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ジョブチェンジ  作者: アンドロメダ亭X
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13/21

13

 ひどい喉の乾きで目が覚めた。冷蔵庫のミネラルウォーターを呷る。冷たい硬水は喉を潤し、荒れた胃に突き刺さった。忘年会と称した連日の飲み会で胃をやられている。三十余年生きてきて初めて胃もたれというやつを経験した。満腹以外で食べ物を受け付けない状態があるという話を耳にしたことはあったが、飽食時代を生きる現代人のわがままに過ぎないと決めつけていた。しかし、それはまだ加齢と社会の厳しさを知らなかっただけだったのだ。水本はアルコール耐性のおかげで二日酔いに苦しまない分まだましだった。世の中のサラリーマンたちは、年を忘れるためにウコンや整腸剤を飲みながら酒と食べ物を腹に押し込む。吐きながら食事を続けた中世ヨーロッパの貴族を笑えない。

 出勤までにはまだいくらか時間があった。トレーニングルームでひと汗流すことにした。ヨネモトに入社してからしばらくの間は止めていたが、最近またトレーニングを日課にしている。

 就業時間までに出勤したのは今日も水本と徳原の二人だけだった。忘年会シーズンたけなわのこの時期の午前中は、どこの会社も開店休業状態である。ヨネモトにいたっては開店すらしていない。

 パソコンを立ち上げてメールのチェックをしていたら徳原が近づいてきた。

「白石君、書類の確認お願い」

 例え二人しかいなくても会社では橋詰と白石として接してくる。水本も中途入社の白石と同年齢の先輩社員橋詰という関係を徹底した。あれから幾度か仕事終わりに水本と徳原としてご飯を食べに行った。最初の数回はチェーンの安居酒屋だったが、何度目かに個室の居酒屋になり、前回は雑誌で取り上げられるイタリアンになった。二人の関係は店の変遷から推して知るべしというところだ。話の内容も昔話から今やこれからのことに移りつつあった。

 渡された週間受注報告書の最後のページに付箋が貼ってあった。

「今日、ニッパツの納会終わったら二人で飲み直そうよ」

 やや右肩上がりの字で書かれていた。

 今夜はニッパツ主催の忘年会が開催される。大手企業ニッパツの忘年会はどぶ臭い場末の居酒屋ではなく一流ホテルの大広間で行われる。有名人がテレビカメラを入れて披露宴をする類の場所だ。そこに取引先が一同に会する。というより会させられる。ニッパツの忘年会は、さすがはお殿様ニッパツの忘年会だけあって会費制になっている。しかも、各社参加人数のノルマが割り当てられている。ニッパツから伝えられるのはあくまで目安の参加人数という形だが、もし仮に目安を無視した場合は来年以降の取引に大きく支障が出ることになるので、実質強制ノルマといえた。この手の踏み絵式カツ上げは年に数回あったが、規模の大きさは忘年会が最大である。ヨネモトは社員総出で参加することになっている。もちろんその中には水本と徳原も含まれていた。

 水本は「了解」と書いた付箋を貼って週間受注報告書を徳原に戻した。ついでに、二カ所注文履歴で確認して欲しい事があると伝えた。徳原は一瞬、面倒くさそうな顔をしたがすぐに橋詰の表情に戻って、受注履歴の確認に取りかかった。

 昼前になって死に損なったゾンビと化したヨネモトの社員たちが出社してきた。どの顔もひどい二日酔いで、目は充血し毛穴という毛穴からアルコール臭さを漂わせていた。十二月が四ヶ月続けば揃って黄疸が出ることだろう。

 ゾンビたちはホワイトボードの直行を直帰に書き換え「十七時半にホテルのロビーで」という暗号を残し、散り散りにどこかに消えた。水本も最低限の事務処理を終わらせると会社を出た。

 ホワイトボードには直帰の二文字を記入して、徳原に「十七時半にホテルのロビーで」と伝えた。徳原は「十七時半にホテルのロビーで」と返した。

 水本は国道一号線を北に走りマルヨシの倉庫兼事務所を訪ねた。マルヨシは安く仕入れられる物を大量に仕入れて安いまま大量に捌く、いわゆるバッタ屋である。扱う物は、型落ちや在庫品、外装欠損、サンプル品、倒産企業からの流れ品、法的に入手ルートをあかせない物など安く仕入れられる理由のあるものばかりだ。どこの世界でもこの手の場所に業界の情報がいち早く集まる。

「お世話になっております。ヨネモトの白石でございます」

 今日も社長の丸吉自らフォークリフトを運転している。顔は往年のトレンディ俳優を思わせる優男だが、腕の太さは三振かホームランかの助っ人外国人選手を思わせた。

「おお、どうした。処分に困っているものがあれば何でも買うぞ」

 水本は倉庫に堆く積まれた商品に視線を走らせた。

「いえいえ、今日は年末の挨拶で寄らせてもらっただけです。相変わらずお忙しそうですね」

 マルヨシの倉庫前には出荷待ちのトラックが列を作っている。

「うちみたいなところは、物を動かしてナンボだからな。年末に暇してたら年を越せない」

 マルヨシはしゃべりながらフォークリフトを器用に扱いトラックの荷台に荷を積み込んでいった。

「ここだけの話、年を越せなさそうな会社の情報ってどこか入ってないですか」

 淀みなく動いていたフォークリフトがガッツンと揺れて止まった。丸吉は喫煙スペースで休憩していた若手社員とフォークリフトの運転を替わった。

「どこのことを言っているんだ」

 丸吉の視線が倉庫の隅の一角に動いたのを見逃さなかった。入ってきたときに確認して、おそらくそうだと思っていたがこれで確証が得られた。あそこに積まれているのは、ヨネモトがヘイワ工業に販売した商品だ。

