第八話 ガッツ!#A
左脚はぴんと立てたまま、右足でリズムを取る。
落とした視線の先に映る自分に合わせ、右手を前に出す。次に、手を振る動きに右脚を追わせていくように大きく回し体の向きを右へと変える。
問題ない。どこかが欠けているようにも見えず、流れも粗なく綺麗だ。特訓の成果は間違いなく反映されている。これなら―――
「ひとみ」
「……あ、はい!」
審査に使った動画を見返していたところを、月乃の声で現実へ引き戻される。座って動画を再生したはずが、いつの間にか立ち上がって動画を追うように手足を動かしていたようだ。
待たせたわね、と笑う月乃に手を振ってそんなこと、と返しながらも、ひとみは自分が想像以上に落ち着けていないことを改めて自覚した。
既に、一次審査の締切から十日が経過していた。左枝たちによれば、もうじき審査の結果、そして通過していれば二次審査の詳細な内容が通達される頃合らしい。
絶対に通過している、という自信はある。しかし、初の大型オーディション、加えて大手事務所にいるアイドルからのライバル視という事実はひとみの心を逸らせるに余りあるものだ。この先、二次予選からは直接ぶつかる可能性も飛躍的に高まってくる。そうなった時、IG-KNIGHTや|Legato a Dueにどう勝つか。
そこまで考えて、やめよう、と一度思考を断つ。それを考えなければいけないのは、実際に直接対決という事態に直面してからだ。それに、誰が相手になろうとやるべきことは変わらない。自分が審査員にとって能う限り十全に近いパフォーマンスをする、それだけだ。
「すぐ出るんですか?」
「いいえ、まだ少し待っていて欲しいそうよ。審査の結果も気になるでしょうけど、勉強も抜かりないって言える?」
いたずらな笑みを見せられながらも、ひとみは間髪容れずに肯定する。元より心配などしていなかったのか、月乃も満足そうに頷いた。
と、廊下の奥でエレベーターの扉が開く。自然と吸われた視線の奥で、慌てた様子の前野が飛び出してきた。かなり急いでいる様子で、途中で躓いて靴を片方落とすのが見えた。
やがて二人の元へやってくると、興奮を抑えられないと言わんばかりの勢いで尋ねてくる。
「今事務所二人だけ!?」
「はい、どうしたんですか?」
「出たの! 一次審査の結果!」
その一言で唾を飲み、頬に冷や汗が伝った。これだけ急いで、それも直に報告に来たということは、余程良い報せか余程悪い報せのどちらかだろう。
拳を握り、覚悟を固める。
―――大丈夫。わかりきっていることを、通過したっていう事実を聞くだけ。絶対通ってる。私たちも、ましろたちも。
「……聞かせてもらえますか」
☆
楽園エンタテインメント、本社。楽屋の一室で、礼と朱鳥はスマホへと視線を注いでいた。映っているのは、先刻まで行われていたマネージャーとの話し合いで受け取った資料。
内容はオーディション運営から届いた通達を一部抜粋したものだが、楽園から出場した十二組は全ユニットが一次予選を通過していた。とはいえ、これ自体は二人にとって当然、ひいては自分たち以外の結果は眼中にないと言ってもいい。自分たちは大手のアイドル、レッスンの質も仕事の量も他とは大きく違う。それでなお落選するようであれば努力が足りないだけ、という考えは二人の間で一致していた。
だからこそ、睨みを効かせるのは続く二次予選の詳細。
「礼、次で当たるかなー、って思ってるでしょ?」
どこか茶化すような聞き方をしてくる朱鳥を、礼は大して気にも留めず端的に返す。
「少しね。でもその必要は感じないっていうのが大半。あの実力を買うなら、今当たっても面白みがないでしょ」
「叩きのめすなら生放送で、ってこと?」
そこまで乱暴にするつもりはない、とでも言いたそうに訝しげな視線を投げながら、礼は画面を閉じる。
「やるならできるだけ高い位置で競いたい、っていうこと。それに、二次審査まで通過できないようなら私の……Principalの見込み違い、それだけよ」
「向こうは一次で落ちてるかもしれないしね」
身も蓋もない言葉は無視して、冷淡に言葉を並べながら立ち上がる。やることは決まった。
「次の審査にジュエリーガーデンのユニットが来ても来なくても、私たちの目的が優勝であることに変わりはない。勝つ、そのためにレッスンする。他に何も要らない」
「ん、じゃ行こっか。早めに現場入りしとこ」
続いて立ち上がる朱鳥の表情もまた、いつもと変わらないものだった。それが緊張であるのか楽観視であるのか、今の礼には判断がつかない。
しかし、それでも。彼女には、朱鳥の努力が本物であるという揺るぎない確信があった。
自然と、昨年の始めを思い出す。それは今の確信が、定かでない浮ついたものだった頃。
―――二人組でユニット、ですか。そうですね…………なら、鈴本朱鳥さんを希望します。恐らく、同期で一番努力している人なので。
「なに、なんかついてる?」
知らず知らずのうちに顔を覗き込んでいたらしい。不思議そうに見返してくる朱鳥を見て、礼は少しだけ口角を上げた。
そう、何も変わらない。最も信頼できる相方がいるという事実も、変わらない。
「次で身内と当たっても、油断しないでね」
「しないから!」
☆
