第二十話「ラブコメ」
「最近これ読み始めたんだけど、めちゃめちゃいいよ」
「うむ・・・・・」
私は床に並べられたいくつもの漫画と睨めっこ。元々漫画を読まない性格なのと、数が多くて選び出せない。
初めはモエカが何個か厳選してくれたものを手に取ってみる。モエカも同じく読書を始めたので、部屋はページをめくる音だけに包まれた。
シーンごとに登場人物の表情が変わる。共感もできれば理解できない展開もある。あまりにも無茶苦茶な時は思わず声に出してツッコみたくなる。これが恋愛の勉強なのか、少し怪しくなってきた頃、
「分かってきた?」
三冊目を読み終わったモエカがこちらを見ていた。
私は正直に答えるのに罪悪感を持ったが、黙るのも不自然だと思い首を横に振った。
「わかるー」
「え?」
思わず唖然とした。
否定すれば、なんで分からないの! と拗ねるだろうと思っていたのに。なのに、あっさりと・・・・・なにがしたいのか、全く分からない。
「非現実的すぎるよね、こんなの」
「ま、まあ・・・・・。でも、お前がこれを読めば分かると言ったんじゃないか」
「うん、分かるよ」
「は?」
またも唖然としてしまった。
「恋に形はないってこと」
ズイッと顔のすぐ前に指を差された。
「こんな非現実的で誰も体験したことのない内容なのに、読者は全員、これを恋と認めてる。だから好きって感情に、定義なんていらない。・・・・・あくまで、私の見解だけどね」
「・・・・・これの続き、あるか」
「もちろん」
嬉しそうに渡された漫画を、私はじっくりと読み込んだ。モエカの意見はあくまで一個人の考え方だ。それでも、私にはしっくりと来た。納得できた。
私にも恋はできると、そう思わせてくれた。
◇
つい漫画を読み込んでしまい、時刻は夕方を過ぎていた。窓を見れば綺麗な茜色に染まっている。随分と漫画に読み入ってしまった。これ以上お邪魔するわけにはいかず、私は帰る支度を始めた。
「え〜、もうちょっといてよ〜」
「迷惑だろう」
「全然気にしないよ」
「お前だけじゃなく、親御さんの都合だ」
「もー、分かったよ。聞いてくるから待ってて」
そう言ってモエカは部屋を出ていった。
さて、一人となったわけで。立っているのもおかしかったので、もう一度絨毯の上に座り漫画を手に取った。そして中身ではなく表紙を眺める。
十六と番号が記されたそれは大人気作の最終巻。ポンコツヒロインと優等生主人公という正反対の二人の恋がめでたく実る傑作だ。これを読み終わった時、私はどこか羨ましく思っていた。
人間性が真逆だろうと関係ない、気持ちは通じる。それがこの作品のコンセプトだ。だがしかし、全員がこうであるとは限らない。この二人の場合、数少ない奇跡の歯車が噛み合って道を成したのだ。だから、私は羨ましかった。
再度ページをめくりながら内容を振り返っていると、モエカがようやく帰ってきた。
「全然大丈夫だってよ。なんなら晩御飯食べてってぐらい」
「はは・・・・・」
子は親に似るというのは本当なんだろう。分かりやすい実例が目の前にある。
私は親に晩御飯不要の連絡を送り、その晩はモエカの家でご馳走になることになった。談笑を楽しみながらも、私はどこか上の空でいた。ここにヒデがいればな、なんて思ったりもしながら。
◇
次の日の学校、サヤカさんの様子が一言で言っておかしかった。まず、普段やらないような行動を取ってきた。例えば、精一杯の微笑み(のつもり)を向けてきたり、無理にスキンシップを増やしてきたり・・・・・特におかしかったのは、僕が座ろうとした椅子を代わりに引いてくれたこと。そのときは思わず「なんで?」と一言が漏れてしまったが、サヤカさんは慌てながら「気にするな」と真相を話してはくれない。
そんなはちゃめちゃな学校生活の一日も終わりを迎えて、放課後に入った。
「ねえ、今日のサヤカちゃん面白くない?」
「あ。・・・・・なにかあったんですかね」
突然背後に現れた茶川さんも当事者らしい。そんなに面白かったのか、今も微かに肩を震わせている。
「サヤカちゃん今どこ?」
「トイレに行く、と。帰り一緒なので待ってます」
「んー。じゃ私も待と」
そして肩を並べてきた。茶川さんと二人きりは未だに慣れない。
「そういえばさ。私、サヤカちゃんに恋の定義はないって教えたんだけど。佐木山君はどう思う?」
「え、え?」
