第十二話 ウィー・キャン・メイク・イット・ドゥ#A
Brand New Duo準決勝、勝者はファンタジスタ!とLuminous Eyes。多くの想定を裏切る形の結果が明かされた直後、余韻に浸る暇は与えないと言わんばかりに香が声を上げた。
「それじゃあアタシら五人から、審査の詳細について一言言わせてもらう」
崩れかけていたものが、稲妻のような速度で再び会場を走り抜ける。十人はすぐさま姿勢を正し、審査員席へと視線を集めた。
しかし、敗北した六人がこれ以上の放送に耐えられる状況とは言いづらい。事実、反応も少し遅れ、こちらを見る目も限界を訴えているようだった。それをわかっていることもあり、阿吽の呼吸で海月が引き継ぐ。
「個人的なお願いでやらせてもらってるから、手短にだけどね。まずは|Legato a Due《レガート ア ドゥエ》の二人、歌はとっても良かったし、頑張ってるの―――」
「ダンスのクオリティ不足」
柔らかい言葉に収めようとしていただろう海月の言葉を遮り、玲良が切り捨てるように言い放つ。
その言葉に歌音は怯えるように肩を震わせ、涼穂はばつの悪そうな表情を浮かべ、目を逸らすしかできなかった。
一月ほど前、二次予選の後。海月が去り際に残していったアドバイス。
『ちょっと、玲良ちゃんを見習った方がいいかもね』
そこに込められた意味を、涼穂はその場で理解できていた。咀嚼し、飲み込んだ……そのうえで、歌音に伝えることができないままでここにいた。
玲良を、自他共に認める完璧主義者を見習え。その言葉が意味するのは単純明快、クオリティを追及する意志が足りていないということだ。あえて玲良の名を出すことで、海月は少しだけ遠回しにクオリティ不足の解消を促したのだろう。
なぜそう言われるか、その心当たりも探す必要がない程に明瞭だった。なんでもそつなくこなす、と言われる涼穂と違い、歌音は歌が得意でもダンスに苦手意識があるのだ。しかしながら、ユニットとしてパフォーマンスの完成度を追及するため、涼穂が歌音に合わせる形で踊っており―――クオリティを自ら落としている、と言われても仕方のない状態であることは間違いない。
そして、当人がそれを克服しようと焦る様を間近で見ていた涼穂にとって、アドバイスを伝えるのは、既知の欠点を改めて指摘するような真似は、喉が張り裂けても出来たものではなかった。大切な相方の努力を否定するようで、彼女を壊す致命的な一言となってしまいそうで、二の足を踏んだままそこで停止し、今に至る。
だからこそ、クオリティ不足と言われてしまえば歌音は自分の責任だと感じ、涼穂はここに至るまでそれを解消させなかった、パートナーとしての責任を問われていることを胸の痛みと共に自覚せざるを得なかった。
そんな様子を見て、しかし玲良は言葉を緩めず続ける。
「ボーカルは目を見張るものがあったわ、それだけの審査なら決勝も見えてた。けどダンスが足を引っ張ってる。特に涼穂、あんた。無理して合わせてるのが一目見てわかる、それが信じらんないくらい見苦しい。相方を気遣うって言うなら、あんたがやるべきは歌音を踊れるようにすることよ、違う?」
耳が痛い、という言葉では済ませそうになかった。大きなオーディションに出ると言うのに、相方の苦手を解消させることができなかった。時間はいくらでもあったはず、否、そのために時間を割かなくてはいけなかった。
理解していたはずが、歌音を傷つけまいとする心が逃げてしまっていた。
「うん。二人ともちゃんとわかってるみたいだし、大丈夫かな。これをバネに、今後もっと頑張ってくれると私は嬉しい。二人ともポテンシャルは大きいし、優勝できる可能性が十分にあったことは忘れないでね。以上です」
幾分か柔らかな声色で締めてから、海月は玲良にケアも考えてね、と視線で訴える。
その様子を見届け、美桜が続いてマイクを持った。
「次に、ステラ・ドルチェの二人。パフォーマンスは非常に良かった。二人の息もぴったり合っていて、仲の良さを自慢したくなるのも頷ける。けど、言わせてもらうなら」
