第九話 チョイス・ナウ#A
「それでは、二次審査通過ユニットを発表する」
厳格さを伴った、あるいは緊張で強ばった声が響く。そう長くない言葉の間が、気が遠くなるような重い沈黙に思えた。
息をすることも忘れて待つアイドルたちの視線を受け、左枝はやや早口で一気に言い切る。
「Bブロック、Luminous Eyes! Cブロック、ステラ・ドルチェ! Eブロック、ファンタジスタ!! 以上三組が準決勝進出だ!」
「……!」
「当然」
ひとみは頬を紅潮させ、息を吐いて安堵する。その隣で、月乃は加速していた心音を悟られないよう余裕を見せた。
「どぅえ!?」
「あら」
予想だにしていなかったのか、大きなリアクションを見せる蘭子。一方の稔は、わかっていたかのように微笑んだ。
「やった!」
「おー」
指を鳴らして喜ぶ恭香の隣で、ましろは手を叩きながらも相変わらず薄い反応を返した。
左枝の言葉に続き、後藤が資料を片手に口を開く。
「んで、だ。今月末から一ヶ月半、本選の放送で流すための密着取材がウチと楽園に入ることになった。レッスンだったり仕事の前後だったり、普段は見せない部分がバッチリ映されるから、各自緊張しすぎないように。これが全体への通達」
全体への、という言葉が嫌に重く聞こえた。つまり、続く言葉をかける相手はこの場の全員ではないということになる。
既に部屋の空気は明暗分かれてきており、話を長く続けると良くないことはプロデューサー陣の目にもはっきりとわかっていた。手短に済ませようと、左枝は資料へ目を落とす。
「続いて準決勝の内容だ。本放送は二時間の生放送を予定している。密着の内容を含めた四十五分程度の映像が流されて、その後に準決勝の審査結果が出る。一次、二次予選の映像を事前に見た審査員十名、加えて公式サイト、スマホアプリ連動による視聴者票一位の計十一票が割り振られ、五組中二組が決勝に進出する予定だ」
事前に聞かされていた内容と変化はない。パフォーマンスをするのではなく、これまでの総合した結果で再審査される。それ自体に問題はない。
しかし、懸念点が一つあった。
「不利ね」
「はい。一票は確実に取られると思って臨まないと」
稔とひとみが発した言葉が、端的に状況を表していた。話は単純、大手事務所である楽園のユニットの方が自分たちよりファンの数が多い。そうなれば、視聴者票を自分たちに傾けることは難しい。
自分たちのファンが楽園のユニットも推している可能性も高く、そうした要素を考えていくと実力だけで視聴者票を奪うのはかなり難があると考えるのが妥当だ。
「純粋な実力でファン票の差を覆さないといけない……ま、そう大きな変化じゃないわね」
月乃は事も無げに流す。元より人気差が大きいことは分かりきっている。今更それが審査に反映されたところで、何かが変わる訳でもない、そう言いたげな様子だった。
気圧される様子もないことを確認して、佐枝は幾分か緊張の解けた様子で伝える。
「そして、準決勝を勝ち抜いた二組での決勝が行われる。今回のオーディションを通じて、唯一自分たちの曲で勝負できるチャンスだ。レッスンは抜かりないようにしておいてくれ。以上、質問や確認事項が無ければ解散とする」
解散、の言葉を聞いた瞬間、ずっと拳を握っていた彩乃が踵を返して勢いよく社長室を出ていった。突然のことに全員が驚くも、誰もそれを咎めることはない。
追って、千里が頭を下げると急ぎ足で廊下へ出ていった。しばらく沈黙が続き、やがてその場は解散となる。
一階に降りた深冬は、感情の整理がつかずにいた。これまで、常に勝つことだけを考えて何かに没頭したことなどなかった彼女にとって、絶対に勝つという気概が結果によって打ち砕かれたのは初めての経験だった。加えて、コミュニケーション能力を除けばかなり器用であったことも手伝い、対人経験以外の大きな挫折ということもまた珍しい。
負けてしまった。もう自分がBrand New Duoで出来ることは無い。突然突きつけられた事実をうまく咀嚼できず、飲み込めずにいる。負けたことを悔やむよりも、悲しむよりも、ただただ困惑が優先していた。
合格した六人は、本放送、そして決勝へ向けて話し合いをするようで、バラバラの部屋に行ったようだ。今、ロビーには最低限の社員と自分しかいない。
「……」
弦音に声をかけるべきだろうか、と逡巡する。二人とも責任を感じていることは間違いない。しかし、何と言えばいいのかわからない。
慰め、励まし、感情の共有。どれをとっても、どこか陳腐に思えてしまい、考えがまとまらない。