「無責任なこと言っちゃってたら怖いからさ。ね、どう思う?」
僕は唐突な質問に答えられるほどの柔軟性を持ち合わせていない。何より先に昨日サヤカさんが茶川さんに連れて行かれたのを思い出し、そこで何かあったのだろうと憶測する。
そこまで結論を出して、ようやく茶川さんの質問への回答を考え出す。
「よく分からないですけど、僕もそう思います」
「おお、同志よ」
と、急にウェイウェイと肩を組み出した。
「夏休み中、サヤカちゃんと遊んだ?」
「はい、まあ・・・・。遊園地とか、夏祭りとか」
「・・・・・・・・え? それだけ?」
深い沈黙の後、茶川さんは信じられないと言わんばかりに目をくわっと見開いた。
「いや、ごめん。思ってたより遊んでないなって」
「そうですか? 結構遊んだつもりだったんですけど・・・・・・・」
「ううん、私がもっと二人に遊んでほしかったなぁ、ってだけ」
遊園地や夏祭りに加え、茶川さん込みで勉強した日もあった。限られた一ヶ月をできる限り充実させたはずだ。
・・・・・・・・でも言われてみれば、満足できていなかったのも事実かもしれない。もっと一緒に、なんて思っていたのかもしれない。
「あ、サヤカちゃん戻ってきた」
「ん? モエカ?」
歩いてきたサヤカさんは茶川さんを見て片眉を八の字にしている。だがすぐに「いつものことか」と表情を戻した。
「すまん、待たせた」
「いえ。行きましょうか」
「あ、待って」
と、帰路を前に茶川さんに止められる。そして駆け寄ってきた茶川さんの手には紙が二枚握られていた。
それをズイッと突きつけられる。
「あげる」
「映画のチケットですか?」
「そ。この前ちょっとした抽選で当たっちゃってさ。でも見たい映画が期限内にないんだよ。だからあげる」
「ありがとうございます」
本人が大丈夫なら、と遠慮なくいただいた。
そして今度こそ帰ろうとした去り際に頑張れ、と聞こえてきたのは、きっと幻聴ではあるまい。
◇
数日後の土曜日。僕はいつかのモールの前で突っ立っていた。用事は、隠すまでもなくサヤカさんと映画を見に来たのだ。
チケットを二枚もらった時点で、茶川さんの言わんとすることは伝わった。あの時の話の流れからして、僕に気を遣ってくれたのだろう。無下にはできない。
相変わらず勝負好きなサヤカさんはモールの到着時間で競おうと言い、家の近くで集合はしなかった。
「ま、待たせたー!」
と、足音に気づいて振り向く。
「むぅ、負けた・・・・。当たり前だが、走りづらいな、このような衣類は」
「こ、こんにちは」
つい声が情けないものに。
目の前のサヤカさんは綺麗に着飾っていた。遊園地の時より一段とお洒落だ。
前を開いたワイシャツの中は黒いノースリーブを着込んでいて、下も透けた黒いスカート。
「どうかしたか?」
「あっ、いや、なんでも」
つい見惚れてしまっていたのを誤魔化すように視線を逸らす。
僕は自分の黒Tと黒スボンという格好が恥ずかしくさえあった。もはや失礼だ。
「・・・・・綺麗ですね」
僕はせめてもの罪滅ぼしとして相手を褒めた。しかし、サヤカさんはまさか自分のこととは思わず空を見上げる。
「普通じゃないか?」
「あ、いや・・・・サヤカさんが」
「ん、あ、え」
ようやく気づいて目を右往左往、手のやり場に困って空振るように手を動かす。
「お、思ったよりお洒落をするのも悪くないと思ってな! モエカに手伝ってもらったんだ。はは・・・・は・・・・・・」
「は、はは、お似合いです」
ああ、言わなければよかった。恥ずかしすぎる。
◇
映画まで微妙な時間があるので、近くのダブルソファに座って内容の再確認をすることに。
「珍しいですね。サヤカさんがこういうの観るの」
「モエカの薦めだ。ちょうど良いのがある、と。・・・・まさか、ラブコメだとは思わなかったが」
「あーでも、そんな話してましたね」
以前映画を見に来たとき、なんと茶川さんに跡を付けられていた。そして去り際にオススメのラブコメを紹介するなんてことを言っていた記憶がある。
あ、待てよ。まさかまた付いてきてたり・・・・・・
「大丈夫だ。今日はいないと再三連絡が来た。勝負も許す、とな」
辺りを怪しく見渡す僕に気づいたサヤカさんが携帯画面を見せてきた。
『明日映画行くんだね!』
『今度こそ付いていかないから安心してよ』
『え、信じてもらえてない?』
『ほ、ほんとについていかないよ』