「カメラアピールが多すぎんだよお前ら。くどい、しつこい、安売りすんな。つか踊る時間減らすな」
またも。美桜の言葉を遮って香が言う。あまりにも迷いなく切り捨てられ、稔は思わず眉をひそめかけた。
しかも今度は玲良と違い、それだけを残して香が黙ってしまったため、美桜が取り繕うように話を戻す。
「……ええと、まあ、うん。そうだな。アイドルとしては間違いないと思うし、ファンとしてはアピールが多いと嬉しいだろうとも思うが、さすがに多いな。今回はパフォーマンスを中心に審査したこともあって、そこが引っかかるところだった。振りを削ったところがあるのもかなり響いてる、クオリティが高いだけに惜しいところだな。審査基準の違うオーディションなら、優勝も狙えると私は思うぞ。以上だ」
締めの瞬間、香も否定はしない、と言わんばかりに頷く。ひっそりと不満げな視線を投げかけていた稔と、香ばかりをずっと見ていた観客・視聴者がそれに気付いた。惜しい、というのは香からしてもそう遠くない表現なのだろう。
しかし同時に審査基準を見抜けなかった、自分たちの雰囲気を優先して必要とされている部分に手を出してしまったことを堂々と暴かれた。順当な審査であると納得できたが、何を言われるかという緊張で薄らいでいた悔しさが思い出したように沸々と沸き上がってくる。
前提で負けていた。クオリティでの勝負に持ち込めなかった。活かすための決断が裏目に出た。その事実は、悔やんでも悔やみきれるものではないだろう。
そして、少しの間を置いて香が再び声を上げる。
「んじゃ次、IG-KNIGHT」
礼の肩が、客席からもわかるくらいに跳ねた。
「先に言っておいてやる、クオリティで言えばお前らがダントツで一位だった。それは間違いねぇ。あとの二組もこのことは忘れんな……じゃあなんで負けたか、わかるか?」
数秒の沈黙。こればかりは二人も言い返すことはできなかった。会場の空気に少しずつ重圧がかかる中、香は一ヶ月待っていたその答えを呈する。
「顔」
張りつめていた空気が、一気に困惑の様相へ変わる。あまりに想像のつかない答えに、観客席からはささやき合うような声も聞こえた。
あえてその場で一息つき、香はその何たるかを語る。
「もっと言えば表情。前に聞いたな、ステージの上のお前らって何だ? アイドルだろ。あんな怖い顔して踊るアイドルがいるかよ」
何を言われているのか、理解に時間を要した。それほどに、礼にとって表情は眼中にない部分、
違う。
それほどまでに、礼にとってそれは正しいと信じていた部分だった。
だからこそ、突きつけられた事実を受け入れることができない。何を言っているんだこの人は。私は真剣に戦うためにここにいる。どれだけ真摯に取り組んでいるかがわかる表情のはず。それなのに。
「勝ちたかったんだろ、負けるのが嫌でしょうがなかったんだろ。そりゃわかるよ。お前らがクール系で売ってるのもよく知ってる。でも今回、特に準決勝のは違った。アレはクールで余裕ある表情じゃなくて何かが気に食わねぇって顔だ。審査員なのかライバルなのか知らねぇけど、それが顔に出ていつものお前らよりチープに見えた。アタシだったらファンにこんなツラ見せられたもんじゃねぇ。こいつらもそう思った、だからお前らに投票しなかった」
そこまで言われて、ようやく。そこまで言われなければ、気付くこともできなかった。
視聴者票を獲得したIG-KNIGHTが、最もファンのことをないがしろにパフォーマンスをしていた。だから負けた。至極単純な話だ。
ステラ・ドルチェがファンへ意識を向けすぎたのと反対に、IG-KNIGHTはファンから意識を逸らしすぎたのだ。
もはや、観客席へ視線を向けられなかった。はっきりと意識の中に飲み込めた今、視聴者票で一位にしてくれたファンをずっと裏切っていたことが情けなくて仕方がなかった。
