第二十二話「なんでもないよ」
「よし、仕舞い終わったかな」
会話部に用意された空き部屋に買ってきた品々を並べた。普段の活動場所は授業で使う教室なので使えないのだ。
「じゃ、文化祭前日に準備をするから、その時によろしく。以上、解散!」
お疲れ様でした、と各々返事をして帰り支度を始める。
買い出しでの尾行がバレた後、志葉君は茶川さんの発言一切合切を食い止めるのに必死だった。部長は気になって問い出そうとし、その度に茶川さんが何か話そうとするのを圧で止めに入る、の繰り返しだった。
「帰ろう、ヒデ」
「はい」
サヤカさんに誘われて皆より一足先に失礼した。じゃあね〜と茶川さんが手を振って、それに続いて部長も同じようにする。志葉君が分かりづらくコクと頷いたのも見えた。
「ヒデ」
「はい?」
「コタロウ、うまくいくだろうか」
と、サヤカさんが顔を俯かせながら心配そうに呟く。
「・・・・・・大丈夫だと、願いたいですけど。でも急にどうしたんです?」
まさかサヤカさんが志葉君の恋愛事情に踏み込むとは思わなかった。つい投げかけた言葉に、サヤカさんは声色通りの不安げな表情で言った。
「荒川部長、たまに暗い顔をするんだ」
◇
「ただいま」
返ってくる言葉はない。
留守にしているはずがない。鍵は開いていた。どうせいつも通り無視、聞かなかったフリをしているのだ。今となってはその態度にも慣れてしまったが。
「・・・・・・少し遅いんじゃないか」
リビングに繋がる扉を開けるとすぐその言葉が飛んできた。低く唸るような、まるで隠す気のない怒りが舞っているような声。ダイニングテーブルの席につき、話しかけてきてる癖に視線はテレビに向いたままの状態だ。しかも音量は消している。
テレビの音量がないのは、いつもの説教が始まる合図なのだ。
「言ったでしょ、文化祭準備期間だって」
「お前がすることなんてあるのか?」
「部活。・・・・・・部長として当たり前」
「まだそんなことやってるのか」
鋭い視線をようやくこちらに向けて、またさらに怒気を纏う。
「そんなことより、やることがあるだろう。もう二年生の夏も終わるんだぞ」
「しつこい」
「おい、待てカズネ!」
座れと座席に指を差すのを無視して自室に直行した。
父は毎回こうだ。私に勉強を強引に押し付けようとする。自分のためになるから一応はやっているが、それでも物足りないと言わんばかりに毎回ああだ。
私が会話部をやっているのも当然反対しており、嫌味で退部するよう促してくる。受け入れるつもりなど全くないが、いつまで耐えれるかは分からない。だけど、せっかくの文化祭を、父に台無しにされるわけにはいかない。いつまで耐えられるかは分からなくても、我慢するしかない。堪えるしかないのだ。
『部長』
そんなとき、毎度志葉のことを思い出す。今日何を話しただとか、何をしてくれただとか。思い出すたび、元気になれるのだ。頑張ろうと思えるのだ。
他の部員と比べて特別扱いしすぎ? 自覚はある。でも仕方ないのだ。志葉は、私に元気をくれるのだから。
◇
サヤカさんに言われて、ついつい目で追ってしまう。
「どうかした? 佐木山君」
「あっごめんなさいなんでもないです」
つい早口で目を逸らしてしまった。どう見ても不自然極まりないが、部長はそ? とだけ呟いてそれ以上は何も言わないでくれた。
『荒川部長、たまに暗い顔をするんだ』
本当なのだろうか。元気いっぱいのこの部長が、暗い顔をする?
・・・・・・でも、考えてみれば、同系統(だと思ってる)の茶川さんですら夏祭りのときに友人関係で涙を流したらしいし・・・・・・何もおかしいことではない、のか?
