全国共通魔術教科書第二項 遠い声(言い聞かせ)
そこには断崖絶壁、絶望的なまでの壁があった。距離は近いが、圧倒的に遠い。
今、秋斗と沙耶は隣同士に座っている。秋斗は不遜な表情で、沙耶は不機嫌な表情で。
手詰まりになった沙耶が出した結論は、もう自分が折れるしか無かった。結果、秋斗と友好を深めようと他の三人が気を使って二人を隣に座らせたのだ。ちなみに、ここでは二人きり。三人はどこかに行ったようだ。
「あんた、何で魔術なんか覚えたいの?」
おもむろに沙耶が口を開く。重々しく出たのは疑問であった。
秋斗は少し考え、なぜ自分が魔術を覚えたいか、まともな答えが出なかった。最初は香織に一泡吹かせたいという負けず嫌いの根性から。
(俺は、本気で魔術を覚えようと考えてねえな。それこそ、心構えで言ったら最悪なほどに。俺には元々、力があるし、これ以上の強さなんて望んでねえ……。だとしたら……俺は……)
「無い。魔術を覚えたいっていう確固たる気持ちも無いし、正直これ以上の力なんていらねえ。俺は充分に強いからな」
その言葉に、沙耶は眉を尖らせて本気で憤慨したような顔を見せた。
「ふざけんじゃないよ……そんな気持ちで魔術を覚えたい? 笑えない。そんな心構えなら、魔術なんか覚えるな。最初から覚えようとするな!」
秋斗は彼女の怒りに表情一つ動かさない。こうした怒りは予想していたのだ。彼女は彼女なりの理由で魔術を習い、香織も、京香だって同じはず。
しかし、秋斗には理由が無い。
重苦しい空気が二人を包む。押し黙り、沙耶は下を向いて秋斗は上を向いていた。
静寂だけが部屋を支配する。
その時、それをぶち壊す人物が現れた。
「だー! 重苦しい! 暗い、暗すぎる! 何なんだよこの空気! 耐えられない、ああ耐えられない!」
それは、奥の部屋から飛び出してきた京香である。彼女は見事に空気をぶち壊し、ドアまでぶち壊して登場した。
「クソ! あんたらのせいでドアが壊れた! 給料からさっ引くからよろしく!」
「てめえ、何やってんだよ」
秋斗は呆れた表情で呟く。彼にしてみれば、京香の行動は意味不明である。
「何やってるも何も、こんなクソな空気壊しに来たんだよ。空気読まない人になったんだよ」
もはや、キャラ崩壊。秋斗の中にいた京香が見事に死んだ瞬間であった。
しかし、そんな空気を保とうとする女が一人、立ち上がった。
「京香、あんたは許せるの? こいつみたいに目的も無ければ理由も無い。魔術は必要無いけど学ぶ。そんなこいつを」
「許さないもなにも、私はそこら辺に関しちゃ別に全然いいと思ってるよ。そりゃ、私らは目的があって魔術を修めた。けど、世の中には鮫みたいな奴もいる。目的もなく、必要もしないが魔術を習う奴もこの世にはいるんだ。身近にもいるよ? 志貴だって、最初はただの流れで魔術を修めたらしいし」
「あの志貴が……?」
驚いたように呟く沙耶を見て、京香は優しげな表情をした。まるで我が子を見るかのような哀くもあり優しげな……。
「そう。目的や理由なんて後から山ほど出来るもんさ。逆に、多分私らは少数派だ。確固たる気持ちがあって魔術を学ぶ奴なんて少数派」
「けどこいつは……」
「鮫は鮫なりに考えてんだよな?」
京香は会話を秋斗に持ってきた。秋斗は息を吐き、口を開く。
「俺は考えなしに行動はしねえ。魔術を習うのだって、俺の為だ。あのちびに一泡吹かせたいが為。ああ、自己中なのは承知だ。けど、俺は自己中で構成されてるようなもんだからな。自己中に生きて自分の為に行動する。それが俺だ」
その言葉に沙耶は納得出来ない。どうしても納得したくなかった。
「そんなの──」
「こんな理由、悪いか? 悪かったら悪いで結構。別に善悪の定義を言うなんて恥ずかしい事はしねえがな、俺はこの理由が悪いとは思っちゃいねえ」
「自己中すぎるわ、あんた。自己中にも程がある。ここまでいけばもう怒りを通り越して、呆れも通り越した感じだわ」
諦めた表情で呟く沙耶に、秋斗は視線を向ける。
「納得すんなよ。納得したらそこで終わりだからな……」
まるで、沙耶に言っているのではなく、他の誰かに言っているかのような、遠い声。距離感ではなく、意識のレベルで遠い声だった。
「納得なんてするはず無いじゃない。あんたの存在自体、私は納得しないわ」
元の調子に戻ってきた沙耶を見て京香は微笑ましく二人に視線を送った。
「じゃあ、私は仕事があるから戻るわね。ちなみに、ドアの修理代はマジだから」
瞬間、部屋中に沙耶の、怒りの叫び声が響いた。
魔術の説明とか、そんなのは多分次からです。ちなみに、ストックが無くなりました。道連れ召喚と同じく不定期更新の始まりです。あと、今は資料集めに必死ですから、更新は亀になるでしょう。