第六話 コーリング!#B
都内のスタジオ。月乃は撮影の仕事に入るため、やや早いタイミングでそこを訪れていた。
後藤からのメッセージを見返し、仕事内容を再確認しながら歩いていたところで、聞き覚えのない声に呼び止められる。
「あ、あんた」
大きな声に思わず顔を上げると、やや幼げながらも強気そうな顔立ちをした少女がこちらを指差している。その礼節を欠いた態度が、自分に向けられていると悟った月乃は眉をひそめて素通りしようとしたものの、少女はつかつかと歩み寄ってきた。
「ジュエリーガーデンプロモーション、Luminous Eyesの天宮月乃でしょ」
「……なに?」
ご丁寧に事務所から並べ立てて名前を呼ばれ、無視する訳にもいかなくなった月乃は不機嫌そのものの態度で言葉を返す。少女はそれに臆することもなく、自信ある様子で胸に手を置いた。
「楽園エンタテインメント所属、IG-KNIGHTの鈴本朱鳥。名前くらいは知ってるで」
「申し訳ないけれど知りません。私に何か用なら事務所を通してください」
自己紹介に押し付けがましい言葉を加えようした少女……朱鳥に、月乃は食い気味かつ素っ気なく返す。そのまま歩き出そうとしたところで、腕を掴まれ大声で返された。
「ちょっと待ってよ。Brand New Duo出るんでしょ? 他の出場者について何も知らないなんて、そんなの有り得ない。あんたまさかライバルの下調べもしてないの?」
矢継ぎ早に直球な言葉を投げられ―――ついでに痛いところを突かれ―――月乃は思わず睨み返す。それに対し、朱鳥は不敵な笑みを浮かべた。
「朱鳥、そこまでにしなさい。初対面の人に対する態度じゃないでしょ」
と、そこへもう一人の少女が現れ、月乃と朱鳥を引き剥がす。そして手を払う月乃に対し、頭を下げながら自己紹介した。
「申し訳ありません、相方が失礼しました。私、楽園エンタテインメント所属の関根礼です。以後、お見知りおきを」
「……そう。それで、私に何か?」
礼と名乗った少女を見て、こちらであればまだ話が通じそうだと感じた月乃は要件を聞く。自分とは違う対応に朱鳥が顔を顰める中、礼は黙って月乃の顔を見つめる。そして、月乃が沈黙に耐え兼ねるギリギリのタイミングになって、やっとのことで口を開いた。
「気になったんです。同じオーディションに挑むアイドルとして、あなたたちのことが」
何か含みを持たせるような、持って回った言い方をされたことで月乃はその場を離れることを忘れた。
それが何を意味しているのかはわからないが、相手が大手だからといって舐められる訳にはいかない。少し強気に、語気を強めて返す。
「楽園みたいな大手のアイドルが私に? 一体どういう風の吹き回しかしら」
その言葉を聞いて、礼は少し悩むような表情を見せる。警戒を解かないよう、月乃は撮影までの時間を確認する。まだかなり余裕はある、探りを入れるくらいはしても問題ないだろう
事実、大手事務所のアイドルが新設事務所の新人である自分たちを気にかける理由が見当たらない。プライドの高い自信家である月乃でも、実力が評価されている訳ではないだろうことはすぐにわかった。
やがて、礼が口を開く。そこから出てきたのは、思いもよらぬ名前だった。
「Principalの方々があなたたちを気にかけていたので、何か関係があるのかと思ったんですが……そちらはご存知ないようですね。お騒がせしました、失礼します」
それだけ言うと、礼は朱鳥の手を引いて来た道を引き返していく。朱鳥は何か言いたそうに月乃を睨んでいたものの、それ以上言葉を発することはなかった。
一方の月乃は、そんな朱鳥の態度を気にする暇もなく呆然としていた。礼の口から出た名前は、”ライバルの下調べもしていない”月乃であってもすぐにわかるものだった。
「Principal……? 嘘でしょ?」
☆
昼食を終えたましろたち四人は、いよいよユニットを組むための本格的な話し合いを始めることとなった。
事前に千里から、自分が得意とすること、やりたいことを今一度考え直してくる、という宿題を受けていた三人は、各々準備を済ませて並ぶ。
