第七話 レディ・ステディ#C
レッスンルームの照明が点いていることに気付いた恭香が扉を開けると、中では月乃が険しい顔でダンスレッスンに臨んでいた。
動きは正確、緩急がはっきりとしており動いていても止まっていても美しい。それだけに、その表情が美麗さを欠くようなものであることが気になってしまう。
「月乃」
「……恭香。ごめんなさい、もう時間だったのね」
息を整えながら汗を拭う。視線をよこさないのは、恭香の後ろにましろがいるからだろう。
気になるところではあったが、今の状況で追求しても良い結果を招かないこともまた確かだ。
「頑張ってるじゃん」
「……ええ、少しね」
返事の歯切れも、目に見えて悪い。何かあったことは明らかだ。
個人としては、気にかけたい気持ちが大きい。しかし、今はユニットとしてのレッスン、それも恭香をましろに合わせるため、言わば遅れを取り戻す目的で行なうもの。他のことに時間を割く訳にはいかない。
「顔色、あんま良くないよ。ひとみとはちゃんと喋ってる?」
「……当たり前でしょ」
ともすれば、ただあしらわれたように見えるやり取りだが、恭香はそこに手応えを感じ取った。
同時に月乃も、心配されていたこと、何かあったなら人に頼れと暗に言われていることを少ないやり取りで読み取る。
IG-KNIGHTとの一件があった直後、Principalがなぜかオーディションの審査員に名乗り出たと聞いた時、月乃は焦燥に近い動揺を受けた。いくら自信家かつ努力家であることを売りにしている彼女でも、物事に段取りがあることは重々承知している。まだデビューしたて、卵とも雛ともつかないような位置にいる自分を、遥か彼方の頂点にいるアイドルがなぜ気にかけるのか。その未知がいつしか圧力に変わり、彼女の心を縛っていた。
自分自身、不調であることもその原因もわかっていた以上、他者から言われるまでそれを直せなかったことを悔いる。そして、ばれないよう一瞬だけ恭香とましろに視線を移した。
―――気を遣ったつもりが、頼らないせいで私が沼にはまったってところね。
不器用な自分の性格に苛立ちを見せながらも、月乃は荷物をまとめてレッスンルームを出る。最後に扉を開けたところで立ち止まり、聞こえるかどうかの声で呟いた。
「悪いわね」
「いいよ」
「っ」
聞こえたとしても返事をされるとは思わず、つい振り返る。恭香は先ほどまでと打って変わり、嬉しそうに歯を見せながらウインクして見せた。
不意を突く恥じらいで感情が振り切れ、月乃は靴音を鳴らしながら足早に更衣室へ向かう。その途中で、ポケットに入れたスマホが振動した。取り出してみると、母親からの電話だ。
「……母さん? なに?」
『月乃、自主レッスン終わった?』
「今終わったところ」
以前であれば、店番を頼むための電話をかけてくることが多かったものの、アイドルになったことで喫茶店の手伝いをやめてからは電話で話す回数はめっきり減っていた。だからこそ、何の用があるのかと返答を待つ。が、返ってきたのは思いもよらぬ言葉だった。
『調子良くなってるみたいね』
「は? どういうこと?」
『最近、ずっとムスっとしてたでしょ。時間空いた時にどこか出掛けようかと思ってたけど、元気そうな声色で安心した』
そんなに顔に出ていたのか、ということよりも、声色だけでそこまでわかるのか、の疑問が大きかった。まるで理解できず、伸びたばかりの眉間にしわが戻ってくる。
昔から、母にはどうやっても敵わなかった。常に独特の空気を持ち、余裕を崩さない。かと思えば娘と違って人の機微にも敏い、不思議な人物。隠していることを射抜くように話されるのが苦手で、かといって人付き合いの器用さに欠ける月乃には隠し事をやめることも、上手く取り繕うこともできなかった。左枝にスカウトを受けた時も、勿体ぶって返事を先延ばしにしていたことを見事に見抜かれている。
またか、という苛立ちを抱えながらも、半ば諦めの気持ちで言葉を返す。
