第七話 レディ・ステディ#A
九月冒頭、JGP社屋内の会議室。その日は、ファンタジスタ!とえれくと☆ろっくの二組が呼び出され席についていた。
千里を除く九人が夏休みを終えた今、本格的にBrand New Duo予選攻略に向けて動き始める、その第一歩である。
四人の前に立った右城が、資料片手にそれぞれの顔を一瞥する。
「よし。それじゃあ、改めてBrand New Duoのルールから説明していくぞ。このオーディションは全四段階の審査に分かれている。運営からの発表によると、挑戦するユニットの数は八十四組。そして、一次予選の動画審査で……これが約半分まで落とされる見込みになってる」
話が始まってすぐに、厳しい現実を告げられる。大型のオーディションであることはわかっていたが、実際に数字で言われるとその”厳しさ”が如何程のものかが如実に伝わってきた。部屋の中に緊張が走り、アイドルたちが表情を引き締めていく様子が右城の目にもはっきりと映る。
「今言った通り、一次審査は動画を送る形で行われる。三曲ある課題曲の中から一つを選んでパフォーマンスした動画を運営に送って、ダンスとボーカルに重点を置いた審査が行われる、とのことだ」
話を聞きながら、恭香は自前のタブレットに、弦音はスマホにメモをとる。深冬はメモ帳にシャーペンで書き残し、ましろは小さな手帳を開いてペンを持ったまま話だけを聞いていた。
「そして、一次審査を通過した約四十組は、実際に審査員の前でパフォーマンスする二次審査に進む。一次審査の時とは課題曲が変わるから、今はあまり強く意識しなくていい。ただし、この二次審査を通過できるのは……五組だけだ」
メモを取る手が止まり、思わず息を呑む。八十四組、しめて百六十八人にも上った応募者たちはたったの五組、十人にまで絞られるという。オーディションである以上当たり前のことだと頭では理解できているものの、倍率の厳しさは事実として自信を押しつぶしにきた。
「今、頭に入れておいて欲しいのはここまでだな。二次審査を通過した五組はオーディション番組の本放送に出られることになる。準決勝は、一次と二次のパフォーマンスをネット上で公開して視聴者票も集める形で行われるそうだ。そして、ここからが問題なんだが……なんでも”本人たっての希望”らしく、準決勝から審査員が増えることになったらしい」
困った様子で頭に手を置く右城を見て、アイドルたちは首を傾げる。
「準決勝と決勝、番組として放送される部分の審査に、楽園エンタテインメントからPrincipalの五人が特別審査員として参加することになった、みたいだ」
「んえっ」
「わーお……!」
ここに来て発表された予想外のことに、弦音と恭香が声を上げて驚く。普段であれば楽しそうな表情を見せる恭香も、この時ばかりは動揺を隠せないようだった。深冬は声すら上げられない様子で固まってしまう。
右城はそれを見てより眉を寄せながらも、手を出して話を続ける。
「気にすると思うけど、本番まで隠しておくのも悪いと思ってな……まあ、何にせよPrincipalに見てもらうには準決勝まで進むしかない。今は目の前の一次予選を通過することを考えてくれ」
「はーい」
他の三人がそれぞれの表情で黙る中、ましろだけがどこか気の抜けたような返事を返した。
数分後、会議室を出た四人は廊下を歩きながら言葉を交わす。
「……やばばのばばじゃん」
「いやーびっくり! ま、でも二回勝ち進まなきゃいけないんだし。右城さんの言ってた通り、目の前のこと考えないと最初で躓いちゃうよ?」
「わたしは楽しみだなぁ。だって、勝ち進んだらそんな凄い人たちに見てもらえるんだよ?」
「楽、しみ、ですか」
戦々恐々としている弦音と深冬、冷静に事を捉える恭香に対し、ましろ一人だけが手を合わせて屈託のない笑顔を浮かべる。
「気にならない? 本当に人気な人たちから見て、わたしたちがどう映ってるのか」
「……わ、かり、ません。ちょっと、早すぎる、気が、しま、す」
「そーそー。いくらなんでもジキショーソーじゃね? 意味合ってるかわからんけど」
どうにも目の前の現実を受け止め切れずにいる二人だが、それが既に決定事項であることもまた事実。今するべきことが変わった訳ではない。
食い違う意図に黙り込んでしまう三人を、後ろから恭香がまとめて抱き締める。
「とにかくっ! やるべきことは一緒! どのユニットも優勝目指してレッスン頑張るのみ、でしょ!」
