第十六話「頑張れ、敵めが」
夏と言えば海。海といえば美しい。・・・・・・美しいのだ、基本は。
八月七日。今日はサヤカさんの誕生日で、いつもの三人組で海に遠出に来ていた。辺りは自然豊か。逆に言えばコンビニなどは全く見当たらず、良くも悪くも言ってしまえば田舎である。
「ま、まあこうなるよね・・・・・」
おしゃれに着飾り、背中には何が入っているのか不自然に丸く膨らんだ鞄を背負った茶川さんが苦笑する。その顔には無理矢理作った笑顔が貼られていたが、それは仕方のないことで当然とでも言うべきだった。朝早くから準備して電車に乗ってバスに乗って、この結果はあんまりではないか。
隣で傘を差すサヤカさんは無言を貫くばかり。どんな表情かと問えば、答えは「残念極まりない」の一つだろう。
波はザーザー音を立てて揺れる。いや、荒れている・・・・・と表現した方が正しいかもしれない。——そう、僕たちは雨という最悪のコンディションで海に来てしまったのだ。
時間は遡って数日前。
『海に行こう』
いきなりの通知になんだなんだと携帯を覗き見る。文面からして送り主はサヤカさんかと思ったのだが、実際はなんと茶川さんから。
その申し出にとりあえず返したのは疑問と困惑が混ざり合った「なんでですか」だった。それに対し茶川さんはさも当たり前かのように話し出した。
『今度のサヤカちゃんの誕生日に三人で出かけようと思ってて』
『はあ』
『それで、夏と言ったら海でしょ! って』
字面越しでも、その自信満々な笑顔が目に浮かぶ。まあ、その自信は正しいと言えるだろう。夏と言えば海。・・・・・・山という意見もどこからか聞こえてくる気がするが、個人的には海派だ。
実は結構乗り気な僕は八月七日の天気を調べるためネット検索アプリに移動。そして・・・・・凍りつく。
「まずい」
ドンと構える雨マークに眉を顰めた。降水確率は60%・・・・・・まあきっと降る。そして雨が降る中で海など到底楽しめるはずもない。
僕はどう話をし出すべきかとキーボードの上で指をあたふたしていると、相手側から先に連絡が来た。
『雨だった!!』
・・・・・・言う前に気づいたようだ。二つのびっくりマークを付けて元気いっぱいに見えるが、本当のところは失望の気持ちに埋もれているのだろう。
日付をずらして改めて海を訪れるべきだろうか、なんて風に別案に考えを巡らせていると、
『まあ降らないでしょ』
唐突な脳筋っぷり。
『降りますよ』
『降らないよ』
『はい』
粘ってみようかと思ったが秒殺。茶川さんはこうなると頑固だ。きっともう、何を言っても通じない。絶対に矛を通さない盾のようなもの。
『降らない可能性に賭けてみるのも一興でしょ』
『はい』
もう説得は諦めてひたすら首を縦に振る。こう口説かれてみると、なんだか残りの40%という半分もない確率がとても壮大なものに感じてきた。
というわけで、海に行くという方向で計画を立て始めることになった。集合時間と集合場所、どこの海に行くか、の三つを二人で考えてからやがてサヤカさんも計画の考案に参加する。
——そして、今に至る。
「と、とりあえずさ、ご飯食べない?」
「・・・・・・」
「サヤカちゃん食べたいものある!? 誕生日なんだし好きなところ行こうよ!!」
木造建築の小さな宿の下。外の霞んだ景色と似た表情をしたサヤカさんを必死に励まそうと茶川さんは一人声を張る。雨と分かっていて今日を選んだのは茶川さんだ。きっとその責任をどこかで感じているのだろう。だが止めなかった僕にも幾分か責任がある。協力しようと携帯画面を開く。
表示されていくお店を一つ一つ目で追いながら下へスクロール、スクロール。
「近くだとこういうのとか、こういうのとか・・・・」
「海っぽいものがいい」
「お、おっけー! 海っぽいものねっ!」
唐突な要望。・・・・・海っぽいものってなんだろうか。
「ねえ、海っぽいものって何!?」
