第十一話 セレクション・スタート#B
―――その瞬間を、決して少なくない人間が見守っていた。
あるいは自宅から。あるいは喫茶店から。あるいは客席から、スタジオの関係者席から。そしてあるいは、悔しさを噛み締め事務所から。
期待、不安、楽観、諦観。視線より画面へと注がれる感情もバラエティ豊か。それもそのはず、勝ち抜いた一組が手にするものはあまりにも大きい。
この大きくない舞台で、身に余るような栄光を手にするのは果たして誰なのか。
照明が点く。スタッフの声が響く。物理的にそこには無いが、まさに今、幕は上がった。
『輝きに向け、走る少女たちがいる』
ナレーションが響く。オープニング用の短いVTR、この時点ではまだワイプもないが、起動した何台ものカメラは既にその姿を……衣装に身を包み横並びに座る十人を捉えている。
誰もが固唾を飲んで映像を見守るなか、映像は無慈悲にも感じるほどの速さで進んでいく。ナレーションと共に背景として映し出されたのは、ここにいないアイドルたちのレッスン映像だ。
『厳正なオーディションを乗り越え、今日ここに集められた五組。新しい舞台へのチケットは、誰が手にするのか』
VTRが終わり、映像がカメラへ切り替わる。ステージ端でマイクを握る司会が映されると共にその声が始まりを告げた。
「新人アイドル、デュオユニットオーディションBrand New Duo! 本日、生放送でオーディションの最終選考が行われます!」
表情は真剣に、かといって締めすぎず。適度な緊張感をもって臨んでいると伝えるように。こうした場面に慣れていない以上、いつ自分の顔が画面に映っているのかわからない。例えワイプでも気の抜けた表情を見せる訳には行かない。
真剣な顔で並ぶアイドルたちが順番に映されたあと、まるでこちらが主役とでも言わんばかりの熱量がある一点に注がれる。
「そして! 本日、特別審査員として参加するのは、楽園エンタテインメントよりPrincipalの皆さんです!」
客席から割れんばかりの拍手が飛ぶ。弦音がミュート状態で手元に出してある生放送のコメント欄でも、溢れんばかりの文字と感情が激流と見紛うような速度で流れ始めた。
カメラに向かって慣れた様子で手を振るクリスを横目に、カメラが切り替わった瞬間香がぼやく。
「……アタシらが出れば嫌でも期待の新人に目が行くってことか、今気付いたわ」
「あら、香さん気付いてなかったんですか?」
意外、というには少しおどけたように笑う海月を軽く流す。それに続くように、玲良も機嫌が良いとは言えない様子で呟いた。
「この暴走超特急がやることに、いちいち意味とか考えてらんないわよ」
そして観客席の奥、関係者席を見やってこぼす。
「ほんっと、そういうとこあの人に似ちゃったんだから」
視線の先では、司会の声に続き予選の様子を映した密着VTRが流れ始めていた。
まず始めに映されたのは、楽園の本社外観。今年の四月、企画がアイドルたちに発表されるところだ。カメラが入っていることに、新人ですら一切の動揺を見せないあたりはさすが大手事務所といったところだろうか。
楽園からの出場者は、立候補式だった。今回の出場条件を満たしていたユニットは十五組いたが、その中でも三組は考えた結果出場を辞退したという。
挑戦を決めた十二組への取材が映る。真っ先に映されたのは、本選でも有望株であるIG-KNIGHTだ。簡易的な活動紹介がなされた後、レッスンの映像をバックに礼の声が響く。
『Principalへの挑戦、というのが一番の理由です。この事務所でアイドルをやる以上、彼女たちほど大きな存在はいませんから。一度同じ舞台に立てれば、大きな成長も見込めるのではないかと』
続く形で、朱鳥の映像に変わる。
『戦う、競うっていうんですか。アイドルを続けるって、戦い続けることだと思うんですよね。大きい事務所にいるからって、安心してるうちに知らない相手に出し抜かれたりしたら嫌じゃないですか。あたしは絶対負けたくないから、ライバルの顔は覚えたいし、一刻も早く勝ちたいです』
勝った先を見据えている礼に対して、競うことそのものに意味を見出す朱鳥。違う方向を向いているようで、しかしここまで来たその実力が、食い違った二人でないことを確かに証明している。