「……ま、そーだよね」
「『先のことはその時に、だね。まずは課題曲を選ぶところから始めよう』」
弦音とクーちゃん越しの深冬が目を見合わせて笑う。それを見た恭香は安心したように優しく笑うと、二人を離した。
「それじゃ、私たちはレッスン行こっか!」
「はーい」
片手でましろの頬を揉みながら、恭香は元気よく拳を上げてエレベーターへと向かう。
残された弦音は、深冬と再び目を合わせた。
「んじゃ、あーしらは課題曲もらいに行きますか!」
「はいっ」
☆
都内、レッスンスタジオ・更衣室。レッスン着から普段着へと着替えながら、鈴本朱鳥は横に視線を配る。関根礼はいつもと変わらぬ無表情―――ではなく、ここ最近その表情や立ち振る舞いからは僅かな怒りが見て取れた。
「礼、なに怒ってんの? なんか嫌なことあった?」
普段通りの口調で隠そうとしていた部分をつつかれ、礼は無表情に近かった顔を明確に顰めさせる。
しかし、朱鳥がこうした直情的な振る舞いしかできない人間であることは礼自身よく理解しているつもりだ。自分が機嫌を損ねても意味はないと捉え、息をついてから返す。
「そうね。正直ずっとイライラしてる」
「なんで?」
「天宮月乃……いえ、ジュエリーガーデンプロモーションのことよ」
その口から出てきた名前を聞いて、朱鳥はよりわからないといった様子で首をかしげる。
「そんな怒るようなことあった? なんか大したことない、普通の人だったけど」
適当にあしらわれて機嫌を損ねていたのは誰だったか、と礼は視線で訴えるが、依然として不思議そうな表情のまま着替えを続ける朱鳥を見て、その思考を切り捨てる。
「だからこそ。私たちはオーディションで二百人近くから選ばれて、下積みをして、やっとデビューしたって言うのに。目標のPrincipalは新設事務所の新人に目を向けてる。腹も立つでしょ」
「ふーん……礼もそういうの気にするんだ」
一足先に着替え終えた朱鳥は、立ち上がったかと思うと拳を突き出す。
「ま、そんなのどうだっていいでしょ。あたしたちはトップに立つためにアイドルやってるんだから、そのためならどんな相手とだって戦ってやるよ!」
自信満々といった様子で言い切る朱鳥をよそに、礼も着替えを終え鞄を持って立ち上がる。つま先で床を叩いてシューズのずれを直しながら、無表情で釘を刺した。
「朱鳥のその心意気は買う。けど、彼女たちがただの新人でないことも確かよ」
そう言いながら礼はタブレットを取り出し、その画面を朱鳥へと向ける。そこには、Luminous Eyesの公演を撮影したものが映されていた。朱鳥にとっては、既に見たことのある映像であり今更どこに注目するのだ、といった程度のものでしかなかったが、不満そうに映像を見るその様子に礼が嘆息する。
「感覚が麻痺してるのよ。私たちからすれば確かに超えているレベル、でも他の事務所の新人と比べると、ジュエリーガーデンのアイドルは誰も頭一つ抜けているところがある。レッスンの質がいい証拠よ」
話しながら画面をスワイプすると、映像が切り替わる。今度はステラ・ドルチェの公演だ。
「どういう仕掛けがあるのかは知らないけど、彼女たちには侮れないくらいの実力が備わっている。私たちが負けるはずない、って思うのはいいけど、それは慢心じゃなく責任であるべき……そうでしょ」
未だ納得しきれない様子の朱鳥を気にすることもなく、礼はタブレットをしまい出口へと振り向く。
「このオーディションを通過して、Principalの目を私たちへ向けさせる。そのために、ジュエリーガーデンプロモーションには絶対に勝たなきゃいけない。それだけよ」
「それだけって、ちゃんと言ってくれないと困るんだけど」
歩き出そうとしたタイミングで腕を強く引かれ、礼は姿勢を崩しそうになる。文句を言おうと振り返ったところへ、朱鳥が焦点の合うギリギリの位置まで顔を寄せてきた。
「あたしたちは二人で頂点を目指すんでしょ。だったら倒したい相手も、目標も、二人で共有しないと意味がないじゃん。一人でイライラしてないで、二人で勝つために頑張らないと! だから礼も、あたしを選んだんでしょ?」
不満げな表情は、本音をぶつけていくうちに不敵な笑みへと変わる。その変化を見て、礼もようやく口角を上げた。
「……そうね、ありがとう朱鳥」
「よし! それじゃ行こっか!」
拳を作り、手の甲を軽く合わせる。それから二人は連れ立ってスタジオの外へと歩き始めた。