「部長は文化祭誰かと回るんですか?」
「うーん、あんま考えてなかった。回るような友達いないし」
「そ、っすか」
誘おうとしてるんだな、なんて分かりやすすぎる志葉君の反応をチラチラ見守りながら再度部長の表情を窺う。
やっぱり、部長が暗い顔を見せるなんて、想像できない。きっとサヤカさんの見間違いだ。そう信じる。
「よかったら」
「アメセンは文化祭中なにしてんのー? あ、ごめん志葉」
「い、いや、なんでもないんで」
お誘い失敗に見てるこっちも心が締め付けられるような気持ちになる。しかしそんなのも気にしないかのように、机にうつ伏せていた雨笠先生が顔だけを上げた。
「警備」
短く答えると、また顔をうつ伏せた。本当に相変わらずだ。
しかし部長は納得したように「そっかぁ〜」と応えた。そして一瞬時間を置いて「トイレ」と教室を出て行った。志葉君もタイミングを合わせて僕の隣の席に来た。
「お前は香山を誘わないのか」
「まあ、誘うよ。多分」
とは言ったが、正直誘わなくても自然と一緒に文化祭を回るんじゃないかと思っているのは、流石に自惚れすぎだろうか。
と、今度は茶川さんも隣に座ってきた。
「誘うの?」
「僕の話はいいですよ・・・・・・。ていうか、サヤカさんは?」
「トイレ行ってる」
と短く答えて、また一段ギュッと距離を椅子ごと詰めてきた。志葉君は体が大きいのでもう詰める距離はない。
「まあ佐木山君が誘わなくてもサヤカちゃんが誘うと思うけどさ」
「羨ましいぞ。俺も待ってたら部長が誘ってくれたりしないだろうか」
「志葉君、押すのも大事! 佐木山君も!」
「は、はい」
いつの間にか僕含めて恋バナが始まる雰囲気となってしまった。僕を間に挟んで茶川さんと志葉君が楽しそうに談笑する。
「どっかのクラスはフォトスポットやるんだって。しかもハートとかの飾りいっぱいの」
「おお、それは是非とも。・・・・・・いや、露骨すぎるのもな」
「攻めてみてもいいんじゃない? ねえ、佐木山君」
そして僕を置いていかないように話題に入れてくれる気遣いが今だけは居心地が悪い。志葉君の恋愛相談だったらいつでも乗る。だが、自分のことは放っておいてほしい。そんな思考でいるのが自己中だった罰だろうか。
「懸念点はシフトだな。時間帯が上手く合わないと回るのに不便だ」
「そこらへんは任せて、絶対合うようにするから。佐木山君も任せて!!」
「あ、ありがとうございます?」
「俺も手伝うからな」
もう、なんなんだ。
◇
「あ・・・・・・」
女子トイレで荒川部長を発見する。ここに来るために教室を出て行ったのは知っているので驚きはしない。元々ここに荒川部長がいる前提で悩み事もしていたし。
——私の気づきが、気のせいか否かを切り出すことだ。
「お、香山ちゃん」
「・・・・・・荒川部長」
今手を洗っているのを終わらせたら、当然教室に戻っていくだろう。そうなるとまたいつ聞くタイミングが訪れるか分からない。
ならば。
「荒川部長っ!」
「ん?」
パッパッと手についた水を払いながら荒川部長が振り向く。呼び留めておきながら言葉が喉で詰まって出てこない。一旦自らを落ち着かせるために一呼吸する。
「なにか、悩み事でも、ありますか」
聞き方を完全に間違えた、と思った。遠回りすぎる。これでは笑われておしまいだ。ポカン顔の部長はまだ何も言わない。だが何か言うまで待ってくれている。そんな面持ちで私をじっと見つめる。
「えっと・・・・・・気のせいなら、いいですけど・・・・・・。何か、人に話せてないようなこと、ありませんか」
これが正しい切り出し方なのかは分からないが、もう考えない。後は荒川部長がどう返事をくれるかだけを待つ。
