ビニール傘と司書
私は陰キャである。
このクラスで一位二位を争うほどの。
ボロボロになった紙のブックカバーにハードカバーの本を入れて今日も静かに一日を始める。
「今日から六月に入りました。今日は晴れですが、もう梅雨入りしています。今年は梅雨入りが昨年より早いですが、自転車通学の人は転ばないよう、注意してください。昨年は三年生が一人校門付近で転びました。北村さん、と言ったかな。では、今日も一日、勉学に励みましょう。」
眼鏡を少し上げて、担任の話は聞き流した。あほな北村とかいうやつの話を聞いても何の得にもならない。
「今年は雨の日が多くなりそうです。しかし、そのぶん梅雨明けが早くなるでしょう。」
「そうですか、ありがとうございました。さて次は今週の……」
そういえば朝そんなことをニュースは言っていたな、と思った。
夏は苦手だ、エアコン代がかかる。ならもっと夏の手前まで梅雨入りしなければいいのに、と思った。そしたら春が長くなるのに、と。
高校に入っても私は安定の陰キャだった。それもそうだろう、私は学校に行くときは基本髪を結ばないし化粧もしない。
洗顔はするが、身だしなみという身だしなみを整えることは無い。
話しかけられては困るからだ。私とは誰も話したがらない。それでいいのだ。そうすることで、クラスのお荷物を直視しなくて済む。
窓の外を見た。
特にこれといった特徴のない晴れ。
あえて言うのならば少し雲に立体感が増したことぐらいだろう。
時計は八時二十八分。後二分で鐘がなり、退屈な一日が始まる。
どうせなら雨が降っていて欲しかった。
鐘が鳴った。
今日も学校が終わった。
図書室に寄ってから帰ろうと思った。まだ借りていない本がある。
今日もクラスはガヤガヤしている。
「今日さぁ、雨降ってないじゃん?この後さぁ……。」
「でもあいつってそういうヤツじゃん?だからさぁ……。」
「そうそう!そうだったんだよぉ……。」
「どう思う?」
「それでさぁ、あいつ馬鹿だから……。」
「あの老害、マジ――――だよなぁ?……。」
そんなクラスメイトの話し声も、私の耳には、届かない。
鞄に一通り詰め込んだら、静かに、それでいて速く、教室から抜け出した。さっきまで晴れていたのに、雲がかかっている。
階段に上履きのコツコツした音が響いた。
早く帰らないと、帰って写真でも撮ろうか、庭の草花に滴が溜まっているのを、早く記録したい。
とても静かに図書室に滑り込んだ。
目当ての本を棚からとって、司書に差し出した。
「桐岡さんは綺麗な文章が好みの様ですね。」
司書の女の先生に言われた。そうなのか。私は綺麗な文章が好きなのか。
「そ、そうですか、あ、いや、そ、そうかもしれません。ありがとうございました。」
それだけ言うと図書館を飛び出した。廊下は影も映さないほど静かに歩いた。学校を出た。家はそれほど遠いわけではないので、梅雨の期間は歩きで登校している。
「暗いなぁ、もっと明るくしておくれよ。」
芝居がかった台詞を空に投げた。言葉の返事に、空から雨が降ってきた。
「そう来たか。」
傘を毎日持っていてよかった。金具のすべる音が鳴り、かちん。と軽い音がした。
雨は次第に強くなっていった。最初は霧のような雨だったが、だんだん大きく重くなっていった。
家の前に来ると、鞄をあさった。鍵、鍵、かぎ、かぎ、かぎ?かぎ?あれ?鍵は?
「……かぎ、ない。」
どうして?朝学校に行くときは…閉めた、はず。あれれ?あれあれあれ?
どこで失くしたんだ?
「通学路、探すか。」
今日はついてない日だ。
右手首についてあるヘアバンドで髪を結んで、
まず家の通りの道路をくまなく探す。―ない。
次に一本曲がった通りを探す。―ない。
いつもの坂―ない。
中学校の十字路。―ない。
高校の一本前。―ない。
こ、高校。―ない。
やった、完全にやってしまった。ない。帰れない。
再度確認しながら家まで来たが、
「ねぇ。」
無すぎる。鞄の中も、どこにもない。
どうしよう。このまま一人でやり過ごすのか?
鍵を持った人がいるかもしれないのに?
お母さんに迎えに来てもらうのも時間がかかる。
カフェとかでコーヒー一杯で粘るか?
いや、あそこは同級生がいるかもしれない。
などなど家の前の道路で傘を差しつつあれこれ考えていた時、誰かに話しかけられた。
「あれ?もしかしてクラスの桐岡さん?」
びっくりしたと同時に、結んでいた髪をほどいて、いつものポジションに戻した。
「は、はい。」
「なんか、大丈夫?制服ビショビショじゃん。なんかあったの?」
話しかけられた相手はクラスの確か、樽田君だ。
クラスの中のカーストの上の方にいて、なんかいつも誰かとしゃべってて、人生、順風満帆です。って感じの人だ。
どうしよう、言うか?でも、言ったら言ったでクラスの中の人とかかわりを持ってしまうし、でも、寒い、寒い。六月と言っても雨の日はさすがに寒いし、なんか、どうしよう。いや、もう話してしまおう。
うん。
話さなかったら何なんだあいつは、とか思われそうだし、話そう。
「あ、あの、家の鍵を、その、どこかに、落としてしまったようで、それで、あの、親もちょっと來るの時間かかりそうかな、なんて。」
「へぇ……ん?ヤバくね?それ、親とは連絡とったの?」
「いや、あの、取ってません。」
「じゃあさ、ちょっとウチで雨宿りしてかない?」
「え、いや、でも、親御さんに迷惑じゃないかと、その、おも……」
「今ウチに親いないんだ、どっちも仕事行っててさ、八時くらいまで帰ってこないんだ。それに、なんか家に入れない女の子を見捨てて、『はい。さよなら。』とかできないタチでさ。」
マジか、神イベかよ。いや、でも待て、なんかやましいことがあるかもしれない。そうだよな、同級生の異性を家に上げるなんて、なんかあるよな。
そんなことを考える私の心が見えるかのように、彼は言った。
「やましい事とか、何も無いからさ、そこで待ってても、風邪ひくだけだぜ?クラスには、毎日全員が揃ってて欲しいからさ。」
彼の目を見た。
「少しの間。よろしくお願いします。」
不安を抱えながら、革靴を鳴らした。