第十五話「証明」
まもなくして花火大会は華々しく終了した。その豪華さと迫力に、もはや唖然とした観客が一斉に拍手を始める。それは遠くから見ていた僕たちにすら聞こえるぐらいの音量となっていた。
「いや、すごかったですね」
「うむ、天晴れだった」
僕はその余韻に浸ってすぐ後ろに一つ置かれたベンチにドサッと腰を下ろした。サヤカさんも続いて隣に座る。
もうただ暗いだけの夜空を僕たちは揃ってしばし見つめる。星も大して見えない。本当に暗いだけ。先ほどまであそこがピカピカと輝いていたのがまるで嘘みたいだ。
「そういえば、さっきの話・・・・」
「ああ、モエカと会った話か」
僕はパッと思い出した話を掘り返す。
「なにも面白い話じゃないのだがな。人混みの流れに巻き込まれたので、モエカにこの場所を教えてもらったというわけだ」
「だとしたら感謝ですね、こんなに綺麗に花火を観れたんですから」
「そうだな。後で探して礼でも言うか」
またもや沈黙。空を見つめる。
「あっ」
と、やらなければいけないことを思い出す。
「浴衣返さないと」
「そうだったな。戻るか」
そしてサヤカさんの同意で席を立ち上がり、さっそく帰路についた。
入るときは暗く不気味に感じた道が、いざ去るとなると涼しい風と揺れる葉っぱの自然音がむしろ心地いい。なんだか名残惜しいものだが、今はとにかくレンタル品を返すべく石の階段をせっせと下る。
「今日は、一緒に来れてよかった」
不意にサヤカさんが口を開く。
「久しぶりに来たが、楽しかった」
「僕もです」
「まあきっと、夏祭りだから、ってだけではないんだろう」
どういうことだろうか、と僕はサヤカさんの方へ振り返る。そこには若干顔を赤くしたサヤカさんがいて、言葉がギリギリで出てこず口が震えていた。
・・・・そして、
「きっと、お前がいるから楽しいんだろうな」
そんな甘酸っぱい言葉をこぼした。
僕は咄嗟に反応できず、ただその相手を凝視することだけで精一杯だった。僕ら二人はしばらくその場から動かなかった。あれだけ急いでいた気持ちも今はどこかへ飛んで消え去った。サヤカさんはまるで言葉を待っているかのように僕を見つめてくる。しかし生憎とうまく頭が働かない。この瞬間に適切で、サヤカさんの求めるその回答が見当たらない。サヤカさんがこれっぽい発言をしたのは初めてではない。なのになぜだ。
「え・・・・っと・・・・」
結局唯一絞り出せた声はそんな頼りないかすれ声。しかしそんなものでは許さない、と言わんばかりの視線は未だこちらを突き刺している。
どうしたものか、と僕が頭を抱えそうになったところで、
「ふ、ふふふっ」
サヤカさんが口を両手で押さえて笑い出した。何がどうなっているのか。状況に置いてけぼりの僕に再度視線を寄越してサヤカさんは言う。
「すまない、試した」
「試した・・・・?」
「うむ」
そして僕より上にいたサヤカさんは片足小ジャンプを右足左足使い分けて一、ニと階段をトントン降りる。
やがて僕と肩を並べたところで続きを話す。
「私はな、少々信じていなかった、お前のことを」
「え?」
「お前は私といるのが楽しい、私といるのが好きだと言ってくれた。・・・・だが、昔の知り合いのように、いずれ私から離れていってしまうのではないかと不安なんだ」
サヤカさんは前を向いている。横顔しか見えない。だが、それでも十分彼女の不安、恐れ、悲しみが伝わってくる。
サヤカさんにかける言葉が見つからない。だが、僕は何も嘘をついていない。それを今は証明してあげたかった。
「・・・・どうすれば、嘘じゃないって分かりますか?」
スッと視線がまずこちらを向く。そしてそれについていくかのように体がクルッとこちらに向き合う。そして僕を挟むように両手がグッと伸びてきた。
「抱擁だ」
・・・・まじか。
今まで頭を撫でられたり、手を繋いだり、おんぶしたり・・・・色々なことがあった訳だが、ついに抱擁と来た。
