姉を王宮で貶めた罪により、平民になった妹エメルダが幸せを掴むまで。
エメルダは毎日が忙しかった。昼は洋服店、夜はレストランのウエイトレス、それはもう朝晩と働きづくめだったのだ。
どうしてこうなったのかしら…
狭いアパートに帰れば働かず、一日中、ゴロゴロしている顔だけは良い夫が、金の無心をしてくる。
ソファに寝転ぶ夫は昼から酒を飲んでいたのだろう。酒瓶が床に2本、転がっていた。
「遅かったな。金がない。金をくれないか。。」
「昨日、お金は渡したはずですわ。もう使ってしまいましたの?」
「一日中、家にいて暇だからな。ちょっと出かけて、女の子と一緒に食事をした。」
エメルダの心は怒りに震えた。
生きて行く為のお金を稼ぐのに自分は一日中働いているのだ。
それなのにこの男は…
こんな無能な馬鹿だとは思わなかった。
エメルダが17歳の頃、エメルダ・ハレスティリス公爵令嬢として、王立学園で皆にちやほやされていた。派手な顔立ちの金髪美人のエメルダ。高位貴族という事もあって、皆、エメルダに近づき、褒め称えた。
「今日もお美しい。エメルダ嬢。」
「今度、僕とお茶でも如何ですか?」
「いや、私と観劇でも。」
男性からの誘いも絶えない。
エメルダはオホホと笑って、
「そのうち、ご一緒させて頂きますわ。」
自分は名門ハレスティリス公爵家の娘なのだ。
身分にふさわしい男性と付き合い結婚したかった。淫らな女とは言われたくはない。
でも、貰えるちょっとしたアクセサリーや、花は有難く頂戴した。
時には教室で我儘放題に振る舞って、
「喉乾いたわ。わたくし、もう帰りますっ。どなたか馬車まで送って下さらない?」
「エメルダ。我儘は困ります。まだ授業は終わっていませんよ。」
呆れた教師に注意されたりした。
一歳違いの姉のアリスティーヌは美しく優秀な女性として知られていて、エメルダが我儘放題に振る舞っていると聞くといつも注意してきた。
「貴族としてのマナーをしっかりと守りなさい。皆の手本になるのです。エメルダ。」
「お姉様はお堅いですわ。少しぐらい、羽目を外してもよいではありませんか。」
うるさい姉が大嫌い。
姉がこの王国の第二王子オディール殿下の婚約者だというのも気に入らなかった。
アリスティーヌが婿を取って公爵家を継ぐのである。
自分はどこかへ嫁に行かなければならない。
オディール第二王子は背が高く黒髪碧眼の美男で、学園で人気があった。
あんな素敵なオディール第二王子様と結婚出来るなんて、わたくしなんてまだ、婚約者もいないのに。姉が憎い。なんとかしてオディール様を盗る事は出来ないかしら。
オディールに近づいて、その顔を見上げ、
「オディール様。わたくしの方が美人です。わたくしの方が社交界で連れ歩くのに華やかで良いと思います。ですから、わたくしを婚約者に。国王陛下に言って下さいませんか?」
ある日、思い余って廊下で声をかけ、申し出てみた。
確かにエメルダの方が派手な顔立ちの美人である。二人とも金の髪で美人だが、どちらかというと、清楚な美人という感じのアリスティーヌと比べてエメルダは派手な顔立ちの美人であった。
オディールはちらりとエメルダを見やり、
「これは王家が決めた事。私の婚約者はアリスティーヌだ。社交界で連れ歩くのに華やかだけでは務まらない。社交をこなす頭が無ければな。アリスティーヌは十分、期待に応えてくれるだろう。それに比べて君はどうだ?アリスティーヌが学年で10番以内に入るのに比べて君は大した事はないではないか。私は第二王子、どこかへ婿に入らねばならない。君と結婚したって、公爵家を継ぐのはアリスティーヌ。意味はないではないか。」
エメルダは必死で叫ぶ。
「わたくしが継げばよいのですわ。」
「ほほう。成績も悪い。頭も良くない。顔だけが取り柄の君が?美しく聡明で私の太陽であるアリスティーヌを押しのけて?」
エメルダは恥ずかしくなって、その場を逃げ出した。
学園の成績は良くないのだ。下から数えた方が早い。