認めてもらいたかった、Principalに。勝ちたかった、天宮月乃に。そればかりが優先し、目的と手段が入れ替わっていることに気付けなかった。
顔を伏せ、浅い呼吸を繰り返す礼を見て、香は息をつく。何も彼女たちを晒しものにしたかった訳ではない。本当にただ気付いて欲しかっただけだった。
フォローを入れて締めるか、と思ったその時。あえて音が立つように右足で床を叩き、朱鳥が勢いよく立ち上がった。何をするのかと身構えた瞬間、マイクを口に寄せこれまた勢いよく頭を下げる。
「ファンの皆さん、すみませんでした!」
突然の行動に礼は酷く狼狽し、観客席からもどよめきが起きる。
その一方で、海月と玲良は口角を緩めた。
「へぇ」
「いいじゃない」
朱鳥は左手を強く握りしめる。爪が食い込みそうなほどに。本当なら瞼も閉じて開きたくなかった。
しかし、それでも。今発言できるのは自分だけだ。いつも歩幅を合わせてくれた礼が立ち止まったのなら、その時は自分が一歩先から手を引けばいい。だから今は、この目を閉じるな。
大きく息を吸い、思いの丈をぶつける。
「みんなのために勝ちたかった、勝つところを見せたかった、けど……必死になりすぎて、みんなの気持ちを考えられてませんでした! 本当にごめんなさい! でも! 勝ちたかったのは間違いなくファンのみんなのためです、だから……次は、これからは、このことを忘れないで、みんなのために頑張りたい! こんなあたしたちだけど……許して、くれますか」
身勝手だ。わかっている。衝動で動いたせいで語気は徐々に弱まり、最後の言葉は彼女にしても珍しく弱気が見えていた。
一秒ほどの沈黙。それが長く、永く。時の概念を忘れるほど長く、苦しかった。
鼻先に痛みが走る。それが何を示すのか理解し、思わず目を閉じようとした。
「いいよー!」
顔を上げる。観客席の女性が、立ち上がって叫んだのだ。今にも感情が振り切れそうな、限界に近い顔だった。
「好きだから! 応援してるのー!! これくらい! なんでもないよー!!」
それを皮切りに、口々の声援と拍手が会場を包んだ。
「大丈夫ー!」
「頑張ってー!!」
「それでも好きー!!」
礼は、恐る恐る朱鳥を見る。泣いていた。顔を赤くして涙を流しながら、それでも歯を見せて笑い、手を差し伸べる。ゆっくりとその手を取って、震える脚で立ち上がった。
ペンライトやサイリウムの光がある訳ではない。照明は自分たちに向いており、決してそこから観客席が見えやすい訳でもない。
それなのに、椅子を立って叫ぶファンたちの姿は、目が眩みそうなほどに眩しかった。
声は出せなかった。これ以上情けないところは見せたくなかった。声を出さないよう、しゃくり上げないよう泣いた。そして、朱鳥と共に頭を下げた。
ひとしきりの声が止んだあと、香が再びマイクを握る。
「本分だけは忘れんなよ。以上」
座ったあとも、涙の止まらない礼の背を朱鳥がさする。
その様を見ながら、しかし毅然とした態度で玲良が立ち上がった。
「次、Luminous Eyes。少なくともあたしから総合的に見て、あんたたちが一番”完璧”に近かったわ」
思わぬ言葉に、ひとみは面喰った表情が出てしまう。
真殿玲良。たゆまぬ努力と強い志を是とする完璧主義者。名前にかけてデビュー当時から自称する二つ名は「パーフェクトシンデレラ」。ある意味では、才能が人の形をしている煌輝クリスと最も対極に位置するアイドル。
そんな自他共に厳しい人間から、思わぬ言葉をかけられた。その事実が、受け入れがたい程に信じられない。
「そうね、点数をつけるとすれば……三十点」
続く言葉で、一気にその評価が妥当なものであると思い知らされた。完璧に近い、ということが、すなわち高得点という意味ではないのだ。
しかし、落胆する必要はない。数値にすれば低くても、現時点で最も高い評価を得られたという事実は変わっていない。