荒川部長は一瞬驚いたように口を半開きにして固まる。どう反応するかに迷っているようだった。何か悩みがあるなら頑張って相談に乗る。だから本音を教えてほしかった。出会ってからまださほどの時間はないが、何か助けたいと思った。コタロウの恋事情の手助けにもなるなら、尚更。
しかし、答えは——
「なになに、どうしたの急に。別に何もないよー」
へらっと目を細めて笑って、無邪気に答えるのだった。嘘偽りない表情だった。本当に、何もないのだと、そんな笑みをしている。しかし、それがあまりにも必死な笑顔に見えたのは、気のせいだろうか。
「じゃあ、先戻ってるよ」
そして荒川部長は帰っていった。ひらひらと振る右手には未だ払え切れなかった水滴が滴っている。
私はしばらく突っ立って床を眺めた。用を足すのも忘れて突っ立っていた。私は荒川部長にとって何者でもないのは承知の上だが、ここまで相手にされないとは、思ってもみなかった。
この時、私は夏祭りの日を思い出していた。騒々しい空間に、一人ぽつんと座っていたモエカに、私は声をかけた。モエカは私に何もかもを曝け出してくれて、私は応えてあげようと思いつく限りの本音を吐き出した。それでモエカの心を少しでも救えたのだ。だから、自惚れてしまっていたのかもしれない。私は人を助けられる人間だと、勘違いしていたのかもしれない。
◇
それは帰り道のこと。部活も終わって、いつも通りサヤカさんと肩を並べてそれぞれの帰る家へと向かっていた。だが、そこに会話は生まれない。
僕が話さないというより、サヤカさんが会話をできる表情をしていないのだ。だから強引に話しかけることもやめてお別れ寸前にまで来てしまったのだが。
「・・・・・・あの」
とは言え僕も入学当時から少しは成長できているようだ。
別れる寸前で声をかけた。サヤカさんは反射的に僕の顔を見るが、ポカンとしている。このタイミングで? なんて言いたそうな顔だ。それはそうと思いながらも口を開く。
「大丈夫ですか?」
成長、なんて言いながら結局出たのはそんな一言だけだが。
すると、サヤカさんはふふ、と一人笑い始めた。そしてちょっと笑ってみせる。
「今度は私が心配される番か」
「今度は?」
「私が前に話したことを覚えてるか。部長の表情の話だ」
「ああ、暗い表情を時折見せる、っていう」
うむ、と小さく頷いて夕日に視線を向けた。橙に照らされた横顔から哀愁が漂い始める。
「本人に聞いてみたんだ。・・・・・・相手にされなかった」
「・・・・・・・・・そうですか」
下手なフォローもよした方がいいと思い、つい適当な返事をしてしまった。
サヤカさんは本当に相手にされなかったのか。ただ何も話すような悩みがなかったのではないか。色々と身勝手にいくつかの可能性を考え出してみる。当然結論も出ないのでやめ時を見失ってしまうが、サヤカさんの声が思考を遮った。
「まあ、切り札を使う。私が降参するなんて屈辱的ではあるがな」
「前にも降参してましたね」
「うるさいぞ」
軽くポスっとパンチを喰らう。
「コタロウに相談する。私より当然荒川部長との関わりは多いからな。あいつならなんとかするだろう」
それは半ば投げやり対応であるようにも思える。だが適切な判断だろう。本当に部長に悩みがあるなら、志葉君に任せるのが妥当だ。生徒の話は先生とかにするべきなんだろうが、生憎と唯一思いつく雨笠先生は頼りになる像が見えない。だから、志葉君に託そう。
「ま、賭けとも言える。明日実行するから、よかったらヒデも付いててくれ」
「分かりました」
そして手を振ってようやく別れた。
文化祭まで残り四日間。長いようで短い期間、何が起こるか想像などできない。