オディール第二王子に酷い事を言われて落ち込んでいたら、声をかけてきた男性がいた。
「私なんてどうだろうか?アレモス公爵家の次男ジュードだ。」
「ジュード様?」
薄い茶の髪で背が高く爽やかな顔立ちの彼も女性達に人気がある。
「わ、わたくしで良ければ…」
胸がドキドキした。アレモス公爵家と言えば名門だ。
だが、このジュードという男、とんでもない男であった。
金遣いが荒かったのだ。
持ち物は高級な物ばかり。
公爵家の息子だからそれは当然と皆は思っていたのだが。
両家の話し合いでエメルダはジュードの婚約者に正式に決まった。
天にも昇る心地だった。
色々とドレスを買ってくれて、高級なアクセサリーもプレゼントもしてくれるジュード。
それはもう、幸せだったのだ。
だが、公爵家の金を勝手に持ちだして使い込んでいたことが発覚し、彼は家を叩き出された。
エメルダも王宮の夜会でアリスティーヌに対する態度があまりにも悪かったので、厳しい両親によって平民として生きろと家を追い出されたのだ。
ただ、洋服店という働き口だけは確保してくれた。
慣れない洋服店で接客の仕事。それでも働かなくては生きていけない。
狭いアパートを借りて、一緒に暮らすようになったジュードとは結婚はした。
しかし、ジュードは自分は働かず、お金をせびるばかり。
仕事を増やしてエメルダは夜、レストランで働くようになった。
それでも、ジュードの無駄遣いのせいで生活は苦しい。
どうして?なんで?こうなったの?
姉に対する態度が悪かったせいで、どうしてわたくしが家を追い出される事になったの?
姉に、ジュードにプレゼントして貰ったドレスを見せびらかした。貰ったアクセサリーを見せびらかした。
自分の幸せぶりを見せびらかした。
オディール第二王子は姉にプレゼントはしたが、お誕生日とか特別な日以外はプレゼントをしなかったからだ。
彼自身、第二王子。いずれはハレスティリス公爵家に婿に入るのだ。
使えるお金は決まっている。
それに、アリスティーヌもオディール第二王子も、社交界ではそれなりにみっともない恰好はしないけれども、無駄な出費を嫌うタイプであった。
アリスティーヌはドレスを見せびらかすエメルダに向かって、
「そんなお金、どこにあるのかしら。確かにジュード様の公爵家は事業が順調でお金周りも良いはずだけれども、ジュード様は公爵令息。大丈夫なのかしら。」
心配するアリスティーヌにエメルダは、
「優秀だからご両親もジュード様を可愛がっているのですわ。お姉様。羨ましいでしょう?こんな素敵なドレス。お姉様はめったに貰えないでしょうから。」
「わたくしは必要以外のドレスやアクセサリーはいらないわ。その分、恵まれない人達の為にお金を使いたいと思っているのよ。」
「まぁ呆れた。せっかく公爵家の生まれたのですもの。着飾らなければ損だわ。」
そして、エメルダは王宮の夜会で、ジュードと共に、まっぴんくのヒラヒラしたドレスを着て出席をし、皆のいる前で姉のアリスティーヌを貶めた。
「お姉様のドレスはとても地味。わたくしのドレスの方が華やかで素晴らしいわ。」
オディール第二王子が贈ったドレスをけなしたのだ。
国王陛下は呆れたようにため息をつき、王妃はエメルダを睨みつけた。
両親は真っ青な顔でオロオロしていたが、肝心のアリスティーヌはにこやかに、
「オディール様が贈って下さったこのドレス。わたくしとても気に入っておりますのよ。濃い藍色はまるで夕闇に溶け込む空のよう…キラキラしているのは星かしら。」
オディール第二王子はにこやかに、
「君が夕闇の空が好きだっていうから。それをイメージしたんだよ。その腕輪は夕焼けの色をしているだろう?」
橙色でキラキラしている腕輪を愛し気に見つめるアリスティーヌ。
「ええ。わたくしの好みをとても解って下さり有難うございます。」
イチャイチャぶりを見せつけられた。
近衛兵たちによって、エメルダは会場から連れ出されたのだ。
ジュードと共に。
わたくしはただ、お姉様のドレスが地味と言っただけなのに、どうして?