こっそりと話しかけてきた茶川さんも同じ考えをしていたようだ。身をギュウギュウに寄せて血眼でお店を探す。指先も摩擦で熱くなり、もはや雨も晴れる勢いだ。・・・・・・まあそんなことはなく、未だ外はザーザーの雨で鼠色に染まり上がっている。
「海・・・・・・あ、海の家。海の家と言ったら・・・・・・え、焼きそば?」
「焼きそばですかね?」
「焼きそばだ。よし、焼きそばだよ! 探せー!!」
そしてしばらくして・・・・・・焼きそば店、到着。ここは奇跡的に場所が近く、かつ雨が降ろうが趣ある雰囲気は衰えない建物だ。サヤカさんが静かにルンルンと目を輝かせているのを見て、僕と茶川さんはヨシ! と揃って拳を握る。
店に入ると、気持ちの良い「いらっしゃいませ」に迎えられて、そのまま席まで案内を受ける。四つ席に女子組が並び、僕がその向かい側に腰を下ろす。
「品数多いですね」
早速開いたメニュー表の景色は卵が乗っていたり、お肉の種類が違ったり、海鮮トッピングだったり、チーズが掛かっていたり・・・・・・多種多様で選択が定まらない。
だが、ここで行動が早かったのはサヤカさん。
「これにする」
サヤカさんが指差すのは見る限り最安の豚焼きそば。ここで少し驚いてしまった。これだけ豊富なメニューなのだから、もっとこだわりの強いような品を選ぶと思っていたのだ。
と、サヤカさんの隣に座る茶川さんが、
「本当は何食べたいの?」
唐突に呟いた。まるで心を見透かしたような発言に、サヤカさんはしばらく目を見開いたまま止まった。
やがて硬直が溶けた頃、弱々しく指を動かす。
「・・・これ」
指が着地したのは「ごちゃ混ぜ焼きそば」という奇抜で規模の大きそうな品。言葉通りの意味で、豚肉、チーズ、目玉焼き、ニラ、の四つの具材を合わせたこの店の定番メニュー。らしい。
「おっけーおっけー。佐木山君は決めた?」
「はい」
「よし! すいません〜」
よく分からないまま話が進んでいく。スタッフが注文を承りに駆けつけて、
「これと、これと、このごちゃ混ぜ焼きそばで!」
「は!?」
「かしこまりましたー!」
スタッフと茶川さんの間でサヤカさんが絶叫。しかしそれを誰も気に留めず、スタッフは厨房へ、茶川さんはウキウキしながら注文は終了した。
「何をしてる!?」
説明もなしの茶川さんにサヤカさんが前のめりの体制で噛み付く。
「サヤカちゃん控えてるでしょ」
「だ、だって・・・・最近お金を使いすぎたから・・・・・・・」
「ふふん、私の奢りです」
茶川さんがふんす、と両手は腰に当てて胸を張る。未だ納得できないサヤカさんは何か反論の言葉を探すが、茶川さんは構わず言葉を続けた。
「誕生日なんだしさ! ・・・・あと、夏祭りの借りも返したいし」
と、ここでいきなり夏祭りの掘り返しと来た。前回も二人だけの話があったぽいが・・・・一体なんだったのか。
前回聞くのを諦めておいて野暮だろうが、たまらず僕は聞いてしまう。
「その日って何があったんですか?」
「べ、別に何もないぞ」
またもや分かりやすく事実を隠そうとするサヤカさん。目の泳ぎ方が容疑を認めているようなものなのだが・・・・やはり、それだけ隠したい出来事でもあったのだろう。
もう触れないでおこう——そう決意したところで、
「私が友達グループで仲間外れにされたところでサヤカちゃんが励ましてくれたんだよー」
茶川さんがサラッと、呑気に話し出したのだ。
「え、え?」
情けない声が無意識に溢れ出た。茶川さんは何事もなかったかのようにケロッと笑顔。気にしていない、というよりかは何がなんだかとむしろ頭上にハテナが浮かんでいるようにさえ見える。
「・・・・・まあ、そういうことだ」
諦めたサヤカさんが肩を落とす。呆れているのだと思うが、他にも安堵しているようにも見える。
・・・・・というか、本当に仲間外れにされてたんだ。あの時の適当な憶測が当たっていたことが今は何よりも恐ろしかった。
「精神力が違うのだよ」
「しっかり泣いてたがな」
「わーちょっと! それは言わないで!」
一瞬のドヤ顔が言葉一つで涙目に崩れた。珍しくサヤカさんが「はいはい」と澄まし顔で茶川さんがギャーギャーと騒ぐ構図の出来上がりだ。
