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10_突然現れた謎の青年

 

 友人ふたりは互いに顔を見合わせる。そして、ルーシャが言った。


「ペリューシア様のお姉さん……ですよね。私たちに何のご用ですか?」

「わたくしは――」


 自分はロレッタではなくペリューシアなのだと言いかけ、慌てて口を噤む。


(本当に厄介だわ。名乗ることができないだなんて)


 もどかしげに顔をしかめていると、そんな様子を見て彼女たちは不信がり、眉間にしわを寄せ、また顔を見合わせる。今度はロゼが口を開いた。


「なんの用か分かりませんが、あたしたちは次の授業に行きますね。急いでるんで」

「待って、わたくしの話を……」

「こっちに話すことはないですよ。ああ、そうだ。ひとつあたしから忠告させてください」


 こちらの話を遮ったロゼは、冷たい表情のままつかつかとこちらに歩み寄る。


「ペリューシアは好きな人と結婚して幸せになったんです。もしそこに水を差すような真似をなさったり、彼女のことを泣かせたら、親友の――あたしたちが決して許しません」

「………!」


 ルーシャは代々優秀な文官を輩出する侯爵家の娘であり、ロゼは屈強な騎士たちが多く軍事に優れた辺境伯家の娘だ。公爵家から勘当されなんの地位もないロレッタからすると、明らかに格上の存在。ペリューシアは喉の奥をぐっと鳴らした。


(そうよね。ふたりはペリューシアの友だちであって、ロレッタの友だちではないんだわ)


 寂しさと失意にしゅんと項垂れるペリューシア。子犬の耳が垂れ下がったような幻を見たロゼが、うっと気まずそうに言う。


「そんな悲しそうな顔して、まるであたしがお姉さんのことを虐めてるみたいじゃないですか」

「いいえ。ただ、良い友だちを持ったなって思っただけよ。……ありがとう」


 ペリューシアが眉尻を下げてふわりと微笑むと、警戒心を解かれたふたりは顔を見合わせる。


(ふたりがわたくしのことを想ってくれていたことが分かって、それだけで幸せだわ)


「……お姉さんにお礼を言われる覚えはありませんけど」

「ふふ、そうね。これからもペリューシアと仲良くしてあげてね」


 またね、とひらひら手を振りながら呑気に別れの言葉を述べると、「お姉さんも急がないと遅刻しますよ」と至極真っ当な突っ込みを受ける。

 結局、ルーシャとロゼはペリューシアをロレッタだと思い込んだまま、くるりと背を向け去っていった。


「ねぇ、今のお姉さん、なんか様子おかしくなかった?」

「は、はい。私も思いました。あの気の抜けた笑い方といい、ちょっと天然なところといい、なんだかペリューシアと話しているような気分でした」


 こそこそと内緒話をする声は、ペリューシアの耳には届かない。ペリューシアはふたりの後ろ姿を見送りながら願った。


(少し前までは、楽しくお喋りできていたのに。またいつか、友達になれたらいいな)


 名残惜しげに彼女たちを見つめたあと、ゆっくり視線を地面に落とす。


 ルーシャとロゼは王立学園に入る前から一番親しくしていた友人だった。けれど今は、ペリューシアをロレッタだと思い込んで、すっかり敵視されてしまっている。彼女たちも姉の評判を知っており、良い印象を持っていないのだろう。


(誰ひとり……わたくしに気づいてくれない。わたくしは……ひとりぼっち)


 茫然自失となり立ち尽くしていたら、そのうちに始業を告げるチャイムが鳴り響いた。ロゼが言った通り遅刻だ。


 どうせ全身ずぶ濡れで、教科書もどこかに行ってしまったので、授業に出ても意味はないだろう。


 まるで世界にひとりだけ取り残されたような気分だ。


 両親も、伯父も、親友も、夫になるはずだった人も、誰もロレッタの中にペリューシアがいると気づかない。

 ロレッタとしてどうやって生きていけばいいのかと、途方もない絶望感に、じわりと目に涙を浮かべたそのときだった――。


「――情けないザマだな」


 上からそんな声が降ってきて、はっと顔を上げると、木の幹の高いところに青年が座って、こちらを見下ろしていた。


 全身をローブに身を包み、フードを深く被っていて顔がよく見えないが、唯一覗いた口元は、不敵な扇の弧を描いている。


 彼は木の上からひょいと軽々と飛び降りてきて、ペリューシアの目の前に着地した。

 風が青年のフードを脱がせ、素顔が晒される。彼と視線が合った瞬間――どきっと心臓が跳ねた。


(赤い……瞳。生まれて初めて見た)


