28_古代魔道具の無効化
ペリューシアは急いで蒸留室へ向かった。せっかくネロが身を賭して元の姿に戻る機会を作ってくれたのだから、決して無駄にはできない。
ここはメイドたちが、主人に出す紅茶やお菓子の準備をするための部屋だ。
ペリューシアはお菓子作りをするときによく使用していて、ほとんどペリューシア専用の部屋になっていた。
作業台を手でそっと撫でると、汚れやほこりでざらざらしていた。
ロレッタの身体に入って追い出されてからというもの、この蒸留室はあまり使われていないらしい。ペリューシアは背の高い棚をそっと開けて、一番上の奥に入れ替え天秤をしまい込み、食器を手前に置いた。
(よし。一旦ここに隠しておきましょう)
入れ替え天秤を棚の奥に隠したあと、一度応接間に戻ってルーシャとロゼを呼びに行った。入れ替わりを解いたとき、本物のロレッタの手元に入れ替え天秤が渡るのを防ぐためだ。
広間に行くと、やたらと露出が多いドレスを着たロレッタが、ペリューシアのふりをして人々と話をしていた。ペリューシアが引っかかったのは、彼女がコルセットで腰をきつく絞っていること。
(お姉様ったら……あんなに腰を絞ったりして、お腹の子の負担を考えられないの……!?)
すぐに彼女のコルセットを剥ぎ取りに行きたいところだったが、どうにか思いとどまり、ルーシャとロゼにこっそり声をかける。
「…… ふたりとも、協力してほしいの」
「どうしたの? 例のものは、回収できなかったの? それにネロは……」
心配そうにロゼが尋ねてくる。
「無事に回収はできたわ。ただ状況が変わったの。付いてきてちょうだい」
◇◇◇
蒸留室に移動したあと、ペリューシアはふたりに事情を説明する。ネロが自分を庇ってセドリックに捕まってしまい、魔道具を託されているということを話せば、彼女たちはすぐに理解してくれた。
「古代魔道具を無効化したあと、わたくしはすぐにネロがいる懲罰房へ向かう。だからふたりには、解除が終わったあと、古代魔道具を預かっていてほしいの」
万が一ロレッタの手に渡れば、再び振り出しに戻ってしまう。
「なら、それを預かったまま屋敷を出ればいいってことですね。そのような古びた天秤、持ち出したところで窃盗を疑われることもないでしょうし」
「ありがとう、話が早くて助かるわ。迷惑ばかりかけてごめんね」
「何水臭いことおっしゃるのです。このくらいの協力、あなたがこれまで耐えてきたことに比べたら、ささやかなことに過ぎませんよ」
「ルーシャ……」
「早く元の姿に戻って、ネロさんを助けて差し上げてください」
無事に無効化したあとの算段を確認したところで、ポットの中の水がこぽこぽと音を立てて沸騰し始めた。これを天秤の皿にかけていけば、固まっていた接着剤が溶けていくだろう。ロゼがポットを片手に言う。
「さ、あとのことはあたしらに任せて。行きな」
「ありがとう、ロゼ」
ペリューシアは入れ替わったときに備え、魔道具は友人たちに任せて、蒸留室からできるだけ遠くへと走った。廊下を走るなんて淑女らしからぬ振る舞いだが、今は気にしていられない。
大勢の使用人たちがいる場所で、堂々とかつらを脱ぎ捨てる。当然、家を追い出されていたはずのロレッタの姿に、使用人たちは困惑する。
「ロレッタお嬢様!?」
「どうしてこちらに……」
ここで注目を集めておけば、元の姿に戻ったときに、ロレッタが入れ替え天秤を探しに行くまでの時間稼ぎができるはずだ。あとは、ルーシャとロゼがこの屋敷から出ることを祈るのみ。
「自分の家に戻ってくるのに、理由が必要かしら?」
「困ります……! あなた様はラウリーン家から勘当された身なのですよ。それに今日は、ペリューシア様のお誕生日なんです! 水を差すような真似はお控えください!」
ロレッタが突然屋敷に入り込んだことで、騒ぎは波紋が広がるように大きくなっていく。メイドのひとりが、煩わしげに言った。
「ひとまず、応接間にご案内いたします。付いてきていただけますか?」
「ええ。もちろんよ」
愛想よく微笑み、メイドの指示に従う。ふとそのとき、ネロに先ほど言われた言葉を思い出す。
『あんたには、入れ替え天秤の他にももうひとつ、別の魔術がかかっている』
しかし、ペリューシアが自覚しているのは、姉との入れ替わりだけ。他に一体、なんの魔術がかかっているというのだろう。
それにネロは寝室で、魔道具を持った人間の気配を察知したと言っていた。もし魔道具の所有者がセドリックなのだとしたら、ペリューシアに何らかの魔術をかけたのは彼なのだろうか。
そんな疑念が次々と浮かび上がっていたとき、頭の中に聞き覚えがある音が響いた。
――カチッ……。
それは結婚式の誓いの口づけの直前に聞いたのと同じ音だった。今のペリューシアには、その音が入れ替え天秤の発動した音なのだろうと推測できる。両方の皿に張り付いていたペリューシアとロレッタの髪が、熱湯とともに一本残らず流れ落ちたのだろう。
そして、次の瞬間――ペリューシアは元の姿に戻っていた。視線を落として、身体のあちこちを確認する。
「お誕生日、誠におめでとうございます」
「良い一年を過ごしください」
ペリューシアは今日のパーティーの主役として、広間の大勢の参集者に囲われていた。
しかし、彼らの祝いの言葉は片耳から片耳へとすり抜けていく。ペリューシアの頭にあるのは、懲罰房にいるネロのことばかり。
(ネロが心配だわ。早く、懲罰房に行かなくては)