そしてしばらく騒ぎ立てたところで各々頼んだ品物が揃う。
「お、おっき」
「食べきれますか? これ・・・・・」
予想外の規模の大きさにサヤカさんが後退り。具材が多いのは当然だ、名前の時点で分かる。だが、皿のサイズがここまで大きいとは思いもしなかった。
もちろんサヤカさんだけではなく、僕と茶川さんのも同様。若干の冷や汗が頬をつたって太ももに落ちる。——もう後には引けないと、全員が覚悟を固めた。
「「「いただきます!」」」
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お皿の半分が空となった頃。
「うっ・・・・・と、トイレ・・・・」
「行ってらっしゃ〜い」
胃袋が限界を迎えてきたサヤカさんが席から立ち上がったことで、デジャヴにも茶川さんと二人きりになった。
沈黙も束の間、急に顔がニヤリと崩れた茶川さんが、
「プレゼント選び困ってるでしょ?」
「買いましたけど」
僕の即答にまたも茶川さんの表情が崩れる。目は点に、口は半開き。
「え、え・・・・・買えたの?」
なんだかすごく失礼な言葉を浴びている気がする。
「まあ大したものじゃないんですけど」
鞄からチラリとプレゼントの小包を覗かせると、茶川さんがそれを穴の空くほど凝視する。
「何にしたの?」
「いや恥ずかしいです」
「いいじゃんいいじゃん教えてよ〜」
「・・・・・猫のキーホルダーです。猫好きってことぐらいしか知らなくて」
出会ってから四ヶ月。色々と相手を知る機会は多かったはずだ。・・・・・だが、何が好きかとか、プレゼントに関係する知識が無くて苦労した結果がこれだ・・・・・脚に行くにつれ細くなっていく二足歩行の黒白猫のキーホルダー。極楽そうに目を細めている表情もなんともシュールだ。
ウケるかどうか不安だったが、そこは藁にも縋る思いで、である。これ以外ピンと来なかったのも正直なところだ。
「やばい、ですかね」
無言の茶川さんの視線に不安が刺激されて、僕は上目でその表情を窺う。
すると、
「いや、いいと思うよ」
茶川さんはごく冷静に落ち着いてその一言。なんだか度肝を抜かれて声が出なくなったのも一瞬、茶川さんは言葉を続ける。
「実用性で選ぶってのが無難だったりするけどさ、ちゃんと相手が何が好きか考えて選んだのは素敵だと思うよ」
「あ、ありがとうございます」
「というより、びっくりしちゃった。佐木山君はプレゼント選び切れなくて私に頼み込んでくると思ってたんだけど」
「・・・・・このキーホルダーがなかったら、多分そうなってました」
実はプレゼント選びに足を運んだお店で色々頭を抱えて足が止まり、茶川さんに連絡を飛ばす寸前で指が止まった・・・・・なんてエピソードがあるが。
「佐木山君って、私が思ってる以上にはやり手だよね」
「それは、どういう・・・・・?」
「分からないフリしちゃって〜、夏祭りに可愛いって言ったんでしょ?」
両肘をテーブルの上に、両手を頬に当てて、そんな風に言い放った言葉が僕の肩を跳ねさせる。
「いや、えっと、言ってない・・・・・いや、その・・・・・・・・・・言いまし、た」
というか、それが初めてではないのだが。
「やっぱ根性あるよ」
「全部うっかりでなんですけどね」
「へえ。・・・・・全部? 全部ってなに? 他にも何かあるの?」
しまった口が滑った。
面白そうな玩具を見つけた赤子の如くグイグイテーブルの反対側から茶川さんが這ってくる。反射的に体が後退りするのだが、椅子に座っていて当然逃げられるはずもなく分が悪い。
誰か助けて——心の中で強く願ったその時、
「なにしてるんだ・・・・・?」
怪訝そうな目つきでこちらを覗き込む顔・・・・・サヤカさんが戻ってきたのだ。
「・・・救世主」
「は?」
ポロッと溢れたその言葉を当然受け入れられないまま、サヤカさんはおそるおそる席に座った。そして食事を再開するわけでもなく、ただこちらを凝視。
すると、スーと軽く息を吸う音が聞こえて、