他にも二組の映像が流れたが、|Legato a Dueはそこに含まれていなかった。そのまま、次の事務所へと場面は移る。
そう、他の事務所だった。大型オーディションへの意気込みを語る様を映されたのは、楽園の二組から続いてここにいない者たち。
締め付けられる思いになった。ステージの上にいた少女たちにとってそれは、目を逸らしたくなるような重いものだった。この後に彼女たちが辿る道と、今どこでどうしているのかを思えば、ありもしない恨み辛みをぶつけられたかのような錯覚さえ、覚えてしまいそうになった。
その後も、レッスンに打ち込む様や、合格したらどの曲を届けたいかと夢見る様子が時の流れと共に映し出される。特に一次予選を通過して喜ぶ様子は、関係者たちにとって最も辛い映像だっただろう。
場面が変わり、”二次予選 当日―――”というテロップが出る。あの時の慌ただしい会場廊下の様子が映された直後、とある楽屋に入っていくカメラの映像になる。その先を察することができたのは、準決勝に進んだ十人の中でも相川涼穂だけだった。
カメラに向けて挨拶したのは、紛れもない煌輝クリスその人。
『実はこの時、Principalの五人が既に審査員として参加していたのだ』
数人の息を呑む音は、幸いにも放送に乗ることは無かった。しかし、ワイプにばっちりと映った驚愕の表情は、視聴者が彼女らの心情を察するに余りあるものだっただろう。
廊下の喧噪が聞こえる楽屋内で、クリスは取材に答える。
『私たちも結構長いじゃないですか。業界の今後じゃないけど、これから先アイドルをやっていく子たちに何か託したいなって。有名なうちに』
笑いながら言ったその言葉が本心なのか、会場にいる大多数には判断しきれなかった。
そして変装する五人の様子が映し出されたあと、審査に向けカメラに挨拶してから楽屋を出る。この時点で、涼穂以外の九人も誰が自分たちを見ていたのかはっきりと知らされることとなった。
緊張感のせいか、未だ鮮明に思い出せる二次予選が画面に映っている。しかし、ただがむしゃらに前へ進んできたJGPの三組にとって、その時とは別物の緊張感を持たされた今見る映像は、まるで体感したこともないような、記憶とは違う程遠いモノに思えた。
あの時は聞けなかった審査員の言葉が、字幕付きで明かされる。真剣に誰を通すか、誰を落とすかを話し合っている様は、それだけ自分たちをプロとして扱ってくれているという喜びと、これから同じように審査されるという現実を同時に突きつけていた。
そして、二次予選の結果発表に場面は映る。緊張の中に、僅かな期待を光らせる少女たちに待っていたのは……落選の二文字。
絶句する者、声を上げる者、耐えきれずその場から逃げ出す者と、その反応は様々だった。関係者席にいる面々も、覚えある光景に胸を締め付けられる。
その光景に重みを感じたのは、放送を見ていた視聴者の一部も同じだった。あるいは身内が出るから、あるいはPrincipalが出るからとただ目を通していたところへ、その壇上に立つためにどれだけの涙が流れたのかをまざまざと見せつける。新人のうちから大舞台に立つ、ということにはそれだけの意味が、意義が、意志が込められているのだと、彼女たちは覚悟をもって戦い抜いてきたのだと、知らせていた。
『波乱を起こした二次予選。予想を裏切り楽園よりも多くの通過ユニットを出したのは、全く無名の新設事務所だった』
ナレーションの声と共に、JGPの社屋が映される。映像を見ている人間の大半が初めて見るであろうその場所に潜入したカメラに映ったのは、まだ芽吹いたばかりの無垢な輝きたちだった。
配信のコメントが急速に勢いを落としていく。そのほとんどが楽園、ないし他のアイドルのファンであったこともあり、困惑の声が多く上がっていた。
食いついた。弦音はそう思った。誰もが予想できなかったダークホース、それを目の当たりにしても、興味を持つ人間というのは実際そう多くない。自分の推しているユニットが敗退した時点で視聴をやめた者もいるだろう。しかし、低く見積もっていた弦音の予想とは異なり、困惑の中にも興味を示すようなコメントは少なからず見られた。
