった。


 ネロはふっと鼻を鳴らし、煽るように言った。


「そんなに恐ろしいか? あんたとあんたの偽の奥さんが古代魔道具を使ってた事実を知られたこと……。学園で評判最悪なロレッタはともかく、あんたに関してはセンセーショナルな事件としてたいそうな騒ぎになると思うぜ? 品行方正な令息が、筆頭公爵の座を手に入れるために古代魔道具で娘を自分に惚れさせていた、なんてさ」

「――黙れ!」


 その瞬間、鞭が飛んできて、ネロは頬で受け止める。バチンっという乾いた音が懲罰房に響き渡り、唇の端から血が流れた。口の中を切ったせいで口内に鉄の味が広がった。

 ロレッタの身体と入れ替わったペリューシアと初めて会ったとき、ふたつの魔術がかかっている気配を感知したことを思い出す。


(……やはり、図星か)


 紛失した魔道具のリストから、ペリューシアに使用されたものを推測していた。

 そして、最有力候補となっていたのが『惚れ香水』である。


 ガラス瓶の中には、永遠になくなることがない液体が注がれており、それを相手に吹きかけることで、無条件に惚れさせることができる。

 ペリューシアは一目惚れしたと言っていたが、実際には魔術によって作られた――偽物の恋心だったのだ。


 純粋で優しい彼女の心をもてあそんでいたことに、強烈な怒りが沸々と湧き上がっていく。すると、セドリックはネロの髪を鷲掴みにして言う。


「仕方がなかったんだよ。僕は侯爵家の次男だった。どんなに優秀であっても、家督を継ぐことはできない。公爵家を手に入れるためには、ペリューシアを惚れさせ、父親の同意を得るしかなかったんだ……!」

「何も、古代魔道具なんかに頼る必要はなかっただろ。普通にペリューシアに好きになってもらう努力をして、大手を振って求婚すればよかったんだ。だがあんたは、それを面倒がってしなかった」

「……ああ、そうさ。僕は女心に疎いし、興味もない。煩わしい駆け引きなんてごめんなんだよ」

「……つくづく、卑怯な男だ」


 惚れ香水は、ラウリーン公爵家が管理していたものだったが、セドリックとの縁談の話が浮上するころに紛失し、その管理を任されていた公爵は、王家に捜索を依頼した。そこで派遣されたのが、ネロだった。


 まさか公爵も、婿候補が使用しているとは夢にも思わなかっただろう。何しろセドリックは品行方正で、多くの者たちに信頼されていたから。


(この男の胸のあたりから、強い魔力の気配がする。恐らく服の内側に隠し持っているのだろう。クソッ、この縄さえ解ければ……)


 すぐ目の前にペリューシアの心を支配する魔道具があるのに、何もできないことが歯がゆい。さっさと回収して国王の元に持ち帰り、彼女の本当の心を取り戻してやりたいのに。


 するとセドリックが言った。


「卑怯だって? 騙される方が悪いに決まってるじゃないか。ペリューシアは一瞬で僕を愛するようになり、尽くし続けた。その気持ちが偽物であることも知らず……本当に滑稽だよ」

「……自分のことを無条件で愛してくれるあいつを傍に置いて、さぞ気分が良かっただろうな」


 その刹那、セドリックの表情が歪む。


「いいや。好きでもない女の好意なんて、ただただ気持ち悪いだけだったよ。ペリューシアはなんの取り柄もなく、容姿もぱっとしない。作ってくる菓子はいつも不味かった。ペリューシアのことを好きになるような男はいないだろうね」

「くっ……」


 彼女のことコケにされて、ネロは激しく怒った。眉間に縦じわを刻み、目尻を吊り上げながら反論する。


「あいつのことを侮辱するな! あいつがどんな思いで、公爵家の屋敷を出たか知ってるのか!? 身体を奪われ、辛くて仕方がないはずなのに、それでもあんたと子どもの幸せを願って……」


 掠れた声を絞り出すようにして、そう訴えかける。


(……あいつの作ってくれた料理はいつだって、優しい味がした。俺からしたらペリューシアは、誰よりも綺麗で、崇高な人間なんだ)


 この縄さえなければ、セドリックに殴りかかっていたことだろう。ネロが縛られたままじたばたと暴れると、セドリックは唇でゆるりと半円を描いた。


「へえ、君。――あの子に惚れているのかい?」


 そう尋ねられた瞬間、ネロの顔が耳まで朱に染まる。セドリックはその反応を肯定と捉えた。

 彼はくすっと小さく笑い、ネロの顎を持ち上げ、顔を覗き込む。


「君の思いが報われることはないだろうね。そんな奇妙な瞳をして……。君こそ、永遠に誰にも愛されることはないだろう」


 セドリックの言葉が、ネロの無防備な心に深く突き刺さる。

 人並みの人間関係を築くこと、何度も何度も、望んでは諦めてきた。人としての尊厳を踏みにじられ続けるうちに、遥か彼方にかすかに光っていた希望も黒く塗り潰されていった。


「そんなこと……俺が一番よく分かって――」

「分かっていないわ」


 ネロの自嘲めいた呟きに、小鳥がさえずるような愛らしい娘の声が被さる。

 靴音が近づいてきて顔を上げると、本来の姿をしたペリューシアが、セドリックから庇うようにネロのことをぎゅっと抱き締める。


「わたくしのことはどのようにおっしゃってくださっても結構です。ですが、この人のことを侮辱することだけは――許しませんわ。それがたとえ、セドリック様であろうとも」


 ペリューシアの優しさが、傷ついたネロの心に染み渡る。乾いた砂漠の中をさまよい歩き、ようやく水を見つけたかのような、そんな心地だった。


 ネロは、彼女の胸に縋るように頬を擦り寄せる。


(俺はずっと……誰かにこうされたかった。……温かい)


 彼女の長い桃色の髪がなびくのを、ネロは瞳の奥を揺らしながら見上げる。そして、彼女はふっくらとした血色の良い唇で宣言した。


「彼を好きになる人間なら、ここにいます……!」


 みんな、ネロをないがしろして、虫けらのように扱ってきた。だが、たったひとりだけ、ネロを気にかけ、守ろうとしてくれた。

 人並みの幸せに縁がないと思って生きていたネロを……好きだと言ってくれた。


(ああ……俺は今、誰よりも幸せだ)


 それは、天にも昇る心地だった。彼女の言葉に、骨の髄まで甘やかに溶かされてしまいそうになる。

 いつ死んでも構わないと思っていた。生まれてきたことを嘆いていた。しかしネロはこのとき、生きていてよかったという素直な思いを抱いた。

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