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鹿島が言ったDVDは翌日ポストに投函されていた。消印がないところを見ると昨晩水本が部屋に戻ってきてから今朝までの数時間の間に誰かが直接届けに来たのだろう。当然、その誰かは鹿島ではない。必要かどうか定かじゃない動画を作る時間はあっても、忙しい鹿島にそれを直接殺し屋の部屋まで届ける暇はない。そもそも本当は動画を編集する時間もないのだ。それでも趣味だから時間を作ってわざわざ手間をかける。いわゆる金持ちの道楽というやつだ。
DVDはドラマ仕立てになっていた。わざわざこのために売れない役者を雇ったらしい。さしてうまくないがさりとて臭くないもやし役者が、案件の経緯と条件を説明した。ナレーションは鹿島自身が担当していた。
DVDの内容を要約するとこんな感じだ。依頼者は株式会社黒澤建設資材の営業本部長黒澤敏治四十二歳。黒澤建設資材の創業者一族の三代目だ。戦後のどさくさでのし上がったワンマン企業は、二代目で傾け三代目でトドメを刺す、というのが一種の様式美になっているが、黒澤建設資材もご多分に漏れず崩壊の道を着々と歩んでいた。しかし、建設資材業界では古参である黒澤建設資材の販売網には未だ価値がある。その販売網が欲しくて黒澤建設資材に買収話を持ちかける企業は、一社や二社ではなかった。会社にさしたる愛着もない黒澤敏治は、このまま知れきった末路を辿るよりは、会社を売って悠々自適な楽隠居を謳歌したいと願っていた。しかし、社長であり父親である黒澤道治は頑として買収話を受け入れなかった。黒澤敏之は対等合併を譲らず、これまでいくつもの買収話を破談にしてきた。
「なにが対等合併だ。老いぼれの徘徊老人と二人三脚のペアを組むバカがどこにいる」
ここの役者のセリフ回しは真に迫っていた。
とにかく黒澤敏治は会社を売って元読者モデルで十五歳下の若妻と暇で自由でセレブな生活を送りたいと願っていて、それを黒澤道治が親から継いだ会社を潰したダメ経営者というレッテルを貼られたくない一心で邪魔をした。
己の失敗を認めたくない気持ちはわからなくもないが、このまま経営を続けても倒産するのが少し延びるだけのことだ。それなら資産を減らす前に好条件を提示してくれる会社に売ってしまった方が賢明なのは中学生にだってわかる。にも関わらず、黒澤道治が許さない。黒澤道治はいい。あと十年もすれば死ぬか夢と現の区別が曖昧になってしまう。残された人間はたまったもんじゃない。機を逸して腐りきった会社と心中だなんて御免だ。
というのが黒澤俊治の心情だ。
「そんな人生は御免だ」
黒澤敏治、正しくは再現ドラマの役者は、何度も呟きながら強硬手段を取ることを決意する。
ここから先の実行パートはアニメーションになっていた。いよいよアニメにも手を出したのか。鹿島のDVD制作にかける熱意は底知れない。
鹿島を通じて仕事の依頼を受けた殺し屋は、合併話の回答期限である年内に間に合うよう黒澤道治を病死に見せかけて殺害する。アニメの殺し屋はオペラ座在住のような白い仮面をつけていた。白仮面の殺し屋は、キングサイズのベッドで眠る黒澤道治の腕に注射を突き立てて殺した。
やはり、マッシュと呼ばれる男の店のあの破格はそういうわけだったのだ。全て鹿島の思惑通りというわけだ。改めて、そりゃ出世するわけだ。
会社を引き継いだ黒澤敏治は、とっとと会社を買収相手に売り払う。あまりに強引で身勝手なやり方だったが、役員はおろか新入社員まで誰も反対しなかった。それだけ黒澤建設資材の行く末は誰の目にも明らかだった。働く側からすれば親会社も子会社も関係ない。それなら明日にも倒産しかねない会社よりも大手の傘下に組み込まれる方がありがたい。親会社の規則が適応されれば、雇用条件が改善されることも考えられる。そういうわけで黒澤建設資材の従業員たちは、黒澤道治の死を天恵と喜び、黒澤敏治の金策買収を英断と賞賛した。がっぽりと金が入った黒澤敏治と彼の妻である元読者モデルの痩せぎすのくせにタヌキ顔をした女は、従業員一同からの感謝を受けて長い長いバカンスの旅に出発する。