「それじゃ、一番手は私からいいかな?」
まず手を挙げた恭香が、アンプに繋いだエレキギターを提げて前に出る。そして、呼吸を整えてからピックを持った右手を掲げ、弦を鳴らし始めた。
低い音でリズムを取り、数節の後に音が高くなると同時にアップテンポな旋律が響き渡る。今回はユニットを組む材料になるということもあり、恭香らしいロックサウンドから少し離れたポップスに近い音楽だった。
演奏をしながらも、恭香は三人の表情を見る。実際に視線を向けられることで、誰が何に注目しているのかを理解できた。千里は弦を抑え、弾き鳴らす手元を。彩乃は恭香の姿全体に目を向け、視覚よりも聴覚に重きを置いて聴き入っている。そしてましろは、恭香の顔をじっと見つめていた。
やがて演奏を終えると、三人に加え見守りの二人からも拍手が飛ぶ。
「凄いです!」
「上手ね~」
「うん、すっごい楽しそうだった」
口々に褒められても恥じらいを見せることなく、恭香はウインクで返す。
「ありがと♪さ、次は誰がやる?」
互いに顔を見合わせた後、少し緊張した様子の彩乃が勢いよく手を挙げる。前に出て呼吸を整えながら軽く手足を振ったあと、スマホから流れる音楽に合わせて踊り始めた。
普段は流され気味で緊張しがちな彩乃だが、ひとたび体を動かし始めるとその雰囲気は大きく変わる。幼げながら端正な顔立ちも相まって、どこか中性的なイメージを纏いながら軽やかに跳ねるその様はクールにも映るものだ。
ダンスそのもののクオリティも、スポーツ少女というだけあって非常に高い。細かい手足の動きから大きく大胆な振りまで、緩急のはっきりとした動きでメリハリをつけつつ、細部に至るまで油断なく意識が向いており、まさに手本のようだった。
彩乃自身は、とにかく自分の内面に集中力を向ける。目線の動きまで含めてダンスという芸術は成り立つ。であれば、徹底的に無駄を排して手本通りに動かなければいけない。
三十秒と少し経ったところで、曲が転調する。テンポが上がり、激しさを増したロックサウンドだ。しかし、彩乃はその急激な速度の変化にもばっちり対応し、ごく自然に音楽とひとつになる。
そして、クライマックス。
―――ここ。
両脚に強く力を込め、バック転で最後を飾る。難なく着地し、ポーズを決めると共に曲が終わった。
「凄いわ~!」
「うん、さすが彩乃。ダンスにかけては事務所一番だね」
「おー」
拍手と共に褒められ、彩乃は照れくさそうに頬を赤らめてそそくさと戻っていった。
続いて視線を合わせたあと、ましろが譲る形で千里が前に出る。その手には愛用のヴァイオリンと弓があった。
いつも通りの笑顔で三人へと向き直ると、ヴァイオリンを左肩に乗せ弓を構える。
次の刹那、場の空気は一変した。
幼い頃より専門の家庭教師をつけて修練を積んできた千里の演奏技術は、その道のプロを選ばなかったことが悔やまれるほどの圧倒的な威力を持っていた。普段の彼女らしからぬ真剣な表情に、感情と技術が多分に乗せられた力強い旋律。それは見るものの視線と心を奪うに飽き足らず、演奏をもってして自分の領域に観客を引き込むような無類の魅力となって襲いかかってきた。
上手い。美しい。流麗でありながら立ち居振る舞いは強く、堂々としている。自身の力量と実績に確たる自信があるからこそ出来ることだ。
千里は、自分の世界に没頭していた。迷いなく、堂々と、自分の意志を乗せて音楽を解き放つ。それが偉大な母の演奏を見て、何も教わらずに育ってきた、自分なりの答え。
最後の小節を弾き終えた千里は、息を吐きながらヴァイオリンを下ろす。しかし、先の二人と違ってすぐに拍手は飛んでこなかった。
「どうかしら~?」
口に出して、やっとのことで反応が返ってくる。
「あ、あたし……こんな凄い演奏、初めてです」
「すみません、ちょっとびっくりしちゃいました。横からはよく見てたけど、正面から見るとこんなに力強いんですね」
「すごい真剣でした」
ましろ以外の二人、特に彩乃は強い衝撃を受けたようで、声が少し震えていた。逆に、恭香はどこか疼くような、楽しみを抑えきれないといった笑みを浮かべている。