「よーっし……んじゃ開くよ」
「は、はいっ……!」
関東某所の劇場、楽屋。ちょうど公演終わりのタイミングで一次審査の結果が出たことを知らされた弦音は、勿体ぶった前振りをしてから恐る恐る画面上の通知に指を重ねる。
思わず目を半分閉じて顔を逸らしたものの、隣の深冬がはわ、と息を漏らしたことで画面を直視する。
『Brand New Duo一次審査、全員通過! おめでとう!』
「うそ全員!?」
「よ、かった、ぁ」
事務所全体へのグループチャットには、左枝より全員が一次審査を通過した旨が送られてきていた。約八十組が半数まで減らされる以上、誰かが落選していてもおかしくはない。誰しもが自分たちは通るという自信と共に、落選するユニットが出るかもしれないとどこかで考えていた。
そんな中でまったくの予想外である全員通過という吉報は、JGP全体を舞い上がらせるに十分なものだった。
弦音は思わず深冬の手を取って跳ね、物足りなかったのかその直後に強く抱き締める。驚きながらも深冬は笑顔でされるがままにした。
正直なところ、二人には少しの不安があった。ひとみが過去に言った通り、一期生である二人の実力はどう贔屓目に見ても、ゼロ期生に及ばない部分がある。また、ダンスとボーカルに重きを置いた審査という面でも見ても、彩乃や千里のようにどちらかに振り切った積み重ねがある訳でもない。
そういった理由から、口には出さなくとも心のどこかで通過できなかったらどうしよう、と不安に思っていたことは間違いない。
「ほんと良かったぁ……」
「はい、弦音さんのお陰、です」
「お互い様ね! あーしら二人でえれくと☆ろっくだし!」
ひとしきり喜び合った後、劇場を出て東京へと戻る。公演の疲れに加え緊張が一気に解けたせいか、帰りの車では二人ともぐっすり眠っていた。
数時間後、事務所に戻った二人を前野が出迎える。
「お疲れ様! 悪いけど、二次審査について話したいからもうちょっと付き合ってもらえる?」
そう言われて会議室に通される、その途中でLuminous Eyesとすれ違う。
「ひとみ、お疲れ! おめでとー!」
「お疲れ様、二人もおめでとう」
「喜ぶのもいいけど、まだ予選よ。ここからより厳しくなるって、覚悟していきなさい」
短い会話を交わす。その中で、深冬は二人の表情が僅かに険しくなっていることに気が付いた。それが二次審査に対する感情なのか尋ねたかったが、どのみち今の自分たちはそれを聞きに行く道中。余計なことを考えないようにと、前を向いて歩き出した。
そんな深冬たちとのすれ違いを終え、しばらく歩いてからひとみが口を開く。
「……やっぱり、ちょっと作為的に感じますよね」
「どうしても、ね」
月乃も落ち着かない様子で首筋や髪の毛先を触りながら返す。
伝えられた二次審査の内容は、大型の会場へ赴いての審査。課題曲は共通のものに変更されるほか、一次を通過した四十組のユニットから、八組ずつが五つのブロックに分かれることが通達された。
しかし、問題はその振り分け。JGPから出場した五ユニットは、
Aブロック……えれくと☆ろっく
Bブロック……Luminous Eyes
Cブロック……ステラ・ドルチェ
Dブロック……Classical Wing
Eブロック……ファンタジスタ!
と、見事にバラバラに分かれたというのだ。
楽観的な見方をするのであれば、身内同士での争いまで一歩遠のいた分プレッシャーが減ると言えるだろう。しかし、月乃とひとみはこれを見て即座にPrincipalが自分たちを気にかけている、という話を連想してしまっていた。
無論、予選の審査に参加しない彼女らが関わっているとは思えない。二次審査を通過できるのは各ブロック一組ずつということを考えても、楽園をはじめとした他のアイドル全員に勝つなど夢物語もいいところだ。
しかし、上手くいけば全員で準決勝、という偶然にしては出来すぎた事実は、危険な甘さを伴っている。
「……ううん」
小さな声に月乃が視線をやった瞬間、ひとみは自分の両頬を強めに叩いた。ぱん、と大きな音が響き、突然のことに月乃は少し驚く。
「上手くいけば、なんてない。私たちしか通過できないかも知れない……でも、私たちが優勝する。どれだけ目をかけられていても、最後は実力勝負。ですよね」
向けられた瞳には、強い意志が込められていた。まだ社会人になったばかりの高校生、何度覚悟を固めても揺らぎはそれ以上に訪れる。それに打ち勝つ芯を持つことが、先に進むために必要な成長だ。
「……そうね。決まったことにあれこれ悩んでも仕方ないもの。勝ちましょう、必ず」
出来ることは限られている。今の自分たちにできることは、与えられた条件の中で勝てるよう努力を積む、それだけだ。
二人は頷くと視線を前に戻し、歩みを早めた。二次審査までは少しだけ期間がある。無茶の範囲を踏まない限り、レッスンが多いに越したことはない。
「恐らく、楽園から出場するユニットとはほぼ確実に当たります。ここを越えれば、自信もつくはずです」
「あんまり、あの二人とは会いたくないけど」
対面した二人に良い印象のない月乃はどこか辟易した様子で息をつく。それがどこか愛らしく見え、ひとみは小さく笑った。