けれど、何か。何か言葉をかけなければいけない。そんな危機感めいた観念が、深冬に重くのしかかっていた。
「みーふゆっ」
聞こえた声に肩を跳ねさせ、振り返る。見れば、笑顔の弦音がひらひらと手を振りながら歩み寄ってきていた。そのまま手を深冬の頭に乗せて、軽い口調で続ける。
「まー、悔しーけど負けちゃったもんは仕方ないよね。これで仕事もらえなくなるワケじゃないしさ。元気出し」
「あのっ!」
自分でも驚くほど大きい声が出てしまい、少し怯む。しかし、言葉を遮らずにはいられなかった。
弦音の笑顔にも口調にも、まるで力が入っていない。深冬を励ますためだけに、傷も隠さずに空元気を出している、少なくとも深冬の目にはそうとしか映らなかった。
だからこそ、本音を聞き出すために。深冬は、あえて取りたくない言葉を手に取る。
「……悔しく、ないん、ですか」
笑顔が消え入り、手が下ろされる。弦音はどこか気まずそうな顔をしたあと、真剣な表情で返した。
「ごめん、無理した。やっぱ深冬に嘘ついちゃダメだよね」
申し訳ない、というよりは、深冬と同じで感情の整理がついていない様子だった。無表情とも真剣とも取れる表情の中に、悔しさや怒りのような抑えきれない感情が渦巻いている。
「……昔さ、おとーさんに言われたことあんだよね。小学校の運動会で、一位取れなくて泣き出しちゃった時。”悔しくて泣くのは、次がない時にしろ”って。あーしら、確かに負けたけど、負けたけどさ。まだ次があんじゃん。アイドル辞めなきゃいけないわけじゃないじゃん。だからさ、なんつーの……ここで負けたって泣いてるより、次の仕事もらいにいこーよ」
それは、弦音なりに、前に進もうという意志。真面目にやる、ということを彼女なりに解釈し、今は立ち止まっている時ではないという結論を導き出した。
しかし、その声音は、顔は、声にした言葉の裏側を物語っているようだった。
悔しい。やり切れない。あんなに頑張ったのに。本当はそう言いたい、けれどそれは弱音であり、深冬の前で言ってはいけない。せめて自分の中にある指標を元に、前に進まなければいけない。そんな強迫観念じみた真面目さは、本音を押し殺せていなかった。
「……それは、間違、ってない、と、思います」
慎重に言葉を選ぶ。自分に適切な言葉がかけられるかは分からない。しかし、それでも。今は自分が言わなければいけない場面なのだ。
「けどっ、悔しいって気持ちも、残念って悲しみも、無理して仕舞い込んだら、駄目だと思いますっ……ちゃんと、悔しいって言って、泣きたいなら泣いて、その気持ちに、ちゃんと折り合いをつけないと。苦しいまま進むんじゃなくて、悔しさも分け合って、想い出にすれば、きっと大事な力になるんです」
怖かった。弦音が芯としている父親の言葉を、否定してしまう気がしたから。それで彼女が折れてしまったり、愛想を尽かされてしまうことが怖くて仕方がなかった。
しかし、それでも。今自分がするべきことは、大切な相方の素直な気持ちを聞き出すことだ。
しばらく悩むように顔や視線を動かしていた弦音だが、、やがて頭に手を当てて唇を噛む。
「……正直、悔しい。泣きたいし、今めっちゃ叫びたい」
絞り出すように、本来言いたくなかった言葉を喉奥から落とす。それもまた、彼女なりの責任の取り方。
「頑張ろーと思ったんよ。しっかりしてなくても、あーしのがお姉ちゃんじゃん? だから、こーゆー時……さ……」
話しているうちに声が震え始め、腕を目元にやって横を向く。泣きたくない、という気持ちと向き合いたい、という気持ちがせめぎ合い、これまでに感じたことのない感情が弦音の中で渦巻いていた。
泣くこと自体は構わない。だがここはまだ社屋、人の目は多い。誰もが事情を知っているはずだが、弱いところを見せたくはない。
その時、後ろから諭すような声をかけられる。
「二人共、お疲れ」
「前野、さん」
返事ができたのは深冬だけ。だが前野も理解できているようで、車のキーをわざとらしく回しながら歯を見せて笑った。
「話、ちょっと聞いちゃった。私も深冬に賛成かな、若いんだから、思い切り泣ける時は泣いちゃうが吉! ってことで」
弦音の頭と深冬の肩に手を置き、前野はまるでいたずらでも提案するかのように子供じみた声で言った。
「海とか行っちゃうか!」
「ふえっ」
「ほらほら、車出すから乗った乗った! やっぱ青春と涙っつったら海でしょー?」
半ば無理やり二人の背中を押しながら、前野は密かに慈しむような目で二人を見る。
―――頑張れ、負けるな。私たちも全力でサポートするから!




