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ジョブチェンジ  作者: アンドロメダ亭X
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 その日の夜、水本は倉庫の並ぶ埠頭で仲介者の鹿島と落ち会った。

 会う場所は毎回変わるが、決まって人気のない場所である。それは鹿島だけでなく、どの仲介者でも同じだ。きっと仲介者業界には、全国人気のない場所マップが流通しているに違いない。そう思うくらい、いつどこにいようと付近の人気のない場所を指定された。会うのは大抵夜間だが、緊急を要する要件のときは昼間に人気のない場所がきっちり用意された。全国人気のない場所マップには、夜版と昼版があるとみた。

 仲介者の仕事は文字通り、依頼者と殺し屋の間を仲介することである。依頼者は仲介者に対して仕事の依頼をする。仲介者はその仕事に適した殺し屋を選択して仕事を委託する。細かな注文や金額の交渉は仲介者を通じて行われる。当然少なくない額の手数料が仲介者の懐に落ちる。それでも決して仲介者を飛ばして依頼者と直接仕事をしてはいけない。理由は簡単だ。そんなことをすれば一発で本物の首が飛ぶ。甘い汁を横取りしようとする人間を見逃すようなやさしい連中ではない。人殺しという純度百パーセントの犯罪行為をビジネスに仕立てあげる元締めである。当人はもちろん横も後ろも盤石なアブナイ組織によって支えられている。たかだか現場担当の殺し屋風情が出し抜こうとするのは、動物園のフラミンゴが野生の虎の群に飛び込んでいくほど無謀である。

 仲介者の鹿島は時間通りにいつもの黒塗りの外車でやってきた。イエティとビッグフットとのハーフだと言われても驚かないほど屈強な黒人が二人降りてきて、水本の身体検査をした。どちらかは元傭兵で数年前までアメリカのポップアイドルのボディガードをしていたという話だ。もう片方はハリウッド映画にエキストラとして出演したことがあるらしい。

 二人のボディガードは、後ろポケットに入れたラーメン屋のスタンプカードまで検分を済ませると、車に向かって合図した。ゆったりとした足取りで、仲介者の鹿島が車から降りてくる。身体つきこそ純和風だが、目つきはロシアの大統領選挙に出てもいい線に入りそうな鋭さである。これほど危険な臭いを発散させる初老を水本は他に知らない。

「やあ、この間はご苦労さん」

 鹿島は人の正面に立たない。斜めに立てば、相手の間合いに入ろうと攻撃までに体勢を変える一瞬の間が生じる。その間があれば相手を料理する自信があるのだ。実際に動くのは両脇にびたりとついて離れない二人のボディガードだから、自信があるというより信頼していると言った方が正しい。

「いえいえ、こちらこそいい案件をご紹介いただきまして誠にありがとうございました。ただ、少しばかり当初の見込みよりも経費がかかりまして、もし可能であれば追加料金をもらえたらと思うんでけど」

 ボディガードの動きに警戒しながら切り出す。鹿島はカッカと声を出して笑った。

「いやー、君もいよいよそういう冗談が言えるようになったか。結構、結構」

 鹿島の目は笑っていない。

「いえいえ、もちろん本気で言ってるわけじゃないですよ」

 水本は慌てて笑顔を取り繕った。もちろん目も満面の笑みである。

「わかっているとも。君は仕事が終わってからゴネるような殺し屋じゃない」

「仰るとおりです」

 いろいろな仲介者を介して仕事をしてきたが、鹿島からの仕事が一番多い。水本が殺し屋の仕事を始めて、最初に依頼を受けた仲介者が鹿島だった。そのころの鹿島は、今ほど多くの案件を抱えておらず、今ほどの地位にはいなかった。鹿島に水本を紹介したのは高取だ。それから数年は鹿島の専属として仕事をした。フリーになってからも鹿島の案件は優先的に受けるようにしている。恩や義理も確かにあるが、案件の質がいいのが一番の理由だ。鹿島が紹介する案件は、面倒はあってもトラブルはない。いい加減な仲介者の案件だと、依頼者から金を取りっぱぐれたり、警察に情報が漏れていたりということもある。鹿島はそういうミスを決して犯さない。警察にマークされることも入金が遅れたことも一度としてない。その変わり報酬金は他の仲介者の案件よりも安い。もちろん依頼者から安く仕事を受けているわけではない。それどころかおそらく鹿島の方が高額なはずだ。案件の質を上げることで、殺し屋を安く使い自分の取り分を増やす。誰もがわかりながらなかなか結果を出せない正攻法で、鹿島は着実に利益と業界での地位を上げていった。

「あのー、前回紹介してもらって回答を保留していた案件なんですけど、あれってもう他に依頼されましたか」

「この前仕事したばっかりなのにもう次の仕事か。結構、結構。仕事熱心な殺し屋は嫌いじゃない」

 鹿島は顔を綻ばせて頷いた。その動作と表情に安堵の色が垣間見えた。

「あの案件、もしまだ空いているならふってもらってもいいですかね」

「もちろんだ。君なら安心して任せられる」

「ありがとうございます。ただし、二つほどお願いしたいことがあるんです」

 鹿島の両脇を固めるボディガードに素早く視線を走らせた。動く気配はない。意見が通るかは別として、耳を貸す気はあるようだ。交渉の余地がなければ、ボディガードからキツイ制止が入る。交渉のテーブルに着くつくということは、相当この案件に手を焼いているということだ。交渉の余地ありと喜ぶ一方、鹿島の手に余る案件に手を出していいのかという不安が顔を覗かせた。