 世界で権勢を誇っているネルン教団がかつて、神秘的な力を恐れ、魔術師たちを異端とみなして根絶やしにしたことがあった。

 罪のない魔術師たちは次々に火炙りにされ、悲劇的な死を遂げている。


 今も時々、魔術師の証である赤い瞳を持つ者が生まれることがあるのだが、彼らは魔の象徴として蔑視される。


「綺麗な瞳……。――宝石みたい」

「……!」


 ペリューシアの口をついて出た言葉に、青年は大きく目を見開き、瞳の奥を揺らした。


 もちろんお世辞などではなく、本当に綺麗な瞳だと思った。今までの人生で見た中で、最も美しい。顔立ちは彫刻のようで、長いまつげに縁どられた赤い瞳は、太陽を吸い込んだガーネットのように煌めいている。


 鮮やかで深い瞳の赤に、ガーネットを重ねながらうっとりと見蕩れるペリューシア。


 一方の青年は言葉を失い、唇を震わせ、一瞬泣きそうな顔をした。

 唇をきゅっと引き結んで顔を逸らし、まるで自身の心を落ち着かせるように小さく息を吐く。


 そして、先ほどまでの不敵な笑みを浮かべてこちらに言った。


「――おばさん。あんた、名前は?」

「お、おばっ……!?」


 突然のおばさん呼ばわりに、ペリューシアぎょっとする。


(今おばさんって言ったの!? 聞き間違い……かしら)


 ロレッタはまだ十九歳だし、見てくれだけは群を抜いてみずみずしく美しいはずなのに。

 もしや、彼は自分以外の誰かに話しかけているのではないかと、きょろきょろと辺りを見渡す。すると彼は、呆れ混じりに続けた。


「あんただよあんた。道の真ん中でみっともなく泣きべそかいてた――あんたに聞いてんだ」


 泣いているところを見られていたのだと知って、かあっと顔が赤くなる。涙を拭おうとポケットからハンカチを取り出すものの、ハンカチも汚水でびっしょりで、使い物にならない。


「あらら……」

「はぁ、世話が焼ける奴だな」


 そう言って彼は懐からハンカチを取り出して、こちらに差し出した。


(生意気だけど……意外と優しい……?)


 遠慮がちにハンカチを受け取って涙を拭っていると、今度は自分が着ていたローブを脱いでペリューシアの肩にふぁさりとかけた。


「ったく、身体冷やすと風邪引くぞ。どうしてこんなずぶ濡れなんだ?」

「ふっ、ふふ……」

「何がおかしい?」

「あなたって優しいのね」


 無礼で粗野な態度だけれど、根は悪人ではなさそうだ。


「はぁ? ちょっと親切にされたくらいで単純すぎるだろ。そのうち変な壺でも買わされるんじゃねーの」

「まぁ、それは困ったわ。せっかくならかわいくて素敵な壺が良いもの」

「そういうとこだぞ」


 反論しつつも耳をほのかに染めていて、彼が照れているのが伝わってくる。そんな彼がいじらしくて、くふくふと笑う。

 ペリューシアのどうにも気の抜けた笑い方に、毒気を抜かれた彼は、肩を竦めた。


「わたくしは十九歳よ。まだおばさんなんて言われるような年齢ではないわ。あなたはいくつなの?」


 わたくしは、などと言ったが、あくまでこの身体の年齢のことである。ちなみにペリューシアは十七歳だ。


「十六。それで、あんた名前は?」


 それなら、ペリューシアとひとつしか変わらないではないか。


「わたくしはペリュ――むぐ」


 名前を言いかけたところで、今自分が置かれている状況を思い出し、慌てて唇を塞ぐ。


(そうだ。わたくし、名乗ると爆発するんだったわ……)


 両手で口元を抑えながら、ぐぬぬと唸ったり、困ったように眉をひそめる。


「ペテュ? 珍しい響きの名前だな。よくそんな名前の飼い犬を見かけるぜ」


 ――ワン!

 犬扱いされたペリューシアは、むっと頬を膨らませる。

 けれど、思案に思案を重ねた末、本当の名前を名乗るのは諦めた。


「のっぴきならない事情が色々とあるのだけれど、ひとまず、ロレッタと名乗っておくわ」

「へぇ。のっぴきならない事情って例えばさ……身体が入れ替わってる、とか?」

「!」


 思わぬ指摘に、瞠目する。

 こちらの反応を見た彼は、ゆっくりと口角を持ち上げた。こちらにずいと迫り、顔を覗き込むようにして告げる。


「その反応は、図星みたいだな。ようやく見つけた。あんた、古代魔道具の魔術がかかってるぜ」

「古代……魔道具……」


 ペリューシアは、ごくんと喉を上下させた。

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