『お願い、信じて!』
『信じてください!!』
『うるさい』
最後はサヤカさんの痛烈な一言で締められていた。苦笑いしかできない。
「ということだ。だから・・・・・・・」
身長差による自然な上目遣い。
「今日は、本当に二人で楽しもう」
「・・・・っ」
心拍数が上がってきた。相手に聞こえていないか心配になる程バクバク鳴っている。思わず距離を取った。そうすればサヤカさんが怪訝な顔をするのも当然で、また距離を詰めてくる。
もう泣きたい。
「じ、時間ですね。いっ、行きましょう!」
逃げ道を見つけて直行。失礼ながらこうするしかなかった。
飲み物も事前に買ってある。そのまま館内へと入った。そうして暗い空間に入ることで、少しは気持ちが落ち着いてきた。心臓ももううるさくない。
「他に観客いないですね」
「初上映から数ヶ月も経ってるらしいからな」
もう上映時間まで僅かなのだが、人が全く来ない。またもや二人っきりの空間が出来上がり、逃げ道がないことに胃を鷲掴みされた感覚になる。
またあの感じが来たら、今度こそ正気じゃいられなくなる。
「お、始まるぞ」
サヤカさんの声と共に部屋のライトが消灯する。目が暗闇に慣れる前に目の前の巨大なモニターが白く輝き、本編前に注意事項の広告が流れる。
映像に集中しているとき、ピタリと手に何かが当たった。目で確認する前に分かる、サヤカさんの手だ。
「すまん、たまたまだ」
と言いつつ手はそのままで動こうとしない。
また心拍数がやる気を出す。手を伝ってバクバクがバレたりしないだろうか。集中力が完全に切れる。
今だけは茶川さんの一声が欲しいと、切に願うばかりである。
◇
場面はとうとうクライマックス。主人公とヒロインが川沿いで対面に立つ。夕焼けに照らされ、黒いシルエットの二人がとうとうキスを交わした。
サヤカさん、目隠してたりしないかな。ふとそんな意に駆られ左を見た。
予想は外れ。隠されていない眼差しは真剣そのもので、まるで勉強するが如く。もはや恥ずかしい、自分が恥ずかしい。どこまでも恥ずかしい。
数分後、上映は終了した。ライトが点灯し視界が明るくなってから席を立ち、外に出る。映画の内容は面白かったが、それ以外ですごく疲れた気がする。
館内から立ち去り、フードコートに向かった。ちゃちゃっとお会計を済ませたハンバーガーを頬張りながら、お互い映画の感想を述べる。
「一時間とちょっとの尺なのに満足度が高かったな」
「はい。途中の三角関係は複雑でしたけど」
「それには私もつい目を逸らしたくなったな」
ははは、と健気に笑うサヤカさん。格好も相まって彼女味が強い。・・・・・もちろん口には出せないことだが。
「この後はどうするか」
「買い物・・・・・も特にないですもんね」
「近くに何かあるか探してみるか」
そう言うとサヤカさんは携帯を取り出した。任せっきりも悪いので、同様に僕も携帯を持った。地図を開いて周囲を漁る。
何も目覚ましい場所はないかと思ったが、すぐ考えを改める。
「ちょっと歩きますけど、河川敷にでも行きます?」
「外か。その考えもあったな」
サヤカさんの同意も得られたので、早速外へと出た。自動ドアを抜けると、まるで別世界。九月の秋にも関わらず未だ昼は太陽がギラギラ輝いていて、モールから抜けるのが躊躇われる。クーラーのありがたみを痛感する。
移動距離は言うほどないが、日差し直下で疲労は倍増しだ。河川敷に着くとサヤカさんはすぐさま靴を脱ぎ、川へと直行。足首まで水に浸り、気持ち良さそうに天を仰いでいる。僕もそれに倣った。不可抗力に近い。
二人して冷たい感触に目を細め、水に全身
を任せたい気持ちをグッと抑える。
「・・・・・・熱いですね」
そして今更ながらの一言を呟くのだ。
「まあ、いいじゃないか、たまには自然も」
「ですね」
また波紋のごとく会話が途切れた。
しかし今はこれでいいのだ。暑さ八割冷たさ二割、のどかにただ呼吸を繰り返すのが心地いい。
しばらくした後に川沿いの芝生に移動した。足だけ水に当て、サヤカさんと僕は隣り合って座る。
「夏休み、楽しかったな」
サヤカさんが視線を水面からこちらに向ける。
「でも。実は、もっと」
そして距離を詰めてきた。
「もっと一緒に何かしたかった」
「・・・・・・また皆も誘って遊びましょうか」
僕はあえて誤魔化すようにそう言った。しかし、