「・・・・・服、汚れてるぞ」
茶川さんの服を指差す。その意図は・・・・・茶川さんが前のめりになったことで、そのダボッとしたTシャツが焼きそばに当たっていたのだ。当然見間違いなんかではない。確認してみれば、しっかりと茶色い斑点模様が出来上がっている。
「え、あっあっ、あ・・・・・・・ああああ————っ!!」
そして迷惑にも程がある絶叫が店内を、そして客の皆の鼓膜を震わせた。
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美味しく焼きそばを平らげ店を出たしばらく後。
「ここまで来たんだし、お土産でも買っていくか」
そう案を出したのはサヤカさんだ。
海を見に遠くまで来たのに、焼きそばを食べただけのお土産話など誰にも需要はないだろうし、それは名案と言えた。
「ローカルなお店でもないかなぁ・・・・」
行動の早い茶川さんはもう既に携帯で検索を始めている。何もせず突っ立っているわけにもいかず、僕も便乗して携帯を取り出した。
・・・・結果、
「・・・・なんか、パッとこないなぁ」
「思いました」
色々調べたが成果無し。今日は焼きそばだけ・・・・そう諦めかけたとき、
「そういえば・・・・雨、止んでるぞ」
サヤカさんが空を見上げて呟いた。釣られて僕ら二人も視線を上げる。
「・・・・止んでますね」
まだ空は微かに灰色に濁っている。雨上がりのカビの匂いも辺りに漂ったまま。ただ、雨だけはその姿を消した。綺麗さっぱりなくなったのだ。
と、そこで、
「ねえ、今ならさ」
茶川さんが今日一番の笑顔で言った。
「海行けるんじゃない・・・・!?」
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善は急げ。雨は止んだとはいえ、道は未だ滑りやすいというのに、ワクワクは抑えられず小走りになっている茶川さん。その背中を見守る苦笑顔のサヤカさんがチラリと視線を一周。
「雨に気を引かれて気付けなかったが、自然に囲まれているのも悪くないな」
「ですね。まあ、気軽に寄れるお店がないっていうのは厳しいですが」
すると数歩先から「わわっ」と悲鳴が聞こえた。足を滑らせ転びかけた茶川さんがなんとか踏ん張ってみせる。
「っぶ、ぶなーい・・・・・」
「また服汚すなよ、モエカ」
「もうそれはいいってーっ!」
実は焼きそばで服が汚れた後、それがサヤカさんにとってあまりにも面白おかしかったらしく、何度もいじり倒していたのだ。茶色い汚れの対処だが、汚れは奇跡的に裾側にあったため、タックインで誤魔化すことに成功している。しかし流石に拗ねた茶川さんの歩幅が若干縮んで、落ち着いた足取りとなっていた。
「おっ」
と、流石の切り替えでピンと何かに反応した。耳を澄ませて、音を辿り、探っている。
「波の音がする! もう少しだ!」
そしてまたいきなり走り出した。先ほどの小走りとは比べ物にならないスピード。そして衝動的に僕とサヤカさんも足が動いた。
「あぶっ」
「やぁーい、ざまーみろぉー!」
サヤカさんが転びかけたのを見て茶川さんがやり返しに一言言い返してやる。
「・・・・・今日の敵はお前だ! モエカーッ!!」
「浮気者ーっ!」
見事に刺激されてしまったサヤカさんはまた一段階スピードが上がる。そしてみるみる背中が小さくなっていき、僕は完全に置いてかれてしまった。おかげさまで走る気力は失せ、しばらく立ち尽くしてぜえぜえと息を吐いた。その間も二人は気にかけることなく走っていく。
「だめだこりゃ」
追いつくことは諦めた。もうのんびり行こう。
とりあえず、なんとなく、携帯を取り出してカメラを起動した。そして、前に向けてからパシャリ、シャッターボタンを押す。撮った画像を確認してみると、そこには綺麗に二人の走る姿が記録されていた。盗撮まがいな行為だが、これぐらいならバチは当たるまい。
「佐木山くん早くーっ!」
「あ、は、はーい」
