第十話 エブリシング#C
「お」
「お疲れ様です」
事務所内を歩いていた紅香が偶然出会ったのは、IG-KNIGHTの二人だった。
それまでなら挨拶だけで済ませていたところだが、今は事情が違う。既に審査のため、準決勝へ進んだ五つのユニットのパフォーマンスには目を通してあり……目の前の二人に関して言えば、二次予選で審査したのが自分自身だった。
自分の意見一辺倒という訳でなくとも、彼女らに追随してくるような実力のユニットがいなかった、だから通した、というのが香の本音であったことは確か。しかし、それは即ち彼女ら二人が自分のお眼鏡に適ったのかと問われれば、そんなことは無い。
「……どうかされましたか?」
立ち止まって視線を注がれ、礼に尋ねられる。射止めるような鋭い視線を受けながら、どう返すべきか、即断即決の香にしては珍しく迷った。
言いたいことが無い訳ではない。ただ、今すぐそれを言葉とするにはやや語彙に不満があるうえ、自分の後輩にだけアドバイスじみたことをするのはフェアじゃない。そういった思いが言葉を詰まらせるに至っていた。
らしくないな、とため息をつき後頭部に手を当てる。わざわざ心配などしてやるのは自分じゃない、他の奴に任せればいい。恨まれたとしても、自分には正直でいる。
「……準決勝行く前に、お前らに一つ聞いておきたいことがある」
少し身構えた礼は何かを感じ取ったのだろう、朱鳥の方はただの質問と捉えているのか大きな反応は見られなかった。
「ステージの上のお前らって、なんだ」
直接的なアドバイスにならないよう、言葉は能う限り濁した。答えを聞かせるつもりもない。それが、”らしくない時間”をかけて編みだした言葉。
多少は時間をかけるものかと思っていたが、礼は鋭く真っすぐな瞳で迷うことなく答えた。
「ステージの上かどうかは関係ありません。どこであろうと、私たちは私たちです」
なるほど直球で芯のある回答だ。ファンが聞けば拍手が飛んでくるだろう。
―――でも今のお前らじゃ不正解だ。
「宿題にしといてやる。連絡先よこせ」
ポケットに手を入れ、手触りでスマホが入っていないことを確認すると鞄に手を入れる。丁寧に並べられたコスメの間にスマホを発見し、ぶっきらぼうに礼へと差し出した。
連絡先が手に入るとすぐに歩き出す。これ以上の親切は柄じゃない。
「本番までにあと一回だけチャンスやる。アタシの言いたいことがわかったら送れ、わかんねぇならそれ自体は責めねぇ。下手なこと言うくらいなら何も言うな」
「今の答えは間違っているということですか」
焦りこそ伴っているものの、毅然と言い返してくる言葉に手を振ることで誤魔化しながら去っていく。
歩みを進めながら、二人の顔を思い返していた。パフォーマンス中と打って変わって年相応の表情を見せる朱鳥と、仕事の時でもそうでなくても睨むような眼光の目立つ礼。
思わず、思っていたことが口からこぼれた。
「気付けないのはいいからさ……直せよな、アタシですら出来たんだからよ」
☆
都内の温泉施設。風情というには近代感を伴った和風モダンとでも言うべき内装の中は、平日ということもありやや空いていた。レンタルのタオルセットを手に、月乃とひとみは脱衣所へ向かう。
「こういうところ、あまり来ないんで新鮮です」
「そうなの? 私は毎月来てるけど、もっと早く誘っていれば良かったかしら」
談笑しながら脱衣を済ませ、浴場に入る。築年数が浅いのか、想定していたよりも広い浴場は目を引くくらいに綺麗に見えた。
体を洗い、まずは露天風呂に入る。流石に十一月ともなれば外気が冷たく、一度湯舟に浸かってしまうとしばらくは出られないであろう染み入るような温もりが体を包んだ。
筋肉を軽く揉みほぐしながら息をつく。思えばここ最近はずっと忙しくしていたような気がして、自然と笑ってしまった。
「どうしたの?」
「なんだか、ゆっくりするのも久しぶりだなって」
言われて初めて気付いたようで、月乃もそうね、と背を伸ばした。徐々に体の内側へと熱が巡っていく中で、顔だけが冷たい外気に撫でられている。そのギャップがどこか心地よく、このまま時間を忘れてしまいそうだった。
「そうだ、ひとみ」
ふと声をかけられて顔を向ける。月乃は試すような笑みを浮かべて問うた。
「サウナって入ったことある?」
「あら、奇遇ね」