「ふ、二人! 二人だけで・・・・・・・・・・なんて、わがままだよな」
気持ちの強さが全て外に出たのかと言わんばかりの勢いに思わず唖然とする。
「・・・・・・・僕も、二人だけがいいです」
僕は俯きながら答えたが、水面に反射したサヤカさんの顔とは目が合っていた。きっとサヤカさんも同じようにしていただろう。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「あ、あっ・・・・・っと」
お互い無意識に黙り込んでしまい、その流れを打ち破ったのはサヤカさん。
一体僕たちは何をやっているのだろう。お互いそっぽを向いた。そしてそのまま、
「ど、どこに行く?」
「そ、そうですね。えーっと」
「遊べる場所とかか?」
「落ち着ける場所もいいですね」
「水族館とか」
「景色巡り?」
その後もひたすら案を出し続ける。
すると、サヤカさんが水を思い切り蹴った。
「まあ、急ぐ必要はないな!!」
天を仰ぎながらサヤカさんは満面の笑みで言った。
「高校もあと二年以上ある。まだまだ時間はある」
「僕は全然、卒業後も会う気でいましたけど」
「う、うむ・・・・・・」
本心をぶつけてみると、サヤカさんは顔を赤くして黙り込んでしまった。その顔を見てしまうと、毎度追加でからかいたくなってしまう。今回は我慢するが。
「そういえば、文化祭が近いですよ」
「そうだったな。私達のクラスは喫茶だったか」
「ですね。会話部は何かするんですかね」
なんて会話をしながら足が乾くのを待ち、靴を履き直した。
またもや行き先に困る始末。帰宅というのも妥当の判断だが・・・・・
「まだ帰りたくない」
サヤカさんに一足早くセリフを取られた。
「まだ帰りたくないぞ」
そして圧をかけるように距離を詰められる。おそらく次の行き先を問うているつもりなのだろう。
「さ、サヤカさんは行きたい場所ないんですか」
「ぬ・・・・・っ」
僕も対抗するかのように距離を詰めてみた。
「勝負だな。いかに距離を詰められるかの勝負だ」
そんな口実を作りながら僕達は互いに一歩も引かない。
だが早速自信を失いかける。かなり近い。息が当たってもおかしくない距離だ。人に見られたらなんと思われるか———パキッ
「なんだ・・・・・?」
サヤカさんが出所不明の音を探すべく辺りを見渡す。何も見つからないがそんなはずはないと近くに並び立つ木々に近づいてみると、
「お、お、おまえぇぇぇ・・・・・・?」
サヤカさんは何を見たのか、顔真っ青、目をガンガンに見開いて後退りしていた。
僕も後をつけてみると、
「茶川さん・・・・・?」
「い、いやぁ〜・・・・・えっとぉ・・・・・」
そう、いたのだ。なんと、いたのだ。
「今日はついてきてないと言って・・・・・!」
「ねえ待って違うの、後つけたわけじゃないの! 私ここ散歩してただけ! まさかこんなところにいるとは私も思ってなかったって!」
茶川さんが必死に手をブンブン動かして弁説を試みる。こればかりは仕方ないと納得したいのだが・・・・・したいのだが・・・・・。サヤカさんも僕と同じ気持ちなのか、あんぐりと開いた口をパカパカさせる。
「い、いつからいた・・・・・!?」
「えぇと・・・・・川に入った辺りから・・・・・?」
「全部じゃないか——————ッ!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
うん、誰も悪くない。こればかりは誰も悪くない。
◇
「邪魔してごめんね、本当に」
「いえ、全然・・・・・」
再度戻ってきたモールのフードコート。サヤカさんは紙パックのストローを無言で吸い続ける。完全に拗ねている。
ちなみにこの紙パックと、僕の手元のサイダーは茶川さんの奢りだ。最初は断ったのだが、どうしてもと言うのでお言葉に甘えた。
「サヤカちゃんごめんね」
「・・・・・・」
頭を撫でようが喋らない。茶川さんも思わず苦笑。
「でも、頑張ってたね」
撫でながら小さく呟いた。僕には聞こえなかったが、聞き返すことはしなかった。
「そういえば文化祭近いよね。二人のクラスはなにするの?」
「僕達は喫茶で・・・・・ん?」
突然ポケットの携帯が鳴った。取り出し、届いていた通知を確認してみると———
「ええええ————っ!?」
有無を言わせず人の目を集める発狂が思わず漏れ出てしまった。