いつのまにか振り返っていた茶川さんに呼びかけられ、慣れない大声で精一杯返す。そして再び走り出した。二人の背中を追いかけている内に潮風が匂い始める。気付けば遠くの二人の足取りは止まっていた。
「はぁ、はぁ・・・・ん?」
二人の揃った視線を真似した直後、心を打たれた。穏やかな波、しょっぱい匂い。雨が止んで、そこには理想通りの海があったのだ。
「うわぁ、へへ、すご」
あまりの感嘆に茶川さんは言葉を失った。
サヤカさんは立ち尽くして太陽に照らされる水面を眺めている。
「もっと近づこ!」
茶川さんが手招きをしながら再び駆け出した。石階段を下り、走りずらい砂の上すらなんてことなく超えていく。今日の主役のことすら忘れる勢いに僕とサヤカさんは呆然、次に苦笑。
やがて茶川さんに追いついて、もう一度海を眺めた。
「すごい・・・・」
「よし、着替えてサヤカちゃん」
「は? ・・・・・え、ちょっ!?」
と、いきなりサヤカさんが慌てて両目を隠した。何事かと振り向けば・・・・茶川さんがTシャツをガバッと脱ごうとしていたところだった。
「な、なにしてるんですか!?」
衝撃的な光景に僕も両目を隠した。
しかし、そんなリアクションの僕たちを嘲り笑うように、
「下に水着着てるから脱ごうとしただけだよ」
「・・・・え?」
そう言われてもう一度その姿を確認。茶川さんがほら、と服をたくし上げて・・・・確かに、そこには真っ白な水着がチラリと姿を現している。
ホッと息を吐いた。
「あははは慌てすぎ!」
「いや、誰だってびっくりしますよ・・・・」
「というか、水着なんて持ってきてないぞ」
「え」
「僕もです」
「え」
信じられないと言わんばかりにその表情ががっくり崩れた。
「なんで?」
「泳ぐとは思わなかった」
「泳ぐとは思いませんでした」
「泳ぐでしょうよそりゃさー!」
ぐあっとアライグマの威嚇の如く両手を上げてわんわん喚き始めた。
「はあ、じゃあまた次回までお預けか・・・・・」
「なんか、すまん」
ぐでーと腕を下げて悲壮感漂う茶川さんに、どこからか罪悪感が湧いたサヤカさんが肩をぽんぽん叩く。
と、いきなり気合満々に両拳を握り空を見上げ、
「足だけでも入る!!」
高らかに宣言し真っ直ぐ一直線。
服が濡れようが構わない、そんな勢いで思いっきりジャンプ。水中で砂地に着地。思いっきり跳ねた塩水はしっかりとズボンに付着した。
「冷た!!」
「水着あるなら着替えればいいのに・・・」
服が濡れようがお構いなし。バシャバシャ足で水を蹴り、先程の落ち込みが嘘かのようにはしゃぎ始める。
続いて、ズボンの裾を捲ったサヤカさんが静かに片足を水面に突っ込む。まず指先からの冷たい感覚に驚き、一旦足を引っ込める。そして再度足を入れる。今度は足首までしっかり浸かった。段々と楽しくなってきて、より奥まで進んでみればふくらはぎ全体が濡れる。
「ヒデも来い!」
「はい」
サヤカさんに手を振られたので僕も二人と並んだ。水が冷たく炎天下を歩いた体の疲労がどんどんと失せていく。
「・・・・・・あ」
突然、茶川さんが何か思いついたように小さく呟いた。そして直後——
「そーれ!」
両手で作った器で水を掬って、それを思いっきり投げかけた。狙いは・・・・サヤカさん。
「わぶっ!?」
飛んだ水がはっきり見えたのは束の間、すぐに標的に直撃して飛び散る。サヤカさんの体の動きが止まったのは一瞬。次の瞬間に、
「・・・・・・あ、あっ、目がー!」
「え、あ、ごめん! 大丈夫!?」
サヤカさんが両目を覆って叫んだ。投げた水は大体頭上に当たったのだが、垂れて目に入ってしまったらしい。
「楽しそうでなによりです」
そんな光景を眺めながら、僕は一人呑気に呟いた。
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簡易ビーチバレー、砂遊び、かけっこ。水着が出揃わず茶川さんの理想通りに遊ぶことは叶わなかったが、後悔しないように全力で海を満喫した。服はびちょびちょ、手は砂まみれ。格好は大惨事と化していたが、それでも楽しさに勝るものはない。