偶然にも一人しか利用していないサウナ室、その一人が偶然にも稔だった。特に示し合わせた訳でもない出会いに驚く二人とは対照的に、汗を流しながらも余裕のある笑みで出迎える。
ひとみが何か返そうとすると、わざとらしく何かに気付いたような顔をして指をさす。見ると、二人の背後に「会話はお控えください」の注意書きが貼ってあった。
月乃と並んで座り、前方に設置されたテレビになんとなく目を向ける。何を考えるでもなく天気予報をただ目に入れていると、二分ほど経ったところで稔が立ち上がった。汗を拭き取り出口へ向かうところへ、月乃が声をかける。
「随分早いのね?」
「十分経ってるもの。まさか競う気だったわけじゃないでしょ? 子供じゃないものね」
さらりと流され、出ていかれる。ひとみが苦い顔で愛想笑いをしながら見ると、図星だったのか露骨に口を尖らせていた。
八分ほどかけてじっくり体を温め、ぬるめのシャワーで汗を流してから露天スペースに戻る。椅子に座って体を休めていると、月乃がすぐに立ち上がった。
「私、次行くけど」
「あ、私はここまでにしておきます」
言うが早いか稔の後を追うように歩き出す月乃を見て、邪魔しちゃ悪いもんね、と見送る。続いて入るのも無粋だなと思い、また露天風呂に入った。
「あ」
「え」
声を掛けられ、初めてそこに蘭子がいたことに気が付く。冷静に考えれば、稔がいる時点で察しておけたかも知れない、などと思いつつ隣まで近づいていく。
「お疲れ様、蘭子。来てたんだ」
「お疲れ様です……さっきまであちらにいたもので」
手で示す方向を見てみれば、屋根と衝立のついた寝ころび湯の区画があった。そこにいたのであれば、見えないのも道理だろう。
どこかぎこちない動きで筋肉を揉みほぐす蘭子を見て、僅かに危機感が走る。限界近くまでトレーニングをしている証拠、夏より前であれば過度なものは禁物、と話題の種にしていたであろうものが、今はライバルが自分を高めているという危機感として迫って来る。
―――負けていられない。
「ひとみちゃんがいらっしゃると言うことは、月乃ちゃんも?」
「ああうん。稔さん追いかけてサウナ行っちゃった」
月乃の負けず嫌いには思い当たる節があるのか、蘭子はあー、と苦笑する。
「……いよいよですね」
「うん。なんだか、実感ないかも」
「わかりますわかります。大きなライブが近づくにつれて”この日で正しいんだよな……”って謎に実感を消失してしまう例の現象」
笑って話していても、心のどこかに本番の近づく逸り焦りがある。果たして、自分たちはステージに立つ資格を与えられるのか。今しているレッスンが本番に繋がらなければ、どれだけ強い衝撃になるのか。考えればきりがない。
しかし、それでも。前に進む以外の選択肢はとうに切り捨てた。
「負けないよ」
「ランたちだって、負けませんよ」
☆
「すみません、こんなにおもてなしして頂いて」
「いいのいいの~! お父さん遅くなっちゃったし、本番もうすぐなんでしょ? いっぱい食べて元気つけなきゃ!」
「おいしー」
悠姫家。この日は恭香がましろの家に泊まりに来ていた。テーブルの上に所狭し……と言うよりは容赦ない量並べられた料理を、談笑しながら口に入れていく。
マイペースに食べ進めるましろが相槌を打つ形で、話そのものは恭香とましろの母、みどりの二人で進められていた。
「ましろの面倒見るの、結構大変じゃない? この子、ひとみちゃんのことも昔っから困らせてばっかりだから」
「私は、そういうの好きですし。何より、一緒にいて楽しいならOKですから」
笑顔を絶やさず受け答える恭香に、みどりは慈しむような目を向ける。
「面倒見いいんだ」
「……そういうわけじゃ、ないですよ」
ふと、ましろが手を止める。恭香にしては珍しい、ネガティブなニュアンスを含んだ言葉だった。
口角は上げたまま、しかし困ったような表情で、恭香は話し始める。
「……私の家、なんていうかな。いい意味で放任主義っていうか、やりたいことはやらせるけど、あまり干渉はしない、みたいな方針で。だから、興味を持ったことは片っ端からやってたんです。でも、満たされないっていうか、気付いたんです。私にとっての”楽しい”って、周りに人がいて初めて成立するんだって」
少しずつ食事を進めながら頷くみどりと、元のペースに戻って食事を再開するましろ。気を遣ったりはしていない、と続きを促していた。