そんな様子に、千里はいつもの笑顔で礼を返す。
「ふふ、ありがとう~。さ、最後はましろちゃんの番よ~」
促される形で千里と交代し、最後にましろが前に出る。
「えへへ、ちょっと練習してきたんだ」
自信ありげに笑って、ましろはスマホから音楽を流す。一度の瞬きの後、流れる曲に合わせて踊り始めた。
それは、普段なら触れることもないであろうバレエのリズム。体のバランスを維持しながら、流れるように綺麗な動きで魅せていく。合宿が発表されてから今日までが一週間ということを踏まえると、その習熟度には目を見張るものがあった。未知すら容易に取り入れるその様に三人が感心―――したのも束の間、大きなピアノの音が唐突に音楽を遮る。続く形で流れ出したのは、深冬が歌うようなローテンポのポップスだった。
あまりに急な転換に三人が丸めた目に映ったのは、その急な変化に対応し振り付けを変えるましろの姿。先に彩乃がやったことと同じように思えるが、転調に対し音楽ジャンルそのものが大きく変化している。通常であれば、中断の動きが入るはずだ。しかし、ましろの動きは続いていた。区切りなくシームレスに、その体は次の振りに移行している。
更に数十秒後、今度はノイズ音が響いたと思えばロック、鐘の音が鳴ればクラシックと、目まぐるしくトラックが移り変わる中、ましろはずっと笑顔で踊り続けていた。
手足を自在に動かし踊りながらも、自分の”サプライズ”に驚く三人を見てましろはより目を輝かせる。
―――大成功。見たかった景色、見れた。
やがて、嵐のように過ぎ去った五分を終えたましろは一息つく。
「どう?」
「いや、どう、って……これ、一週間で?」
またも一番大きな衝撃を受けたのは彩乃。ましろの動きは、アイドルとして……プロの仕事として見れば明らかに付け焼刃のものであったが、たった一週間の独学で身につけたとは到底思えない、人に見せられるレベルには仕上がっていた。
と、感情を抑えきれなくなったのか恭香が飛び出し、ましろを抱き締める。
「やるじゃんましろ~! こんなに覚えるの大変じゃなかった?」
「大変だったよ~。でも、色んな音楽聴いて、色んな踊り方するの、凄く楽しかった!」
頭を激しく撫でられながら笑うましろ。そんな様子を見ながら、彩乃は千里の声がしないことに気付き視線を動かす。千里は口に手を当てたまま、石のように固まってしまっていた。驚いた彩乃が恐る恐る、その目の前で手を振って呼びかける。千里ははっと我に帰ったあと、手の位置はそのままに感嘆をこぼした。
「凄いわましろちゃん……たった一週間でこんな……」
いつもの間延びした口調ではなく、噛み締めるようなその言葉には、羨望とも、劣等感とも取れる感情が乗っていた。
その顔を見てか見ないでか、ひとしきりましろを撫で終えた恭香が手を鳴らす。
「さて! 今のでわかったことも多いと思うし、これを判断材料にするってことで、ひとまずはここまで。いいかな?」
「あっ、はい!」
「いいよー」
すぐに返した二人に遅れて、千里もまた笑顔に戻る。
「ええ、そうね~。いろいろ、考えなくちゃいけないものね~」
そんな四人の様子を見ながら、柴崎は誰にともなく呟く。
「厳しいですね」
「そりゃーそうですよ」
独り言として言ったつもりが反応を返され、少し驚く。後藤は淹れてもらった紅茶を口にしてから続けた。
「一見普通の女の子、でもオーディションを勝ち抜いてる。それだけの才能、努力の持ち主ってことは間違いない。まず身内との差を乗り越えなきゃ、”外”に出たときに打ちのめされちまいますからねー」
飄々としたようでいて、その実しっかりと四人全員に視線を配る。そんな後藤の仕事ぶりを見て取っていた柴崎は、あえて何も言わなかった。少なくとも、ここから先は芸能界に疎い自分が踏み込むところでも、独り立ちした子供に余計な世話を焼くところでもない。そう断じて。
ましろたちは、続いて恭香の提案で連想ゲームや性格診断を行うことにしたようだ。話し合いながらお互いの性格や考え方を見ていこうという思惑があるのだろう。その場にいる後藤や柴崎を巻き込むことなく、あくまで自分たちの問題として捉える様を、二人の大人は何も言わず見守っていた。