僕はしばらく考え込んだ。確かに真実であると証明したい気持ちはあったが、度胸というものが足りていなかった。
——だが、それでも・・・・気持ちの方が何倍も大きかった。
「・・・・ん」
僕がその小さい背中に腕を回すと、サヤカさんは小さく声を漏らした。そしてこちらの背中にも手のひらが当たり、ぬくもりが伝わってくる。
こうしてみると伝わってくるのだ、相手の今の気持ちが。この若干の震えは自身の行動への恥、そして僕の本音への疑心。過去に何があったのかは知らないが、きっと相当なストレスだったのだろう。
その時間は長かったか短かったか。抱き合っている間はとにかく無心に徹した。何も考えないようにした、変な気持ちが起きないように。そしてしばらくした頃、
「・・・・よし!」
サヤカさんがパッとその体を離した。そこには満足げで嬉しそうな顔があった。
「疑って悪かった。お前の言葉は本心だ。きっと、これからも傍にいてくれるのだろう」
「・・・・もちろ」
「サヤカちゃーーん!!」
と、ふいに僕の声を遮る大声が飛んできた。だんだんと近づいてくる足音に僕らは目を向ける。
「あ、いた! 佐木山君も!」
「どうしたモエカ、こんなところに」
「サヤカちゃん迷って帰ってこれないんじゃないかなって心配したんだよ」
「子供扱いするな! ここまで来れたのだから帰りも平気だ!」
茶川さんはぜえぜえと息を吐いている。サヤカさんに苦言を吐かれてはいるが、それでもきっと心配する気持ちは本物だ。
「・・・・なんか、顔赤いよ? 暑いの?」
「気のせいだろう」
「んー?」
疑い深くサヤカさんの前髪を払い、その額を手のひらで触れる。そしてますます分からなくなったかのように首を曲げる。
「熱はない。・・・・・・・本当に気のせい?」
「だ、大丈夫だ!」
叫んだサヤカさんが強引に手を払いのける。
いい加減納得した茶川さんは、払われた手を下ろして背中の後ろに両腕を隠す。
「まあいっか。じゃあほら、暗いから手繋いで〜」
「・・・・全く、さっきとはすっかり態度が違うじゃないか」
はあ、と大きいため息を吐く。それは確かに不満を含んだものだったが、どこか安心も混ざったようなため息だった。
だからこそ僕は気になった。
「なにかあったんですか?」
「ん、んんっ!? いやっ、特に何もなかったが!?」
そして目をかっぴらいて分かりやすく慌て出した。これは確実に何か隠している。僕は一瞬詮索を狙ったが、すぐにやめた。仮に何かあったのだとしても、二人の間では既に解決しているっぽい。僕が入り込んでは迷惑だろう。
そうして何事もなく無事に山を抜けて夏祭り会場に戻ってきたわけだが。
「人減りましたね」
「花火大会が大目玉だからね。見るもの見て帰ったのかも」
そのとき、サヤカさんはハッと何かを思い出したようで、勢いよくこちらを向く。
「りんご飴!!」
「・・・・・・・・・ああ」
いきなりの一言に何事かと思ったが、僕はすぐに思い出す。
花火大会開始までに屋台はある程度寄っておいたのだが、りんご飴の屋台のみ何故か異様に列が長く諦めてしまったのだ。
人が減った今なら手が届くかもしれない。
「行きますか」
その言葉にサヤカさんはコクコクと力強く首を縦に振った。思わず苦笑する。
そんなに食べたかったのか。
「あー私も食べ損ねてた」
というわけで、みんなで足並み揃えて向かうことにした。
案の定、列は断然縮んでいた。良しよしとご機嫌なサヤカさんとそれを微笑ましそうに眺める茶川さんと並んで購入し、場所を移してその包み袋を剥がす。
そして嬉しそうに目に星を宿らせたサヤカさんが一番手で大きくかぶりつく。歯が当たる瞬間、ガッ、と鈍い音が鳴った。次に涙目のサヤカさん。
「・・・・・固い」
「最初は舐めないと」
気持ちはわかるけど、といった感じの茶川さんは苦笑で返す。そして歯の痛みに悶える本人は大人しく素直に、その赤い果実に纏う砂糖の塊をぺろぺろ舌で舐め始める。冷静なふりして美味いと評する悦が地味〜に顔に浮かんでいる。