わたくしのドレスの方が素敵だわ。どうしてなのよっ。
その事件があってすぐにジュードのお金の使い込みが発覚し、王宮への出入りがエメルダは禁止された。平民として生きろと両親に言われて、家を追い出されたのだ。
ああ…毎日が辛い。
何でこうなったのかしら。
そう思って働いていたら、とある日、姉のアリスティーヌがオディールと共に洋服店を訪れた。
「まぁ、貴方、ここで働いていたのね。確かにお父様の息がかかったお店だもの。不思議ではないわ。」
アリスティーヌはそう言って、エメルダに向かって、
「ドレスを作りたいの。結婚式のドレスよ。店長を呼んでくれるかしら。」
結婚式?
オディール第二王子はにこやかに、
「結婚式位、アリスティーヌの為に豪華なドレスを作っても良いだろう。一生に一度の式だ。お金は私が今まで貯めたお金から出させて貰うよ。」
「まぁ、嬉しいですわ。」
なんて幸せそうな姉…自分は苦労しているというのに。
店の店長が来て、
「これはアリスティーヌ様。オディール第二王子殿下。ようこそ。どのようなドレスが良いか、デザイナーを呼びますので。」
「よろしくお願いしますわ。」
悔しい悔しい悔しい…
エメルダはその様子を見て悔しくて仕方なかった。
自分は不幸のどん底にいるのに…なんて悔しい。
アリスティーヌはエメルダに向かって、
「後で二人きりでお話したいわ。久しぶりに会えたのですもの。」
「お姉様と話したい事なんてないわ。お姉様を貶めたせいで、わたくしは平民になったのです。貴族として生きられなくなったのですわ。」
「貴方…」
耳元で囁かれる。
「本当に愛しているの?ジュードの事を。」
「え?」
ちっとも働かず、自分の足を引っ張る夫。大嫌いな夫…
「貴方、ちゃんと自分の生き方を考えなさい。彼と離縁してしっかりと生きなさい。」
「お姉様…」
「わたくしはその事を言いたかったの。そうだわ。ここで働いているのなら、わたくしのウエディングドレスを作るのを貴方も手伝って頂戴。裁縫位出来るでしょう?」
エメルダがやっているのは接客である。縫物なんてした事はない。
姉が意地悪で言っているのかと思った。
姉のウエディングドレスを縫えだなんて酷い…酷すぎる。
姉に向かって叫ぶ。
「わたくしの事を笑っているのでしょう?お姉様は…あんなにお姉様の事を貶めたわたくしが不幸になっているのを。」
「違うわ。貴方の人生を考えてお願いしているの。」
「お断りします。わたくし、お姉様のドレスなんて知らないわ。」
店を飛び出した。
涙が溢れる。
姉はジュードと別れてしっかりと生きろと言った。
ウエディングドレスを縫って欲しいと…
狭いアパートに帰ったら、ジュードが裸の女の子を連れ込んでベッドでイチャイチャしていた。
「早かったなっ…いや、その…」
「奥様、お邪魔していまーす。」
何もかも嫌になった。
エメルダは叫んだ。
「離婚して下さいませっ。もう、貴方の事を養っていくのは嫌です。貴方が嫌と言ってもわたくし、出て行きます。さようなら。書類は後で送りますわ。いいですわね。」
エメルダは自分の服を荷物に詰め込み始めた。
ジュードが近づいて来て、
「出来心だったんだ。悪かった。出て行かないでくれよ。」
「出て行きます。」
「エメルダ。行かせない。」
小刀を手にして、ジュードが振り上げて来た。
女の悲鳴が聞こえる。
エメルダは必死で扉まで走り、外へ飛び出して助けを求めた。
誰かが素っ裸のジュードの股間を蹴り上げたらしい。通行人が騎士団員を呼んでくれて、ジュードは拘束されて連れていかれた。
エメルダは見知らぬ女と共に、騎士団で事情を聞かれて、家に戻って来た時は夜中になっていた。
疲れた…涙がこぼれる。
どうしてこうなったのかしら…
未だに わたくし と言う事がやめられない。
公爵令嬢だった頃の世界が諦めきれない。
一晩中泣いた。ベッドで泣いた…でも、お腹はすくし、働かないと生きてはいけない。
ジュードとの離婚が成立したので、レストランで働くのはやめた。
洋服店の店長にいきなり飛び出して悪かったと頭を下げて謝った。
