15_妻の様子がおかしい【セドリックside】
最近のペリューシアの様子がどうにもおかしい。
彼女は何をやっても凡庸で、淑やかで真面目なことくらいが取り柄の令嬢だった。
それなのに近ごろは、身体のラインがはっきりと浮かび上がり、谷間が覗く下品なドレスを着て、きつい香水の香りをまとうようになった。以前の彼女はもっと控えめな服を好んでいたはずなのに。
それに、態度や振る舞いもどこか横柄な感じがする。今まで自己主張はあまりせず、セドリックの言葉にうんうんと相槌を打っていたのに、今はこちらのことを考えずにものを言い、自分の意思を押し通そうとする。
(一体どういうことだ……? まるで、姿形がペリューシアなだけの――別人のようだ)
執務室で仕事をしていたセドリックは、妙な妻の様子に思案を巡らせる。
(最近の彼女と話していると、お義姉さんのことがやたら脳裏に浮かぶ)
ラウリーン公爵家の姉妹、ペリューシアとロレッタは正反対だった。
凡庸だが心優しく穏やかなペリューシアに対し、ロレッタは優秀だが底意地が悪く、派手好きだった。
セドリックはルイド侯爵家の次男だったため、家督を継ぐことができなかった。
野心家のセドリックは爵位を手に入れるために、良い婿入り先を切望していた。
また、妻にするなら、自分のすることにああだのこうだのといちいち口出ししない、扱いやすくて従順な女がいいと思っていた。―――ということで、セドリックの望みに最も当てはまっていたのがペリューシアだった。
そこで早速、ラウリーン公爵家に縁談を持ちかけたところ、優秀な婿養子を探していたラウリーン公爵は歓迎してくれた。
だが、姉妹のどちらと結婚するにしても、本人たちの気持ちを尊重したいと公爵は言った。
困ったことに、王立学園で同級生だったロレッタはそのときすでに、セドリックに好意を寄せていた。娘の気持ちを尊重するという公爵の意向により、このままでは自分は評判の悪いロレッタと結婚する羽目になるかもしれないと危惧した。
ロレッタも自分と同じように、家督を継ぐ権利がない。それではセドリックの目的は果たされない。
だからセドリックは、翌年入学してくる公爵家の後継であるペリューシアを惚れさせるしかなかった。
(そう。あのときは……やむを得なかったんだ)
セドリックはおもむろに、引き出しを引く。そこには古びたガラス製の香水瓶が入っている。金細工の装飾が美しい逸品。これはただの香水ではなく――古代魔道具だ。中の液体は永遠になくなることがない。
そして、この古代魔道具は――ペリューシアに使用した。これは『惚れ香水』と呼ばれており、吹きかけた相手を無条件に惚れさせることができる。
(ペリューシアが僕に抱いている好意は全部……魔術によって作られた偽物に過ぎない)
ペリューシアがセドリックに好意を寄せていたことを、本人は隠しているつもりだったようだが周知の事実となった。だからセドリックは大手を振って彼女に求婚し、公爵の同意のもと婿養子になることができたのだ。
もっとも、そのことでペリューシアとロレッタの軋轢はますます大きくなったのだが。公爵は娘の気持ちを優先したいと言いつつ、結果的にロレッタの想いは踏みにじった。彼にとっても結局は、家督の存続が重要だったのだろう。
香水瓶に手を伸ばしかけたとき、コンコンと扉がノックされた。
「セドリック様、お入りしてもよろしいですか? ペリューシアです」
「ああ、大丈夫だよ」
ノックの音にびくっと肩を跳ねさせたあと、慌てて引き出しを押し戻す。
扉が開いた瞬間、強い香水の匂いが鼻を掠め、思わず顔をしかめそうになった。ペリューシアの後ろからメイドが、ティーワゴンを押してくる。
「ごきげんよう。お仕事中、お邪魔だったかしら」
「いや、平気さ。急に訪ねてきて、どうしたんだい?」
「そろそろお疲れになるころかと思って、お菓子を作って参りましたの」
「へぇ、君は気が利くね。なら少し休憩しようかな」
ペリューシアはティーワゴンを押してきたメイドに目線で指示し、執務室から退出させる。
ふたりきりになり、セドリックは妻の所作に注目した。
(この部屋に入ってきたとき、ペリューシアはお辞儀をしなかった。礼儀正しいペリューシアがお辞儀を忘れたことは、今までに一度もなかったのに)
いつものペリューシアなら扉に入ってすぐ、スカートをつまんで片足を引き、深く丁寧なカーテシーを披露していたことだろう。
セドリックはひとつ、違和感を覚える。