まるではしゃぐ子供を見守るかのようにしている僕と茶川さんも続いてりんご飴を楽しむ。味は程よく甘く、サヤカさんの顔が示す通り美味しい。
と、
「なんか、リップみたいになってますよ」
りんご飴を一時口から離したサヤカさんを見て僕は思わず言葉をこぼした。手鏡など持っていないサヤカさんは自身の容姿を確認することができずにあたふた慌て始める。
するとパシャリ、と茶川さんが写真を撮った。
「そんな無理に拭き取ろうとしなくても大丈夫だよ〜、ほら、可愛い」
続け様にこちらに視線を流して、
「ねっ!?」
求めるようにそう言う。
「はい、似合ってます」
これが正解だろう、と僕は確信していた。・・・・しかし、次の瞬間に肩をがっくりと落としたのを見て外したのだと悟った。
「だ〜か〜ら〜、言い方!!」
「え、ええ・・・・」
最初に集合した時と同じくだりなのだが、結局正確な答えは分からずじまい。僕はりんご飴の存在を忘れてしばらくその場で考え込んでしまう。
そんな僕を隅に、二人の会話はどんどんと進んでいた。
「穴場よかったでしょ」
「いい仕事だった」
「ふふ、偉そうに〜」
「ふん。・・・・ん? ど、どうかしたか、ヒデ」
「え? ・・・・・・あっいや、すいません」
無意識のうちに覗き込むようにサヤカさんを凝視してしまっていたようだ。流石に不審に思ったのか、距離を取るようなポーズを取っている。すいませんすいません、と両手を合わせて頭を何度も下げる。
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屋台に寄るわけでもなく、本当にアテなどなく呑気に歩いていた頃。終了を知らせるスピーカーのアナウンスと屋台を片付ける店の人々を見て論なくその場を立ち去った。
途中まで帰り道は一緒だったのだが、サヤカさんは浴衣に関して色々手伝いがいるらしく、茶川さんの家へと向かった。
というわけで、一人になった。
視覚と感覚の関係性というものはすごい。周りに人がいなくなったと理解すると、先ほどよりも夜が涼しく感じられて、風の吹き抜ける音が大きくなったかのように思わせる。
心が追いついていないようだった。文字通りお祭り騒ぎだったあそこに未だ心が置いていかれている気分だ。
ふと空を見上げる。当然そこに赤、青、緑と花火は上がっていない。
「はぁ・・・・・」
そして、自分でも何を意味するか分からないため息をついて、ただ自宅まで足を動かすだけだった。
その頃のもう一方では、
「佐木山君ったら、結局言わなかった」
茶川さんがブーと不満そうに頬を膨らませていた。
「言う? 何をだ?」
「サヤカちゃんに対する可愛いだよ!」
そう、茶川さんが必死に求めていたのは「可愛い」というこの一言だったのだ。
だが、そこでサヤカさんが不思議そうに目を丸くする。
「言ったぞ?」
「え?」
唐突の告白に茶川さんの足取りがピタリと止まる。え、え? と何度も目をパチクリ瞬かせる。
現実を押し付けるようにサヤカさんは言葉を続ける。
「花火を見ていたときにぼそりと言っていたんだ。後の態度からしてバレてないとでも思っていたんだろうがな」
「え、ええ〜・・・・?」
信じ難いかのように飲み込みが遅れる茶川さん。
「・・・・そこではちゃんと言ってるのに、あの後は思いつかなかったのは? なに、鈍感なの?」
「今に始まったことじゃないだろ」
しばらくそこまでかと言うほどに頭を抱えてんん〜と唸る茶川さん。だが心に落ち着きを持たせて一旦は立て直す。そして、サヤカさんの異変に気づく。
「いつもなら恥ずかしがるのに、なんかやけに落ち着いてるね」
「自分でも不思議なんだ。・・・・ただとにかく、嬉しい気持ちで一杯な自覚はある」
「えぇ〜なになにぃ?」
茶川さんが久々のニヤニヤを見せてサヤカさんを窺う。
きっと本来ならこの後は一切話さず話題を仕舞うのだろうが、今回ばかりは違った。