店長はエメルダに向かって、
「人生色々とあるさね。エメルダの接客は評判がいい。これからもよろしく頼むよ。」
そう言って貰えた。
デザイナーが姉のウエディングドレスのデザインをする。
お針子たちが姉のウエディングドレスを縫っていく。
出来上がっていく姉のウエディングドレス。
エメルダはそれを見て急に悲しくなった。
悔しいという気持ちはもうない。
自分は姉になんて事をしてきたんだろう。
ふと、反省の気持ちが込み上げて来た。
最近、働く事が楽しくなった。
お客様に褒められる事が更に多くなった。
自分が相談に乗って買ったドレスを着て喜ぶ女性の顔を見るのが嬉しくなった。
以前、住んでいたアパートは引っ越して新しい小さなアパートを借りて気分を一新した。
毎日の食事が美味しくなった。
今なら、姉の結婚を素直に祝える。
そう、エメルダは思えるようになった。
お針子たちがウエディングドレスの仕上げに入る。
白い花を裾に縫い付けているのだ。
エメルダはお針子たちに頼んだ。
「わたくし、いえ、私にも一つ着けさせて。」
もう、わたくしと言う必要はない。自分は平民として生きていくのだから。
姉の為に白い花の一つをドレスに縫い付けた。
どうか、幸せになりますように。今まで本当にごめんなさい。
お姉様は私の事を本当に心配してくれていた。
そんな気持ちも解らずにごめんなさい。
どうか幸せになって。結婚式には出られないけれど、私は心から姉の幸せを願うわ。
そう思いを籠めて、花の一つを縫い付けた。
アリスティーヌがオディール第二王子と共に、ウエディングドレスの試着に訪れた。
エメルダは心を籠めて接客した。
「いらっしゃいませ。お待ち申し上げておりました。ご連絡致しました通り、アリスティーヌ様のウエディングドレス、出来上がっております。」
アリスティーヌはにこやかに、
「有難う。試着したいわ。」
「勿論でございます。さぁ、こちらへ。」
ウエディングドレスを女性店員達に手伝って貰い試着するアリスティーヌ。
試着したドレスを着て、現れればオディール第二王子は見惚れるように目を細めて、
「なんて美しい。アリスティーヌ。」
「有難うございます。褒めてくれて嬉しいですわ。素敵なドレスですわね。」
エメルダはにこにこして、
「とてもお似合いでございます。この度は当店でドレスを作って頂き有難うございます。」
「エメルダ…貴方、離婚したそうね。」
「はい。今は独り身になりました。」
「お父様が戻って来いと言っているわ。公爵家へ戻っていらっしゃい。わたくしは貴方の事を見捨てはしない。たった一人の妹なのだから。」
エメルダは決意したように、胸の内を姉に向かって、
「そのお心、とても嬉しく存じます。でも、私は家を追い出された身。今やこの店の接客という仕事に生きがいを感じております。両親にお伝えください。よい職場を紹介して下さり有難うございますと…」
「貴方の気持ち、解ったわ。せめてわたくしの結婚式には出て欲しいの。お願い。」
「お姉様は私を許してくれるというの?こんな私を…」
「見捨てないって言ったじゃない。エメルダ。絶対に出てくれないと嫌だわ。いいわね。」
アリスティーヌはエメルダを抱きしめてくれた。
嬉しかった。
本当に生きていて一番、幸せだと感じた瞬間だった。
半月後に行われた結婚式。
王都の中心にある教会で沢山の人達に祝福されて、ウエディングドレス姿のアリスティーヌは美しかった。
エメルダは身内として出席する事が出来て、幸せだった。
― お姉様。誰よりも幸せになって。 ―
両親は戻って来いと言ったけれども、エメルダは平民として洋服店で働き続ける事を選んだ。
「いらっしゃいませ。ああ、これはミーシャ・レクリエス様。ドレスの新調でございますか。有難うございます。」
そんなエメルダを見初める高位貴族が現れ、彼女の決意を翻させるような情熱を見せるのは別の話。
今、エメルダは働く事の幸せを感じて、ふと真夏の窓の外に見える爽やかな青空を見つめるのであった。