「今月に入ってヘイワさんからの注文が急に増えたんでちょっと気になったんです。何か心当たりないですかね」

 丸吉は損得を勘定して次に切るカードを思案した。

「なかなか鼻が効くな。あそこはおたくの読み通り年内か持って来月末だ。どう袖を振ろうと来月の支払いは越えられない」

 水本の予感的中だ。ヘイワ工業の業績がここ数年ずっと壊滅的状況だという話は以前から聞いていた。ヨネモトへの注文も右肩下がりだった。それが今月になってにわかに注文が増えていたのでいぶかしんだのだ。売り掛けで買って、即金商売をしてくれるマルヨシのようなバッタ屋に持ち込んで現金に替える。日銭の工面に四苦八苦する会社がやるお決まりのロンダリングだ。自転車操業でいえば、前後輪がパンクして今まさにペダルがもげ落ちそうな状態である。ここから安定走行に戻ることはない。足掻くだけ足掻いて知れきった倒産を迎えることになる。

「いくらあるんだ」

「うちは一千とちょっとです」

 先月支払い分の入金がまだなのは徳原に確認してもらった。このままヘイワ工業が年を越せなければ、今月これまでの注文分を含めて三ヶ月分の売り上げが回収できなくなる。

「それならまだましな方だな。いい嗅覚をしていた褒美に一つ教えておいてやる。ニッポンヤワタにも気をつけておくことだ。あそこはヘイワに対して億近い未回収がある。ヘイワが逝ったら連鎖で飛ぶ可能性が高い」

 水本は会社に電話して、徳原に今日以降ヘイワ工業の注文を受けないように指示した。ニッポンヤワタのことは手帳に書き残した。ニッポンヤワタとの直接取引はなかったが、競合として客先で当たることは多々あった。競合の窮地が販路拡大のチャンスとなるか、断末魔の悪足掻きで商品をばらまく脅威に巻き込まれるかは、そのときにならないとわからない。ただ、事前に予期して対策をたてておけるのは大きなアドバンテージである。どんな仕事も正否は事前の準備で決まる。

「若いのにしては珍しく商売っ気があるな。最近の若いのは、大手も中小も会社の業務で物売ってるやつばっかりでつまらない。おたくはそこそこ骨がありそうだ。ヘイワから流れてきた商品だけど、半分はすでに引き取り手が決まってるから無理だが、残りの半分はおたくに送っておく。メーカーに返品すれば少しぐらいは被害が薄れるだろ。またいつでも遊びにきな」

 丸吉はフォークリフトの操縦にもたつく若手社員を手で払いのけ、再び自らの手で商品を荷台に積み込んだ。

「ありがとうございます」

 フォークを片手で上下させながら、ほうれん草摂取後のような太い腕を振った。

 なんとか会社の損害を最小限に押さえることができた。その上、多少とはいえ補填することまでできた。それにも増して丸吉というツテができたのは大きい。クセはあるが業界全体に顔の利く丸吉は、情報、販売の両面で頼りになる。

 交差点の右折待ちをしていると携帯電話が鳴った。

 先輩社員からだった。ハンズフリーイヤホンをつけて通話ボタンを押した。

「お疲れさま。今、電話大丈夫か。さっき橋詰から連絡があったけど、ヘイワ工業が危ないって本当か」

 彼はヘイワ工業の営業担当だ。

「ええ、マルヨシで確認しました」

「マジかよ。だって、今月だっていつも以上に注文入っているぞ」

 危ないからこそだろ。十年以上仕事をしていてなぜそんな初歩的なことさえわからないのだ。鼻に海綿体が詰まっているんじゃないか。鼻が効かない記憶できないじゃ何年仕事をしようと進歩しない。

「今月注文がきていた商品は、そのままマルヨシに横流しされていました」

 イヤホン越しに深い落胆が伝わる。

「安心してください。半分くらいはマルヨシが無償で戻してくれるみたいです」

「本当か。そうか、それはよかった。それなら部長にも報告できる。ちなみにだけど、今回の件、もしよかったらオレが動いたってことにしてもらえないかな。営業担当なのに何もしなかったってなったらバツが悪いからさ」

 マルヨシの言う通り、彼らが気にしているのは会社の業務であって商売ではない。サラリーマンの仕事とは会社の中でうまく立ち回ることで、物を売って利益を得るというのは副次的なものでしかない。

「ええ、結構ですよ」

「そうか。ありがとう。今度一杯奢るよ」

 水本は矢印信号に従って交差点を右折した。欅並木の路肩に営業車が連なって停まっている。この通りは有名な外回り営業マンたちのサボりスポットである。車内ではサラリーマンがマンガを読んだり、昼寝をしたりしている。いつもと変わらない光景だ。

 ふいに乾いた風が胸に吹き込んだ。

 ここ最近時折入り込んでくる、どこか遠く、遙か遙か先の変わり映えのないどこかから吹いてくる空っぽで行く宛てのない風だ。

 水本はアクセルを踏み込んで速度超過で欅並木を通り抜けた。

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