「まずは、料金のことなんですけど、これくらいいただくことはできませんかね」

 指で希望金額を提示した。これだけもらえれば、マッシュと呼ばれる男の店の薬を使えばその他の経費を考えても十分利益が確保できる。

「もう一つの要望は何だ」

 水本の要求金額については答えず、話を続けるよう促した。

「依頼者に仕事の手伝いをしてもらえないでしょうか」

 協力者がいれば静脈注射による殺害の難易度はぐっと下がる。ターゲットの居住地に自由に出入りできれば、ターゲットが眠ったところをプスリとやってしまうだけでいい。

「なるほど。一つは考えてやってもいいが、もう一つは問題外だ。万が一にも依頼者にリスクのあることは受け入れられない。今回の案件は、依頼者に嫌疑がかからないことが最優先事項だ」

「ということは、金額の方は考えていただけるということでしょうか」

 揉み手したくなるのを我慢する。殺し屋たるもの揉み手はできない。殺し屋はハードボイルドじゃなきゃ、さいとう先生に叱られる。

「金額については君の希望金額を支払おう」

「ありがとうございます」

 九十度の角度で頭を下げる。

「その替わり、支払いは成功時の一括払いだ」

 ぐうの音が喉の奥で暴れたが、ぐっと飲み下した。

 仕事を受けた時点で着手金として依頼料の一部が支払われ、無事仕事が成功すれば残りが支払われるというのが業界の慣習である。着手金の額は案件によりまちまちだが、完全成功時支払いというのは通常あり得ない。仕事が終わるまで入金がないということは、仕事にかかる経費が全て持ち出しになるのだ。自身がしくじったのであればまだしも、ターゲットが事故に遭う等、不測の事態によって仕事ができなくなっても、それまでの準備にかかった経費がそのまま赤字になってしまう。殺し屋にしたら、そんな御無体なという条件である。それでも飲むしかない。言い値が通ったのだからここで余計なことを言って拗らせたくない。それに今や業界の頂点に手が届こうかという鹿島の機嫌を損ねれば、この業界での仕事を続けられなくなる。鹿島に盾突いて業界から消えていった同僚を幾人も見てきた。奴らが消えたのがこの業界だけなのか、この世界からそのものからなのかは知らぬが仏だ。

「よし、商談成立だ」

 鹿島は水本の無言を承諾と解して手を叩いた。エキストラ経験のあるボディガードが胸ポケットから契約書とペンを出した。鹿島は契約金額の欄にさっき水本が提示した金額を書き込んだ。

「問題なければサインしてくれ」

 支払条件の項目には「完了後一括支払い」と書かれていた。最初から着手金なしの契約を結ばせる予定だったということか。こちらが金額の調整を申し出なければ、どういう理由で着手金なしの条件を飲ませるつもりだったのだろうか。

 ふと浮かんだ疑問に、ぞっとする答えが浮かんだ。

 鹿島は今回の案件を受ける上でこちらが金額交渉してくるのをわかっていたのではないか。いや、そうなるようにことを運んだのだ。予定以上に経費がかかった岩下の案件、前回の相場を下回る提示、マッシュと呼ばれる男の店の格安な毒薬の値段、全ては鹿島の筋書き通りなのではないか。それくらいのことはする男だ。

 そう確信すると「ぞっ」が仲間を誘って胸の奥で宴会を始めた。

 仕事に抜かりのない鹿島に対する畏怖の「ぞっ」ではない。鹿島がそこまでして引き受け手を探す案件の危険さに対する「ぞっ」である。

 しかし、もう後戻りはできない。

 契約書に自分の名前を殴り書きした。

「案件の詳細はDVDで送る」

 契約書を受け取ると鹿島は車に戻っていった。二人のボディガードは鹿島が車に乗り込んだのを確認してから水本の元を離れた。案件の詳細をDVDで送ってくるのは、最近鹿島が動画編集にはまっているだけのことだ。

 エンジン音が埠頭に低く響いた。重油を流したような暗い海をヘッドライトが照らした。二日酔いみたいな波が揺れている。桜が散ったとはいえ、夜風はまだ肌寒い。

 走り出した車が水本の横で止まった。窓がゆっくりと降りて、鹿島が顔を見せた。

「殺し屋、いくつになった」

「今年で三十三歳です」

「そうか。仕事は何年目だ」

「十五年です」

 高取に鹿島を紹介されたのが十八歳のころだ。鹿島はまだ国産車を自分で運転していた。

「もうそんなになるのか。あの男の見込み通りだったな」

 鹿島は黒い海の遙か遠くで揺れる船灯に目を細めた。

「君の仕事は信用している。今回も頼むぞ」

 スモークの貼られた窓が閉まって車が再び走り出した。ブレーキランプを五回点灯させることなく、そのまま闇に紛れて消えた。

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