宝多の横顔を見る。この事態を、社長である彼は見抜いていたのだろうか。あるいは、期待していたのだろうか。表情からでは、読み取ることはできなかった。
一月半の密着で撮影された、レッスンや仕事の映像が流れていく。当人としては見慣れた光景、しかしそれ以外からすれば、予想だにしない成績を叩きだした無名事務所の情報。当然ながら向けられる視線には様々な熱が込められる。
その実力の所以を探ろうとする者、どこか知った様子で眺める者、純粋な興味を向ける者。アイドルになって、これほどまでに他者の視線が自分たちに向いていると実感させられたのは初めてのことだった。
平行するように、勝ち残ったIG-KNIGHTとLegato a Dueのレッスン風景や事前インタビューが次々と映し出されていき、時が現在に差し掛かったところで映像は終わる。
「さあ、ということで……厳しい審査を勝ち抜いた五組が、今こうして準決勝の舞台に揃っています! 皆さん意気込みや自信のほどはどうですか?」
司会に言葉を振られ、礼が毅然と返す。
「絶対に勝ちます。それだけです」
冷淡にすら見えるほど端的な言葉を述べ、審査員席のPrincipalを睨むように見る。揺らぎのない、強い信念をもっての言葉だった。朱鳥も当然と言わんばかりの態度をとる。
続く形で恭香がましろへアイコンタクトを送り、マイクを持った右手を上げる。
「私たちはとにかく全力を出し切って、見ている方々も私たち自身も、めいっぱい楽しめたらなって思ってます。ね」
笑顔で頷く二人。それに続いて、月乃が口を開く。
「自信はあります。絆が深いという意味でも、努力と実力という意味でも、私たちが一番であると証明するつもりです」
緊張を解かないよう注意しながら腕を下げる。その横でひとみも強く頷いた。
ひと呼吸ぶんの間を置き、涼穂がカメラへと顔を向ける。
「ここまで応援してくれた方々にも、歌音にも感謝しています。その恩を返すような結果を出せるよう、頑張ります」
思わずわたしも、と口走りそうになった歌音が慌てて口を閉じ、何度も大きく頷く。
そして、待っていましたとばかりに稔がマイクを口へ寄せた。
「少なくとも、この中で一番仲のいいユニットは私たちなので。あとは持てる力を出し切れたら満足です」
涼しい顔で言ってのける様に、礼と月乃が露骨に顔を顰める。蘭子はと言えば、赤い顔でカメラから目を逸らしていた。
十人十色の様相を見せるアイドルたちに、司会がありがとうございましたと謝辞を告げる。
「それでは、ただいまより一次予選、二次予選の映像をダイジェストでお届けします! 公式サイトでは視聴者投票を受け付けていまして、この視聴者票の一位が審査員評価の一票分として審査に加算されます! 皆さん振るってご参加ください、それではどうぞ!」
カメラが外れた瞬間、審査員たちの元へスタッフが駆け寄っていく。これが終われば、いよいよ準決勝の結果が発表される。緊張を顔に出してはいけないとわかっていても、そちらを注視せずにはいられなかった。
予選VTRは、IG-KNIGHTから始まった。五組の中では抜きんでたクオリティを有する二人のパフォーマンスは正確。視線もしっかりとカメラに向いており、どの瞬間を抜き出しても乱れがない。ただ事をこなすだけでなく受け手に届けようという意思があった。
その雰囲気に僅かな変化が見られたのは、二次予選の時。切り替わった映像には、明確な違いがあった。カメラではなく審査員に向けてアピールしている、ということではない。礼の顔つきが、より鋭くなっていた。朱鳥の方に大きな変化が見られないことからも、小さな違いが目立つ。先ほどまでの受け手を意識した感覚とは打って変わり、伝わってくるのはその内面。絶対に負けてなるものかという強い気持ちが、表情にまで現れていた。
表情にこそ出さなかったものの、月乃がそのただならぬ眼光に背筋を冷やしたことは間違いない。蘭子も、ただ勝利だけを渇望するようなその変化には、内心で戸惑いとも驚きともつかない感情を揺らしていた。