「そう。問題ないから」
『私にはいいけど、周りの人にはお礼が言える子でありなさい。ひとみちゃんにもね、家族でお世話になってるんだから』
「……いつ世話してもらったのよ」
少なくとも、覚えている限りではひとみが家族の世話をしたことはない。自分ひとりが世話になっている、ということなら何も言えないが、何も家族ぐるみとまで言う必要はないだろう。そう思っての発言だったが、聞こえてきたのはまたも予想を裏切る言葉だった。
『あの子のアイデアで小さい本棚置いたの、お客さんに人気なのよ。姉さんも喜んでた』
「なに、何の話?」
完全に想定外の全く知らない話をされて、思わず食い気味に聞き返す。確かに、いつからか店の中に見慣れない本棚と数冊の本が置かれていた。それ自体には気付いていたものの、それがひとみの発案であるなど月乃にとっては寝耳に水だった。
『知らなかったの? あなた、ちゃんと仕事場でコミュニケーション取れてる?』
「なっ……当たり前でしょ!?」
心配するような声音に、感情の瞬間風速が振り切れた月乃は遂に怒りを表に出す。続けて怒ってしまった自分が恥ずかしくなり、もういいから、とだけ言って一方的に通話を終えた。
スマホを乱暴にポケットへと突っ込むと、苛立ちと羞恥で入り乱れた心のまま、月乃は数歩前の何倍か不機嫌な顔でまた歩き出す。それでも、自分の落ち度を認めない訳にはいかない。再びスマホを取り出すと、ひとみに向けてメッセージを送った。
「言われなくたって、やったから」
誰にも聞かれないよう独り言ちて、月乃は更衣室の扉を開ける。その体と足取りが少しだけ軽くなっていることに、彼女自身が気付くことはない。
☆
十日後、一次予選に使う動画を撮影するため、Luminous Eyesとえれくと☆ろっくがスタジオに来ていた。
評価点はあくまでパフォーマンス内容であるため、服装はシンプルなTシャツとパンツ。何テイクか繰り返し撮影してから選ぶため時間も長くとってある。
最終確認前のストレッチをこなしながら、弦音は思いつめたような表情の深冬に声をかける。
「深冬固くなりすぎ~! 体やーらかいのにガチガチんなってんよ」
「ぅ」
「だいじょーぶ、あーしがついてる! まず一次、絶対通過すっかんね!」
本番前だというのにあっけらかんとした様子の弦音を見て、深冬は少し笑う。深く考え込んでしまう自分に対して、弦音の持つ身軽さは紛れもない長所だった。
―――本当に、助かります。
「はい、リラックス、して、がんばり、ます!」
「うっしゃそのチョーシ! 通ったらおねーさんがなんかプレゼントすっから!」
その様子を横目に見ながら、月乃はひとみへと問いかける。
「コンディションはどう?」
「問題ありません。月乃さんも」
「心配なんていらないわ。私もしてないしね」
不敵な笑顔を見せる月乃を見て、ひとみは密かに安心する。しっかりと、本番までに憑き物を落とすことができたようだ。
互いにライバルと出会ったことを話し合ったお陰か、二人はこの一週間それまで以上に身を入れてレッスンに励むことができていた。月乃の台詞も、晴れやかな気持ちと十全な準備を以て挑む自信の現れである。
「IG-KNIGHT、Legato a Due……誰が相手でも勝って進む。頂点以外で止まる気なんて」
「さらさらない、ですよね」
遮るように言葉の先を当てて見せたひとみに、月乃は満足そうに頷く。
その様子を見て、機材チェック中の右城と前野も自然と笑みをこぼしていた。いざ大型オーディションの第一歩、緊張してしまうのが当然だろう。そんな状況に置かれながらも、こうして平静でいられるということは、それだけ予選通過にも近いと捉えていいだろう。
機材チェックを終えた右城が、手を叩いて声を張る。
「よし! それじゃあ最終確認のあとに本番撮影を始めるぞ、準備はできてるか?」
「はい!」
この日、少女たちによる大きな一歩が踏み出された。