「……今日はわたくしが愛情をたっぷり込めて、アップルパイを焼いてきましたの。セドリック様のお口に合うかは分かりませんが、喜んでいただきたくて……」
「アップルパイ……ね。嬉しいよ、ありがとう」
セドリックは以前からペリューシアに何度も伝えていた。幼いころから――りんごが苦手だと。ルイド侯爵領の特産品はりんごで、毎日のように飽きるほどりんごを食べてきた。それで次第に、好んで食べなくなったのだ。
(彼女には何度もりんごが苦手だと話してきた。それを忘れるなんてことは……ないはず)
それに最近、彼女の作るお菓子の味が全く違う。以前のペリューシアは甘さが控えめな繊細な味付けだった。でも今はどうにも味が濃くて甘ったるい。
ペリューシアはローテーブルの上にカップをふたつ用意し、優雅な所作で紅茶を注いでいく。
フードカバーを外すと、器用に作られたアップルパイが艶めいていた。それをふたり分にカットし、皿に載せていく彼女。
「さぁ、どうぞこちらに」
彼女はソファに腰を下ろし、隣をぽんと叩いた。促されるままペリューシアの横に座ると、彼女は満足げに微笑む。
そしてフォークでアップルパイをひと口分切り取り、こちらに差し出した。
彼女は、りんごのように真っ赤な紅を差した唇をゆっくりと開く。
「はい、あーん♡」
「…………」
手で皿を作りながら、ゆっくりと口元にフォークを近づけてくる。ひと口分のアップルパイを見つめている間に、彼女への違和感が蓄積していく。
「ペリューシア。僕たちは書類だけの夫婦だ。だからこういう馴れ合いみたいなのは――んぐ」
「いいから黙ってひと口食べてみてくださいな。どう? 美味しいでしょう? わたくしの力作なの」
セドリックの制止を無視して、口内に無理矢理食べ物を押し込む彼女。
(シナモンの味が効きすぎて、不味い)
見た目は綺麗にできているが、味付けが悪かった。
鼻に抜けるシナモンの強い風味。ペリューシアは一度だって、不味い食べ物を出してきたことはなかった。
不信感を抱きつつ、黙って小さく頷けば、彼女は満足げに笑い、フォークを皿の上にことんと置く。
「……セドリック様」
「……!?」
すると彼女は、セドリックの胸に手を当て、ゆっくりと体重をかけて押し倒してきた。
セドリックの上半身にもたれながら顔を近づけ、甘やかに囁く。
「お父様やお母様が、子どもの誕生を待ちわびておりますわ。嘘を、本当にいたしませんか……?」
「…………」
細くしなやかな手が、セドリックのシャツの一番上のボタンを外す。きわめて慣れた手つき、熱を帯びた獣のような鋭い眼差しに、セドリックはぐっと喉の奥を上下させる。
(――明らかにおかしい。僕の知るペリューシアはこんな、男を襲うようなはしたない真似は絶対にしない貞淑な人だ。まるで、まるでこれは……お義姉さんだ)
享楽好きで、男遊びに耽っていた彼女を思い浮かべたときだった。更に奇妙なことが目の前で起こる。
「は…………?」
セドリックの上にのしかかるペリューシアの姿が――ロレッタに変わった。人が入れ替わるという現象がにわかに信じられず、咄嗟に目を擦るが、幻などではなく、自分の上に確かにロレッタが乗っていて。
だが、当の本人は何も気づいていない様子。
「き、君……その姿は……」
「わたくしの顔に、何がついておりますか?」
「何も……気づいていないのかい?」
「なんの……ことですの」
口調も声の抑揚、高さも、セドリックのよく知るペリューシアそのものだ。
ふわりと微笑んだまま二番目のボタンに手をかけようとする彼女を退け、部屋に鏡はないかと探す。
五分ほどしてようやく手鏡を見つけ、彼女を映してやろうとしたときには、ロレッタはペリューシアの姿に戻っていた。
ペリューシアは、鏡に映る自分の姿になんの疑問も持たず、きょとんと首を傾げる。
「何も……変わりはないと思いますけれど」
けれど、セドリックは確かに見た。ペリューシアの姿がロレッタになるのを。
(幻ではない。入れ替わりなどありえないが、古代魔道具なら不可能ではない)
セドリックは平静を装い、引き出しから一枚の書類を引っ張り出して、ペリューシアに渡した。
「……医者に診断書を偽造させておいた。妊娠については流産したことにしておけばいいと話しただろう? 子どもは適当な者をいずれ養子に迎える」
「そんな……。わたくしあなたの子を産んで差し上げたいですわ」
不機嫌に診断書を受け取るペリューシアを、いぶかしげに見つめる。
(その仮面の下にいるのは、まさか……)