「ふふ、証明の抱擁だ! こう、ぎゅっとな。ヒデは私から離れないと証明したんだ」
嬉しそうに、楽しそうに、爛々と大きく全身を使ってジェスチャーしてみせる。その様子からサヤカさんの満足度が十分に伝わってくる。
茶川さんはからかう気でいたが、あまりにも意外で体が動かなくなってしまった。恥ずかしげもなく、むしろ誇るような語り方がまるで希望を見出した純粋無垢な少女。その様相に口出しすることができなかった。
「そっ・・・・か」
ようやく絞り出せた声はまるで安堵したかのような一言。どうせならば派手に恥ずかしがってシャーシャー威嚇する様も見てみたかったが、なんて気持ちは心の底にそっと落ち着かせておいた。今はただ、親友が一つ成し遂げた成果を喜んでおこうと決めた。
「ところでなんだけどさ。もうすぐ誕生日だね」
「約一週間後といったところか」
サヤカさんの誕生日は八月七日。今日が八月の一日なので、正確に言えば六日後だ。
「遊ぼっか、みんなで」
「名案だな」
茶川さんの提案に即答で肯定を示す。きっとお祭り騒ぎ補正でも入っているのだろう。今のサヤカさんなら何を言っても聞き入ってくれる、そんな気を纏っている。
「・・・・・となると、プレゼントか。佐木山君困ってるだろうし、手伝って差し上げましょうか・・・・・ふひひひ」
「き、気持ち悪い」
サヤカさんが聞こえたのは最後の奇妙な笑い声のみだったが、それだけでその一言が吐き出されるのには十分だった。
「・・・・・ヒデを誘うのは頼んだ」
「え、私が? せっかくまた一歩進展したのに?」
「なんか図々しい感じがするじゃないか。自分の誕生日だから言うことを聞け、みたいな・・・・・」
「そ、そうかなぁ」
その思い込みに茶川さんは思わず苦笑する。まあでも、そんなところもサヤカちゃんらしい、と一人で納得した。
「分かったよ〜、任せなさーい!」
そして指で大きくオッケーサインを作った。
頼もしい、とサヤカさんは静かに微笑む。
その後無事茶川さんの家に到着し、サヤカさんは私服に着替えた。茶川さんはこれ以上家に出る用事はないのでパジャマ姿となった。
「本当に送らなくて大丈夫?」
「うむ。浴衣の洗濯も任せてしまったしな」
「別にいいよ、まとめて洗っちゃうんだし」
玄関で静かに会話する二人。
お別れの時間が間近に迫っていることを肌で感じ取った茶川さんは何か話さないとと話題を探る。
「あっ。誕生日に遊ぶ場所どうしよっか」
「遊ぶ場所・・・・・・」
そういえば考えてなかった、とサヤカさんはその場で考え込んだ。しかし当然思いつくわけでもなく。人の家で時間を取っても申し訳ないと思い、一旦は保留で玄関を出た。
「またな」
「うん、気をつけてね」
小さく頷き、背を向ける。
夜の静けさが心地いい。暗闇の夜道を警戒していたが、優しく体にあたる夜風が涼しく気を紛らわしてくれる。・・・・・・だが。
「寂しいな・・・・・」
それだけでは足りなかった。今日は色々なことがあった。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと。まとめていい思い出になるはずだ。でも、だからこそ、それが全て終わって過去になってしまったことが心を切なくさせる。
「・・・・・・今かけたら、迷惑だよな」
佐木山ヒデ、と書かれた連絡画面で一人呟きながら苦笑する。
「あいつでいいか」
そして気持ちを誤魔化すかのように茶川さんへの連絡画面に切り替えた。そして今回は躊躇なく通話ボタンに指を伸ばす。
プルルルル。そして音が繰り返すことなく、
『どっ、どうしたの?』
「すまん、家に着くまで繋いでてくれ」
『も〜だから言ったのに〜』
相手先は迷惑そうに言うが、その本心は笑いと喜びでいっぱいだ。
『佐木山君にかければいいのに』
「ばっ、バカ言うな」
そして、孤独の夜道に二人の声が静かに、だが大きく響き渡る。