☆
事務所社屋、休憩室。所属アイドルたちの憩いの場となっているそこに、稔と蘭子が入ってくる。すると、既に室内のソファには弦音と深冬が並んで座っていた。弦音が片手に持ったタブレットを顔を寄せ二人で見つめながら、何やら真剣な表情をしている。
「お疲れ様、二人とも」
「お疲れ様です!」
声をかけると、二人は笑顔になり、クーちゃんと一緒に手を振って返す。
「二人もおっかれー!」
「おっ、『お疲れ様!』、です」
稔たちもソファにかけ、何をしていたのかと問う。曰く、ユニットの方向性を固めたはいいものの、どういった衣装を頼めばいいのかという部分で弦音が考えすぎてしまい、深冬と話しあっていたそうだ。
ファッションに一定のこだわりを持つ弦音から見て、抑えたいポイントは幾つかあるが、それを自分と深冬の両方のイメージに沿うようピックアップするにはどうしたらいいか、考えるうちに混乱してしまうそうだ。
「オーディション、最後まで行けば新曲テレビで歌えるかもっしょ? そーなった時に何も考えてないのってやばばじゃん。気になったら止まんなくてさー」
「『目標は具体的な方が、レッスンにも身が入るしね』……という、ことで」
それを聞いて、蘭子も強く同意する。弦音はしばらくうんうんと唸ったあと、話の矛先を蘭子たちへと向けてきた。
「二人はなんか、ハッキリしてんよね。蘭子に寄せてカワイー! ラブリー! みたいなさ」
「違うわ弦音。二人の未来はスウィートなのよ」
謎の訂正に深冬とクーちゃんが揃って首を傾げる中、弦音はなるほどー! と納得した様子を見せる。蘭子は何を感じ取ったのか、やや顔を赤くしながら言葉を繋いだ。
「ステラ・ドルチェの良いところはそこです。基本的にはカワイイ系でポップなランのスタイルで行くつもりですけど、ご要望があれば稔ちゃんのミステリアスやクールなスタイルも出していける、全方位隙のないユニット! シリアスもいけるカワイイはオタク的にもポイント高めですから」
少し早口な蘭子の言葉に、深冬は嬉しそうに頷く。弦音はふむふむと頷きながら手元のタブレットと視線を交互させた。
「えれくと☆ろっくのイイトコロはー……あーしの音楽性に深冬が乗っかる意外なトコとー、深冬はカッコイイも行けるんだぞってトコとー……あとなんだろ」
「もう少し自分を前に出した方がいいわね」
ユニットの特性を抽出しようと深冬のことばかり並べる弦音に、稔が釘を刺すように言う。
「二人で一つになるのがデュオユニット。良いところ一つ出すのにも、二人が合わさることでどんな相乗効果があるのか、何をファンに届けられるのかを押し出した方が説得力があるわ。私のファンも最初は驚いてたけど、私とランがお似合いだってわかってからは」
「そぉぉーーーーうですねぇ!! 弦音ちゃんのファッショナブルな部分や快活な音楽性と深冬ちゃんのカワイイですとか滑舌の良さですとかそういった要素を掛け合わせるってことを考えるのが良いとランも思います!!」
稔の言葉を無理に遮るように、蘭子は大声かつ早口でまくし立てる。いきなりのことに深冬は跳ねるように驚き、弦音は呆然としてしまった。その一方で、稔は嬉しそうとも意地悪とも取れる笑顔で蘭子の横顔を見ている。
大きく息を吸って吐いて、蘭子は落ち着きを取り戻す。何か言ってくれると、と視線で訴えられた弦音は、どうにか言葉を紡ごうとする。
「えー、ってーと……まー最初に言ったけど、あーしの音楽で深冬の意外なトコを見せるってのが一番で……あーしも深冬に合わせてキレーな感じになったりした方がいいんかな」
「そういう、方向転換も、たまにやる、の、いいと、思いますよ」
何かを察した深冬も、弦音に乗る形で同意する。
と、そこでふと弦音がタブレット内の時計を見て声を上げた。
「あ、今日のクイズセブンライン! そろそろ始まんじゃね?」
「もうそんな時間でしたか!」
蘭子も反応を示し、二人はいそいそと休憩室内のテレビを点ける。
「今日はカオルさんが出んだよね~」
「年に数度のPrincipal対決、見逃す訳には行きません!」