「うちからは何組出るんだっけ」
「デビュー直前のユニットも含めて十二組。明確に実力があるって言えるのは……|Legato a Dueね。ここ最近で追い上げるように実績を出して……」
☆
JGP、タレント寮ロビー。二階から降りてきた彩乃と千里の目に飛び込んできたのは、並んで勉強する稔と蘭子の姿だった。
夏休みが開けたとはいえ、テスト対策にもまだ早い時期のはず。そう思った彩乃が、先んじて問いかける。
「お疲れ様です。勉強してるんですか?」
「お疲れ様、彩乃、千里さん。ほら、私と蘭子は受験があるでしょ?」
「ぅお疲れ様ですっ! アイドルたるもの、ファンの安心のため受験に落ちる訳にはいきませんから。稔ちゃんのお力を借りて磐石に、ということで!」
確かに、見てみると稔のものらしきノートは見当たらず、机の上に広がっているのは蘭子のノートと参考書ばかりだった。
「稔ちゃんは頭いいものね~。進学先もう決まってるの~?」
「はい。アイドルになる前に、湖城大の理学科に決めました」
事も無げに答える稔に、千里はまあ、と手を合わせる。
「湖城って言ったら都立よね~。偏差値も結構あるでしょ、そんなところに行けるなんて凄いわ~」
「かくいう千里ちゃんも、袱紗芸大音楽学部の弦楽器専攻とかなり一流なところにいらっしゃいますけども」
すかさず蘭子が割って入ると、千里は少し恥ずかしそうに私はいいの~、と手を振る。その横で、彩乃は感心した様子で目を輝かせていた。
「凄いなぁ……蘭子も進学先決まってるの?」
「まあ、幾つかには絞っ」
「ええ。ランには私の後輩になってもらうから」
まだ決まりきっていない様子の蘭子を遮って、稔が得意げに胸を張る。しかし、蘭子の言葉もばっちり聞こえていた彩乃はどちらを信用すればいいのか戸惑い、二人の顔を見比べた。
見るからに嬉しそうな稔に対して、蘭子は気まずそうに背中を丸めている。
「ですから稔ちゃん……ランの学力的にそれはちょっときついので」
「大丈夫よ私が見るもの。それとも同じ制服を着るのは嫌?」
「稔さんも受験ってことは、蘭子が入学したら稔さんはもういないんじゃ……」
どうやら、何度か同じやりとりを繰り返しているらしい二人の会話に、思わず彩乃が助け舟に近い突っ込みを入れる。すると稔は、無粋だとでも言いたげな目で口を尖らせ睨み返してきた。普段の彼女からは想像できない表情につい怯んでしまう。
「卒業しても制服はあるんだから、いいの」
「そ、そうですか……すみません」
謝ってから、自分たちが外へ出る途中だったことを思い出す。時間に余裕を持ってはいるものの、いつまでも話を続けるわけにもいかない。
「そろそろ行かないと。蘭子、頑張ってね!」
「あ、はい! 応援していただけるなんて恐悦至極! お二人もお仕事頑張ってください!」
拳をぐっと握って応援する彩乃に、蘭子も敬礼で返す。千里もひらひらと手を振りながら、寮を出て行った。
再び二人になって数秒。蘭子は大きく息をつくと、人差し指を立てて稔に詰め寄る。
「んもう! ああいうのを彩乃ちゃんみたいなピュアっピュアな子にやったらダメじゃないですか! ランだって度が過ぎれば怒るんですからね!」
蘭子が誰かを叱る、という構図は、他では見られない珍しい光景だった。
しかし、稔は両手で頬杖をついてにこにこと笑顔を浮かべている。まるで叱責の効いていない様子にたじろぎながらも、蘭子は気を持ち直して詰める。
「聞いてますか」
「ええ、もちろん」
「怒っちゃいますよ」
「いいわよ?」
「良くないんですよ!!」
思わず大声を出してしまったが、それでも稔は笑顔を崩さない。
―――あまりに無敵すぎませんかっっっ。
遂に折れてしまいそうになったタイミングで、稔の左手が蘭子の頭に乗る。
「ふふふ、冗談よ。ちょっとやりすぎたかもね」
「……むぅー……」
「ごめんね。けど、後輩になって欲しいのは本当よ?」
一転して諭すように、優しく声をかける。頭や顔を撫で回されながら柔らかな声色でねだられ、ついつい懐柔されそうになってしまうも、なんとか目を閉じて耐えた蘭子はできるだけ厳格に、と心で唱えて締めた。
「とにかく、あんまり過ぎたことはしないように。ワガママやイジりはラン限定ですよ」
「ふふ、はーい」
本当にわかっているのか、という疑念を抱きながらも、蘭子はペンを持ち直しノートに向かい直す。その複雑そうな横顔を、稔は嬉しそうに見つめていた。