「だから、誰かと何かしたかったんです。ギターもピアノも、セッションしたくて始めて。でも、同じくらいの熱量でやってくれる子はいなかった。私、今すごく楽しいんです。みんなで同じ場所に立って、同じことをしてるのが。そして、今こうやってましろと並んでステージに立つのが、本当に、本当に心から楽しい」
口ぶりから、湧き上がってくる気持ちが溢れていた。噓偽りのない、ましろと一緒で良かったという気持ちが、”お姉さん”ではなく”少女”としての音路恭香から出た本音だった。
一つ息をついて、みどりはましろに投げかける。
「いいお姉ちゃんができたね、ましろ」
「ん? うん」
「またいつでも来てよ、恭香ちゃん。自分ちだと思ってさ」
ただの主婦というには慣れた様子でウインクされ、恭香は一層その目を輝かせる。そして、食事を再開しながらましろへ問いかけた。
「だって。ましろ、私がお姉ちゃんでもいい?」
「いいよー。恭香ちゃん、ひとみと違ってお母さんって感じじゃないし」
「あんたはいい加減、ひとみちゃんに頼るの卒業しなよ」
笑いながら食べ進める。三人分にしては多いと思われたテーブルの上の料理たちは、意外にも短時間のうちに空になっていた。
食後のお茶を飲みながらゆっくりと息を吐くましろに、恭香がスマホを持って笑う。
「んじゃ、仲良し姉妹記念ってことでみんなに自慢しちゃおっか!」
「それいい、やろうやろう」
「写真撮るの? 食後のデザートあるから一緒に写す?」
その数分後、事務所の許可を得てファンタジスタ!の写真が恭香のSNSに投稿された。
『仲良し姉妹!』
「ばっちし」
「いぇーい」
更にその十数分後、温泉施設内の食事処でパフェをシェアするステラ・ドルチェの写真が稔によって投稿される。
『@Kyoka_Oto826 じゃあ私たちはラブラブカップルで』
「いや文言! というか事務所の許可は!?」
「あら。まあそういうこともあるわよ」
無事、二分以内に許可は取るよう小言が届いたという。
更に少しの間を開けて、寮のロビーで撮ったえれくと☆ろっくの写真が弦音から、同じ場所からClassical Wingの不慣れな写真が彩乃のアカウントから上げられた。
そして同時刻、温泉施設の休憩室。
「みんなこぞって上げてますね」
「私たちも撮るわよ……」
「撮るのはいいですけど、まだ顔赤いですよ。もうちょっと冷ましてから」
「のぼせてないから……!」
そして数分後、ひとみと明らかに普段より顔が赤い月乃のツーショットがひとみによって投稿され、投稿後ゼロ秒でのぼせたことをコメントで指摘された挙句稔によってサウナで張り合った結果自爆したことも暴露された。
「絶対に許さない……」
「そろそろ飲み物追加しますか?」
「お願い」
☆
「お疲れ様でーす」
「お疲れさ……うおっ」
十二月初頭。リハーサルのため準備中のBrand New Duoのステージに、突如として煌輝クリスが現れた。何の話も聞いていなかったスタッフたちは驚く。
自分の席や観客席となるスペースなどを一通り見渡した後、ステージに立つ。動きの遅くなっていたスタッフたちの一人が、気を利かせるように照明を点けた。
眩いばかりの光に照らされ、決して大きくないスタジオを一望する。大きくなりすぎた自分にとっては、もう立つことも難しい小さなステージ。それでも、新人には凍り付くほど大きな舞台だろう。
「ちょっとここ、使わせてもらってもいいですかー?」
「ど、どうぞー!」
許可を得ると、クリスの雰囲気が一変する。周囲に形容しがたい緊張感を走らせた直後、音もないままに踏み出した。
その場にいた全員が、目を奪われる。たった一つの照明、音も無ければ他のメンバーもいない。しかし、だからこそ目を引く振りと響く靴音は、幻覚と疑うほど美しく、芸術的だった。
振りは正確。覚えている、仕上がっているではなく、染み付いている。どんなコンディションであっても、ファンの満足を得るだけのパフォーマンスは絶対にできる、そう思わせるような軽やかさを纏っていた。
そして何より、常に笑顔だった。自分が楽しむことと、観ている人間を楽しませること。その双方を両立させるような、偽りのない素の笑顔。例え本番でなくても、ステージに立つ以上は常にアイドルであると言い放つような完璧さが、そこにはあった。
やがて振りが止まると拍手が起こる。クリスは手を照明にかざして、満足そうに呟いた。
「もうすぐだね。みんな応援してる。頑張れ」