しかし、完全に耽っていた。今日一番大事なことを忘れるぐらいに。
プレゼント。サヤカさんに、誕生日プレゼントを渡すのを忘れてしまっていたのだ。気づけば時刻は夕暮れに差し掛かっている。
・・・・うーん、どのタイミングで渡すか。砂の上で座りながら考え込んでいると、突然横から水に襲われた。
「うお・・・・っ!?」
「何をボーっとしてる! 勝負はたった今開幕された!」
「そんな無茶な・・・・」
太陽の代わりにでもなりそうな輝かしい笑顔のサヤカさんの仕業だった。こんなタイミングで敵対視っぽいことをするのは正直意外だった。・・・・ただまあ、めちゃくちゃ笑ってるし楽しそうだし、いいか、と一人納得してしまっていた。
「それっ」
「うわっ・・・・・あっ、目がーーッ!」
「え、まじですか!?」
と、とんだデジャヴがありながら、
「まだ乾かないですよ」
「これじゃ電車乗れないよ〜・・・・」
気づけば夕日も姿を消して、月が出始めようとしていた。日帰りの予定だったので当然宿など取っていない。仮に今日の分の電車がなくなるととんでもなく困る。・・・・ただ、服が乾かなくて電車に乗れない。
「どっかでタオルでも買って、それを席に敷いてみますか」
「売ってる場所なんてあるかなぁー・・・・ま、そうでもしないと電車なくなっちゃうね」
確証はない形で、僕たちはようやく海を離れる。
街灯は少なく、道が暗かった。まだ海が近くて、ほんの少し潮風の匂いがする。
「サヤカさん」
「うむ?」
今しかない。そう思った。
「・・・・これ」
僕はカバンから小包を取り出して、それをサヤカさんに渡した。反射的に広げた手のひらにポツンと置かれた小包を、サヤカさんはしばらくじっと見つめていた。この沈黙が気まずく、僕はそこかしこに視線を動かし回して気を落ち着かせる。
はっ、と気づいたような声。そして、
「誕生日プレゼント・・・・!」
嬉しそうに前のめりの体勢になって目を輝かせた。
「は、はい。別に大したものではないんですが・・・・」
「開けるぞ」
紐のリボンを解いて、袋の口を指でつまみ全開。そして中を覗き込んで、
「猫・・・・」
言葉にしてから手を突っ込み、入っていた物を取り出した。
「猫の、キーホルダー」
「いや、本当にたいしたものじゃなくて・・・・ご、ごめんなさ」
「ありがとう」
優しい声が聞こえた。サヤカさんがその小さな猫のキーホルダーを胸に抱く。ギューっと、それはそこそこに長い間だった。そしてパッとようやく体を離した。
「嬉しい。・・・・嬉しい」
語彙を忘れたかのようにただその一言を繰り返した。これは本心でなのか、気遣いなのか・・・・考えれば考えるほど頭痛が増す一方。ええいままよ、もう言ってしまえ。
「来年は、もっと喜んでもらえるものをプレゼントします。そのために・・・・まずはサヤカさんのこと、もっとたくさん知るようにします」
「・・・・・・くふふ」
僕が勇気を出したその台詞に、サヤカさんは顔を下げて小さな笑いで返した。そして再びこちらを向いた顔には、茶川さんよろしくニヤリ顔がはっつけられていた。
「これ以上喜ばす、か。難しいだろうが、頑張れ・・・・敵めが」
「・・・・・はい」
唐突な上から目線。しかし、腹は立たなかった。その気持ちが本心だと分かったのが、ただただ嬉しかったから。
と、突然茶川さんのことを思い出して、視界を辺り一周ぐるっと回す。・・・・帰路の先にその背中はあった。
「よかった、聞こえてないっぽい」
今の会話を聞かれてたら間違いなくいじられてた。心からの安堵でふぅ、と息を吐く。
「やっぱやるじゃん、佐木山くん」
・・・・・聞こえないフリに、気付けないまま。
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あれからまた数週間。夏休みが終わり、二学期が始まろうとしていた。
そして、まず最初のイベント。
「それじゃ、くじを引いていけ」
先生の合図とともに——席替えが、幕を開けた。
次回から二学期突入です!