黒澤道治がいなくなることによってみんなハッピー。ハリウッド映画並みの大円団を迎える。
「正義とは、法を守ることではない。人をしあわせにすることだ」
黒いバックに白抜きの文字が並ぶ。ホテルの喫茶ラウンジで流れるような優美で退屈なクラシック音楽が流れた。エンディング曲のつもりらしい。
鹿島の部下ならここで立ち上がって万感の想いを込めた拍手をするのだろうが、取引相手でしかない水本は静かにリモコンの停止ボタンを押した。
依頼のあらましはわかった。ただし、疑問が残らないわけではない。仕事としては、要は遺産目当てで親父を殺して欲しいというごくありきたりなものだ。依頼相手も倒産間近の企業の三代目だ。権力や人脈の足がかりになる仕事とも思えない。頃合いの殺し屋が見つからなければ断っても構わない仕事である。それなのに、どうして鹿島は薬屋にまで手を回して、凝った依頼DVDまで制作して仕事を引き受ける殺し屋を探したのだろうか。一部修正。DVDは謎ではない。趣味だからだ。
まさか、鹿島が黒澤の依頼金程度の日銭に躍起になるとは思えない。裏の狙いが気になったが、それは仕事とは関係のないことだ。特に鹿島のような人間が手間をかけて隠そうとする話に深入りするのは危険である。十五年間この業界にいればそれくらいの嗅覚は身についている。
十五年というのは、我がことながらよく続いたものだ。同期という括りがあるわけじゃないが、同時期に仕事を始めた同業者のほとんどは使い物にならないポンコツで風の噂になるまでもなく消えていった。多少使い物になったとしても身の丈に合わない出世欲と好奇心にとりつかれてボコボコと墓穴を掘って、頭から飛び込んでいった。未だにこの仕事が向いているとは思わないが、性分にはあっているのだろう。
殺し屋に必要な資質はとにもかくにも余計なことに関心を持たないことだ。仕事の度にターゲットや遺族の心情を気にしていたらすぐに心が擦り切れてしまう。依頼者の動機の裏を詮索してもいいことはない。実入りは同じで面倒が増えるだけだ。この業界のアンタッチャブルに踏み込むのはもっての他だ。たとえ半歩だけでも跡形なく消されてしまう。
依頼された仕事をこなして金を受け取る。それが長く殺し屋を続けるコツだ。長く続けるのがいい商売かどうかは別だが。
金が目当ての殺し屋は十年を境に辞めていく。十分稼いだからなのか思っていたより儲からない仕事だと見切りをつけたからなのかは不明だ。ただ、不思議なくらいみんな十年を目処にする。十年以上仕事を続けるのは、殺し自体が目的になっている快楽殺人鬼たちばかりだ。世間が憧れる、好きなことを仕事にするというやつだ。このタイプは、仕事にしか興味がないから余計なことに首を突っ込んで地雷を踏むことがない。仕事が趣味なので多少条件が悪くても文句を言わない。その替わり、仕事方法に注文をつけられるのを嫌う。奴らは自分の嗜虐性を満足させるために仕事をする。だから自分の嗜好に合わないやり方では仕事をしようとしない。特に残虐さに欠ける毒殺の案件は、いくら条件が良くても手を出さない。
水本はどちらのタイプでもなかった。金は欲しいがバスタブを札束で満たすほどの儲けられる仕事じゃないことを悟ってからも仕事を続けている。もちろん一生遊んで暮らせる蓄えもできていない。恐怖と苦痛に歪む表情に性的興奮を覚えるような趣味はない。飲み会でSかMかという質問に「相手と流れによってどっちでもできる」と答える、SMと前戯の区別もできない女子大生並みにノーマルである。仕事以外では暴力を振るうことはない。虫も殺さぬということはないが、カブトムシぐらいのサイズになると抵抗がある。午前中に蜘蛛を殺せないのは暴力性とは別の理由だ。
生まれ育った家庭環境が複雑だったわけでもない。
親父は飲んだくれ、打ちだくれのどうしようもないろくでなしだった。打つのもちんけな博打だったらまだましだったのだが、親父が打つのは注射だった。シャブで何度か塀の向こうに落ちて、最後は打ちすぎて彼岸の向こうに落ちた。おふくろは根っからのジャンキーだった。ダイエットに使えるだとか疲れがとれるだとかの甘言にだまされて薬物に手を出し溺れていくというのではなく、快楽の手招きに自ら応じてヤク中の世界に足を踏み入れた。その上、ヤクを買う金欲しさに売人の真似事をし、ダイエットがだとか疲れがだとかという甘言で周囲を引きずりこんだ。親父を打ちだくれにしたのもおふくろだ。シャブ、ヘロイン、睡眠薬、LSD、ハーブ、大麻、咳止め、朝鮮朝顔、ありとあらゆるドラッグに手を出した。まあ、平たくいえば両親揃って人間のクズってことだ。