続いて流されたのはファンタジスタ!の予選パフォーマンス。雰囲気はまるで違うものになり、クオリティでは半歩劣るかもしれない。しかし、先の光景と対照的に画面の中で目立ったのは、笑顔だった。二人は揃って笑顔、踊れることが、歌えることが、表現できることが楽しくて仕方がないといった顔をしていた。審査があることすら忘れているのではと思わせるようなその顔は、しかし見た者まで笑顔にしてしまうような、不思議な力があった。
そして、二次予選になってそのクオリティは各段に上がっていた。二人の足並みも一次予選と比べ各段に揃ってきており、特にましろの良好なコンディションを存分に活かしたダンスは、見る人の目を奪うと言っていい程に仕上がっていた。
特に、この時まで月乃を最大の敵だと仮定していた礼と、実際のパフォーマンスを初めて見たひとみはカメラの存在を忘れて表情を変えた。レッスンを積んでいるのだから当然、と言っていられないレベルで、ましろは実力を伸ばしていた。否、むしろ評価するべきはそれに追随できている恭香の方かも知れない。個々人の成長が、ユニットの総合力を底上げするいい例を見せつけられているようだった。
次に映されたのはLuminous Eyes。クール系という意味ではIG-KNIGHTからも遠からずといったところがあるようにも見えるが、表現するものは正反対と言えるほどに異なる。IG-KNIGHTが正確性、振り付けに過度な自己表現を混ぜない”静”で魅せているのに対し、Luminous Eyesは振り付けの端々で優美さを思わせるような手付きや動き方の工夫を取り入れており、自己表現の”動”を交えたパフォーマンスをしていた。
そして、ファンタジスタ!とはまた違った形で、この二人も常に笑顔だった。楽しんでいると言うよりは、安らいでいる、安心している、信頼している。振りと相まって、穏やかで美しい印象を受け手に与えていた。
この映像に、礼はどこか不機嫌のような違和感を覚える。確かにクオリティは高いが、その笑顔には勝利への強い意志が見られない―――ように、彼女にはそう見えた。あえて解剖するような言い方をすれば、自分と同じように真剣な表情であって欲しかった。
刻一刻と結果発表が迫る中、Legato a Dueのパフォーマンスが流される。他のユニットと比べても頭一つ抜きんでているのは、その歌声だった。歌音の幼げながらも力を感じる、さながら若さを全力で表したかのような声音に、涼穂の透き通った声を最大限に活かす凛とした歌。異なる輝きが立ち並ぶことで、確かな相乗効果が生まれていた。
どちらかと言えばボーカルに比重を置く恭香とひとみが、特にこの二人を警戒した。審査員の目がそちらに向けば、間違いなく強敵になり得る相手。今のうちから意識しておく必要がある。そう思わせるには十分だった。
最後を飾ったのは、ステラ・ドルチェ。これまでの四ユニットと比べると、最も個性が強いと言ってもいいその特色は、パフォーマンス内のアピールにあった。カメラを、ひいてはその先で見ているファンの存在を意識し、節々でカメラアピールを行うその様は、ファンを第一に考えるという意味では何よりアイドルらしい、一つの正解とも言えるスタイルだった。
それを見て、膝を打つ思いをしたのは涼穂。相方のスタイルに合った、目指すべき先はこういうものだと気付かされたような気分だった。同時に、今ここで勉強になるような経験をしてしまうのは勝利が遠のくようで、少し喜びきれないような気にもなる。
それぞれがそれぞれに抱く印象に少し変化が訪れたところで、映像が終わった。その終わりは、審査の始まりを意味する。
まるで、断罪でも待つような思いだった。自分たちが勝つ、という思いがいくら揺るがなくとも、心のどこかに負けてしまえばどうすればいいのか、と暗雲が見え隠れする。
舞台へ戻ってきた司会、姿勢を正して座る審査員たち。既に幕は上がっている。引き返すことなど、できない。
テレビ側にCMを挟む時間を使って、集計を行っていたであろうスタッフが忙しなく動き回る。この時間も、配信側ではしっかりと映っているために待機時間とすることもできない。一瞬の気の緩みすら許されない空間には、もはや息苦しさすらあった。
「さあ、お待たせしました! 先ほど視聴者投票が締め切られ、集計が完了しました! それではこれより、Brand New Duo準決勝、結果発表に入ります!」




