参観と後悔
嫌な夢で目が覚めた。夫が死ぬ夢、もう何度この夢を見ただろう、何もない病室、いや、植物はあった。再婚は考えなかった訳ではないが娘が嫌がるだろうし、金なら生きていくのに十分ある。しかしまだ聞いていないな、朝聞いてみるか、と思った。
しかし私はこれ程までに寝相が汚いのか、と崩れたベッドの上を見て考えた。夫が居た時はもう少しましだったのに、そう考えるだけで軽く涙が出てきた。もう若くないのに、どうして感性は豊かなんだか、と突っ込みをいれた。
よし、上出来。やっぱり娘の記念すべき日は勝負飯で行かなきゃ、でも子供の時は嫌だったなぁ、口出ししないで!!と母を叱ったし、お弁当を残す日もあった。分かっているけれど、やってしまう。生意気な娘、それを包み込む母。
そういう構図なのかも知れない、家庭は。
降りてきた降りてきた。見事にボサボサ、ゴワゴワである。
「おはよう」
「おはようって、なにこのごはん!!なんか野球の試合前みたいなご飯じゃん。私そんなに食べれないんだけど」
「うふうふ」
「なに笑ってんの?」
「何でも?親になったら分かるわよ」
「なら仕方ない」
「お?往生際が良いねえ」
「無駄な反抗はどっちも疲れるだけだから」
「分かってんじゃん、でもお母さんはもう少し反抗して貰わないとちょっと味気ないかも」
「なにそれ」
「これも大人の味よ」
「へえ、いただきます」
よくもまあそんなにボサボサにして生きてられるなぁ、邪魔じゃないか?と少し思った。これからどんなビフォーアフターをするのか楽しみ、なんて。
もぐもぐもぐ、と無表情で口を動かす娘、目には微かな光がある。これから広い世界でどんな風にその瞳が輝くのか、近くで見られない事が相当に残念だった。まだまだ娘離れが出来ない母、大丈夫だろうか、テーブルの向かいで食事する子から、目を離したくない、そう思いながら、視線を右に泳がせた。ゆっくり腰を浮かせて、時間をかけてテーブルを回る。テーブルの向う側で不思議そうにこちらを見る視線を無視して、その体の後ろに回り頭のてっぺんに手を乗せる。顎が動く感触と微かな暖かさが手の平を伝って感じる。
「なに」
「いま感傷に浸ってるとこ」
「じゃあいいや」
もぐもぐもぐ、愛しくてたまらない黒髪から手を離した。
「弁護士してると人間性がなくなるってホント?」
「いや、無表情の人もいるけど、大丈夫?って感じの人もいる。普通の会社と同じ感じなんじゃない?」
「へえ」
「これ、ちょっと長すぎじゃない?」
「かもねえ」
「切ってあげようか、私一時期上手かったんだよ」
「そこからどうやって弁護士に路線変換したの?」
「何でも出来るようにいろんなこと勉強してたの」
「へえ、じゃあ、お願いしようかな」
「やるかぁ」
「できた!」
「おおおおっつ良いじゃん良いじゃんこれでロングから……。ロングか」
「変わらないね、印象は割と変わるのに」
「あーじゃあ行く準備でもしようかなぁ、何で良いよって言っちゃったんだろう」
「まあそんなに考えなくても写真の技術とかは教えてくれるんじゃない?」
「だったらいいねーっあはははは」
「あははっ」
何で笑ってるかわからないけど笑っていた。いいな、家。離れて暮らすには甘すぎる考えだった。
「あんま時間ないっ、急がないとおっ」
ドタバタ、ドタバタをテーブルに肘をつきながら見ていた。まだ、まだだな、まだ大人じゃない、まだ子供のままだ。私のかわいい桂ちゃん、瞳を閉じて生まれた日の事を少し思い出そうとした、が忙しい声にかき消された。
「あっじゃあ行ってきまーす」
「いってらっしゃい」
よし、準備するか。最低だな、最低だけど、私があの子だったら殺したくなるけど、体は動く。普段あまり着ない服を着て、深めの帽子をかぶると決める。
コテで普段と違う感じに、どうにか私に見えないように、できるだけ早く準備した。よし、行こう。無断参観へ。
いた、いた。かっこええ、あの少年。名前まだ知らないな、と気づいた。
桂も緊張しているようだけどしっかり話している。なんの心配をしているんだ、私は。親になるとこんなにも心配なのだろうか、小さいときの方が心配しなかったのに、いや、できなかったのか。見ておけばよかったな、ちっちゃい桂を、記録していけばよかったなあ、桂を。なんて悔しがった。
晴れた陽気の日に、やれて良かったなぁ、と思いながら、遠くのベンチに腰掛けた。足を組んで、ひと呼吸。本を取り出した、もちろんこれはまやかしで、目は遠くの二人を見つめている。ふと気付いたのが、たまに少年が桂を撮っていることだ。やはりうちの子の良さに気付いたかえ?ええこじゃろうと心の中で呟いた。そんなことしても何の意味もない事に気づきながら、片目をつぶって本の向こう側を覗いたりした。それだけで罪悪感以上のうれしさを得ることができた。もう、かわいいなぁ。
そんなことをして三十分、私の近くに一人、婦人帽を深くかぶった女性がやってきた。ベンチが無くて困っているようだ。長い時間いたのだから、変わった方がいいだろう。
「どうかされましたか?」
「実は、あの二人、いるでしょう」
と彼らを指さした。
「はい」
「私、あの子の親なのよ、それで、来てみたんだけど、なかなかベンチが開いてなくて、ほら、ここの公園広いのにベンチが少ないでしょ、だから、帰ろうかと」
「え?」
「どうかされた?」
「いや、その、私。あれ私の娘です」
互いに目を見開いた。
「なんか、申し訳ないわね、せっかく見ようとしていたのに」
「いいのいいの、だって息子を見に行ったら相手の親がいるなんて、ねえ」
「あの子ら知らない間に親公認になっちゃったわね、これから、よろしくお願いします」
「あらこちらこそ、よし、じゃ、注文しちゃいましょうか」
「ええ、そうしましょう」
「じゃあ私はカルボナーラで」
「あら、そうなの?うちの子は余り気にしてない様だけど」
「まあ、親に言えないのかもね、あまり張りつめていない様子だったら、一度話しかけてみたら?あ、すいません。他人の話に首を突っ込みすぎたわ」
「いやいや、とんでもない。あなたに言ってもらわなければうちの子の事知らなかったから、でも……よかった。うちの子に友人が出来て、あの子小さい時からずっと一人だったの。あの子はあの子でそれが心地よさそうだったけど、違ったのかも」
弁護士の仕事ばかりしていて全然桂の事みてあげられなかった、母親失格だ。白いテーブルクロスを見て口を歪ませることしかできなかった。多分濃いめのコーヒーも、今はやけに薄く感じる。汗をかく透明なグラスを倒してしまいたくなる。その代わりにスカートを強く、シワになるほど握った。
「ごめんなさい、ちょっと体調が優れなくて」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと長居しすぎたわね」
笑って過ごすあえて触れない優しさが今は痛かった。
またいつかバババッツと出します。