当然のように家庭は崩壊していた。親父は暴れる。おふくろはラリる。そんな環境でまともな子育てがされるはずがない。親父が三度目だか四度目だかのムショ暮らしから戻ってきて、おふくろがLSDにはまり始めてからは特にひどかった。互いに別々の幻覚を相手にしゃべるものだからある種大家族みたいなものである。大半の声は聞こえないので会話にはなっていないが。本人たちは何日も風呂に入らないくせに風呂場はいつもピカピカに磨かれていた。中学生になっていた水本は、着る物も食べる物も自足するようになった。自足するにして買うお金がない、作る土地がないとなるとかっぱらうしかない。幸いショッピングモールに行けば何でも揃っていた。
親父は風呂掃除中にシャブを打ちすぎてひっくり返って死んだ。白目を剥いて硬直する親父の死体に数十年前自分が着ていたセーラー服を着せてケタケタと笑っているおふくろを見て、このままここにいたら自分もどうかなってしまうと思い家を出た。中学三年生の秋だった。
結局、殺し屋になっているのだから、そのときのその選択が正しかったかどうかはわからない。
バカとクズの間に生まれて、長じて自身も裏の世界の住人になった。これほどわかりやすい話はない。複雑な家庭環境というのは、お笑い芸人とグラビアアイドルの間に生まれながら音大に行ってオーボエ奏者を目指すというようなことをいうのだ。
家を出た水本は絵巻物のようにわかりやすく墜ちていった。万引きは窃盗にランクアップし、やがて空き巣に進化した。最初は自由気ままに空き巣家業に精を出していたが、やがて空き巣の世界に組合のようなものがあることを知った。警察は空き巣多発地域の警備を強化する。また、空き巣の手口、特に進入方法によって同一犯か否かの判断をする。警察が警戒しているエリア、手口を避けて仕事をすれば捕まるリスクは低くなる。警察のマークが弱い土地で仕事をし、警戒が強まったら別の土地に移動して、別の手口で仕事をする。こうすれば捜査の網をくぐり抜けて仕事を続けられる。この仕事をするエリアと手口を決めるのが組合だ。捕りすぎないよう漁期と漁場を決める漁業組合と同じようなものである。組合は正確に警察の動きを把握していた。今思えば、警察から直接情報が流れていたのだろう。裏社会の仕組みは単純である。知りたい情報があれば、知っている人間から聞き出す。その方法がいささか裏社会的なのは言うまでもない。
安全に仕事ができるのならばと水本は喜んで組合に参加した。それが裏社会への第一歩だった。それからは若くて使い勝手がよかったこともあって、空き巣以外の仕事も頼まれるようになった。詐欺用の口座から金を引き出したり、駐車場の車に細工をしたり、町工場から劇薬を盗んだり、中身のわからないトランクを運んだり、今よりも危険な仕事をしていた。
裏の仕事をするようになり生活は荒んだ。バカとクズのおかげでドラッグにこそ手を出さなかったが、十代にして昭和芸人のような飲む打つ買うの毎日を送るようになった。それもすべて違法だ。違法な店で飲みながら打って、勝っても負けても買って帰る。裏社会を一番満喫していた時代だ。
そのころに高取と出会った。始めて会ったのがどこだったかは覚えていない。仕事でいっしょになったわけではないと思う。あのころ高取は既に殺し屋として業界では名が通っている存在で、水本はイキがっているだけの使いっ走りだった。ともかく、どこかで知り合い、どこかで幾度か顔を合わせているうちに、どこかで会えば挨拶くらいする間柄になっていた。それでも向こうは水本のことを、使い捨ての駒の一人としてしか見ていなかっただろう。実際に使い捨ての駒だったのだから仕方ない。
その使い捨ての駒が、今まさに使い捨てされようというところを救ってくれたのが高取だった。