「仕上がり自体はまあまあってところだけど……えーと、栞崎ひとみ? あんたはちょっと理性的すぎね。踊ってる途中もその後の振りとか、魅せるポイントのこと考えてるでしょ。顔と振りに出てる、もう少し外側に意識を向けなさい。で、えー、天宮月乃? あんたは自分を見すぎ。自分の顔やスタイルがいいって分かってる動きだけど、魅せることに注力しすぎて合わせるタイミングに微妙なズレがある。これからは短所を減らすことも意識して活動しなさい。以上」
淡々と並べ立て、他の誰かが意見する前に評価を締めてしまった。特に反応がないところを見るに、言いたいことは全て言った、ということなのだろう。
言われたことを噛み締めるように再確認し、ひとみは神妙な顔で頷く。この後の決勝で、今言われたことを少しでも活かせるようにしなければいけない。
横を見れば、月乃はまたも緊張で固くなっているようだ。後でもう一度、内容の確認を行った方がいいだろう。
会場から、僅かな時間音が消える。誰もが固唾を飲んで見守る中、クリスが立ち上がった。
「最後に、ファンタジスタ! すっ……ごいキラキラしてた!」
齢二十三にして、少女のような爛漫とした瞳で放たれた言葉は、あまりに抽象的だった。
たっぷり二秒ほど待ってから、玲良が肘で脇腹を突く。慣れた様子を見ると、芸風のようなものなのかもしれない。
嬉しそうな笑顔はそのままに、クリスは詳しく語りだす。
「うん、みんな輝いてたんだけどね。Legato a Dueとステラ・ドルチェはお互いを見る目がキラキラしてた。IG-KNIGHTはちょっとメラメラしすぎちゃったけど、努力自体は間違ってないよ」
超がつくほどの有名人である彼女の、その風変りな表現は誰もが知るところながら、それを理解するのは簡単ではない。ただ、冷静でいられる数人はその語り口から一つのことに気が付いた。着眼点が違う。
パフォーマンスそのものについては言及せず、各ユニットの長所のみを語るそのやり方は、優しさから来ると言うよりも最初から違う場所を見ているかのようだ。
加えて、IG-KNIGHTに対しても努力は間違っていない、と断言した。まるで彼女たちのこれまでを見てきたかのような口ぶりも、不可思議なものを感じさせる。
「それからLuminous Eyes。全体で見ればキラキラしてるのに、二人はそれぞれメラメラしてたりギラギラしてたりして面白いね! これからが楽しみ!」
さすがのひとみも、こればかりは言葉の意図を読み取れそうになかった。言葉が違ったとしても、それぞれの単語が何を意味して選ばれたものなのか検討をつけられない。他の言葉選びがポジティブなこともあり、何を言いたいのか推察の余地もない。
「で、ファンタジスタ!なんだけど……うん、誰よりも自由! 思う存分にキラキラしてて私的には一番良かった! 音路恭香ちゃん、凄い頑張ったみたいだね~。ましろちゃんの天然ものの動きにちゃんとついていって、その輝きを損なわせてない。それでいて、ついてくのが大変って全く顔に出ないのもいい。楽しんでるのがこっちにも伝わってくる。ましろちゃんは、やっぱり面白い! 誰よりも自由に輝いてるのに、すごくフラットだよね。振りも詞も、覚えてるって言うより馴染んでる。頭の中で確認しながらじゃなくて、ごくごく自然にアイドルしてる。狙ってできることじゃないから、その感覚は大切にしてね。お互いを信じてるのも凄くよく伝わってくるから、もう少し動きが合ってくればもっと良くなると思う! 以上です!」
一転して、他者にもわかる言葉で話す。あくまでもファンタジスタ!に対する評価であって、他のユニットにわかりやすく言及することを避けたのだろうか。
とはいえ、これで全てのユニットに対する評価が出揃い、いよいよもって準決勝が終わりを迎えた。司会が再びマイクを握り、スタッフが動き始める。
「Principalの皆さん、ありがとうございました! それではこの後、いよいよ決勝戦です!」
発言と共にテレビはCMに、生配信はVTRでカットされたシーンを再編したものに切り替わる。
十人のアイドルたちは、スタッフの誘導により足早に楽屋へと戻っていった。




