おじさんは異世界で生きる
慣れない山の中を懸命に走る。
とはいえ、そろそろ初老を迎える五十二歳が全力で走ってしまってはすぐに息が切れてしまう。
それは良くない。特に殺気立った得体の知れない化け物に追われているときは。
追ってくるのは子供程度の身長で貧相な身体、小さな角を二本生やした緑色の肌をした人型の化け物。
手には棍棒と思われる太い木の枝を持ち、ゲハゲハと不気味な笑い声を発しながら追いかけてくる。
体格差だけで見ればこちらが圧倒的に有利。逃げずに戦えば勝てるように見えるが、絶対に勝てない自信がある。
私には覚悟がない。相手を殺す覚悟も、痛い思いをする覚悟も。対してあの化け物は殺す覚悟も傷つく覚悟もあるだろう。
生き死に関わる場で躊躇わない覚悟の有無は大きな差が生まれる。
だから逃げる。勝てない、しかし生きたい。ならば逃げるしかない。
幸い近くには荒事が得意な友人がいる。彼らの助けが来るまで逃げ切れば勝ち。
醜悪な化け物が迫ってきている。少しでも距離を離そうと全力で走りたがる足を必死に抑え、少しでも長く走れるように無理のない程度に走る。
体力よりも先に精神が削られていく。
すぐに見つけてもらえるように出来るだけ同じ場所を回るように走っていれば。
「トモダチ!」
おお、頼もしい友人が来てくれたようだ。
それ故の油断か、それとも単純に肉体の限界か、足が上がらずに木の根に引っかかり転んでしまう。
その瞬間を醜悪な化け物が見逃すはずもなく、棍棒を振り上げて飛び掛かってきたが。
横から発せられた強力な光を浴び、瞬く間に消滅した。
「トモダチ、大丈夫?」
その光が発せられた方向から現れたのは一月前に出会った頼もしい友人。
身長は先程の醜悪な化け物と同じく子供程度だが、頭が大きく目も異様に広い。そして何より銀色のラバースーツのような身体は非常に目立つ。
宇宙人。それ以上に似合う言葉が見つからない。
「ちょっと転んだが大丈夫だ。ありがとう、グレイ」
先程の強力な光を放った光線銃をしまい、グレイは手を差し伸べてくれる。
その手を借りて立ち上がろうとするも体格差の関係で立ち上がれず、むしろグレイがこちらに倒れこんできた。
「何やってんだ」
そんな私とグレイを同時に掴み上げて立たせたのは二メートルを超える褐色の巨女。
服装は胸と腰だけ隠せればよいと豪快ではあるが、色気は一切感じられない。何故なら体付きが非常に逞しく、その肌を見ても女性特有の柔らかさよりも、盛り上がった筋肉により硬そうとしか見えない。
それと身長差の関係で見えにくくなっているが、頭には一本の角が生えている。
鬼。そういえば誰もが納得するだろう。
「おっさん、あの程度の雑魚相手に逃げるなよ」
「シャクドウさん。私みたいな非力な者に酷なことを言わないでください。野犬だって怖いんですから」
土を払い醜悪な化け物たちと遭遇した場所に戻る。
そこはシャクドウが大暴れをしたのであろう。二桁に超えるあの化け物とそれと共に行動していた頭が二つある狼の死骸があちこちに散乱し、木々や死体が綺麗に欠けているのはグレイの光線銃によるものだろう。
なんとも恐ろしき惨状。しかしこんなものを見に来たのではなく。
「良かった。無事だ」
木々の裏に隠した籠を取りに来たのだ。この山で採れた山菜の詰まった籠を。
詰まっている山菜はどれも見たことがない物ばかり。定期的に色の変わるキノコや同じ房から生えているのに同じ色のない果実、手を近づけると震える野草もある。
どれもはっきり言って触りたくもない危険物にしか見えないが、全てグレイの光線銃の解析により毒がなく食用であることが証明されている。
「じゃあ私とグレイは籠を持っていきますので、シャクドウさんは依頼されていた化け物の死骸の回収をお願いします。綺麗な死骸でお願いしますね」
「それなら首をへし折った奴がある」
「それは良いですね。では帰りましょうか」
私は小さな籠をグレイに背負わせてから自分用の籠を背負い下山する。
私の前後を歩く友人は人間ではなく、襲い掛かってくるのは恐ろしい化け物。そして背負う山菜は見知らぬものばかり。
不思議な世界に来たものだ。
私、本堂誠一がこの異世界に来たのはほんの一月前の出来事である。