ふとした発言から不穏な空気になったことについて
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警察に電話をかけて話し中だった、ということがあるだろうか。
ないと思う。僕は通報経験が豊富ではないのでよく知らないが、多分警察に電話してずっとつながらない、なんてことはないと思う。そしてあってはならないとも思う。いざという時につながらないということがないように、病院と並んで最も注意しなければならない組織なんじゃないのか、警察というものは。
まあ警察に繋がったら繋がったで、今の状況をどう説明しても一度は怪訝そうな反応をもらうことになると思う。人を食べるなにものかが現れて人間を食い荒らしているんです、この大学だけでも少なくとも一人喰われました、僕はその現場に居合わせたからそれは確かです。こんなことを言って信じてもらおうなんて虫がよすぎる。何も知らなければ絶対に信じてくれないだろう。それか病院を紹介されるだろう。いや、この程度なら叱られて終わりかもしれない。
警察の次に頼るべき場所はないだろうか。頼るばっかりで自分でどうにかしようとしていないあたり、自分に情けなさを感じるが、でもこれは自分の力ではどうしようもない。自分でどうにかしようとして自分が食べられてしまったら大変だ。だから僕は誰かに頼る。力を持っていそうな、どうにかしてくれそうな存在に頼る。
というわけで学生課の窓口に向かった。学生課は掲示板と窓口が離れており、掲示板が貼りだされている広間から階段を降りたところに窓口がある。この窓口はまるで市役所のようで、カウンター越しにオフィスで働いている人達の姿が見える。市役所みたいなところ相手に人を食べる人外のことを話してどうにかしてくれるだろうか。してくれなさそうだ。でも学生課はこの大学以外の色んな所とのパイプを持っている。病院なり消防団なり、そんなところを紹介してくれるはずだ。くれるんじゃないかな。万が一、という可能性もあるし。まあ、駄目で元々、みたいな感覚で。念のため、一応。
と、期待値を下げまくって学生課の窓口に向かった。窓口に座っていたのは学生バイトっぽい歳若い私服の女性だった。
「この大学で誰か死にませんでしたか」
期待値が下がっているので一発では理解できなさそうな言葉を、僕は窓口の人相手に発した。名札に「ふなこし」と平仮名で書かれていたが、どうせすぐに追い返されるんだし、覚えなくてもいいだろう。
「死ぬ? ここで、ですか」
「ええ、ここで」
「さあ……そんな記録は、残ってませんねえ……」
「食べられて死んだんですけど」
「えっ」
ふなこしさんの顔色が変わった。そして窓口から立ち上がり、奥へ向かって行った。今度はバイトじゃなさそうな、スーツ姿の男性が窓口に現れた。名札には平仮名で「きちがや」と書いてある。漢字だとどう書くんだろう。
「食べられて、人が死んだと、あなたはそう言ったんですね?」
きちがやさんは眉間にしわを寄せて僕が言ったことを反芻した。
「その場に居合わせました」
「人が食べられるところを、ですか」
「正確にはドア越しに食べられている現場に居合わせたんですけど。トイレに居たんですよ。個室で誰かが食べられてたらしくて」
「トイレ……二階の、正面玄関に近い方の、ですか」
「ええ」
「何に食べられたのか、知っていますか?」
なんだか真面目に話が進行されている。学生課はどうしちゃったのだろうか。ひょっとして学生の話をまともに聞く気なのか。学生課なのに学生の言っていることを聞くなんて、まるで学生を人間扱いしているかのようだ。
「なにものか、という名前は知りませんけど。穴の向こうから来た、人間じゃないなにものか、と僕は呼ぶことにしています。トイレで人を食べたのは人間によく似た形をしている奴で」
「髪は青かったですか?」
「知ってるんですか」
「知ってるんですか?」
お互い、何を尋ねているのかわからないで同じ質問を往復させている。僕は何を知っていればいいんだ。そして学生課は何を知っているんだ。
「僕の部屋に穴が空いたんですよ。そこからいろいろと穴の向こうのものが現れて、僕の部屋は通路みたいな扱いになっている。通路を確保する代わりに、僕は穴から出てきたばかりのなんだかよくわからない存在に食べられていません」
「……そうですか。学生にも……そうですか。では、ちょっと」
きちがやさんは手招きしながら立ち上がり、窓口の橋にある机を跳ね上げて、僕を学生課のオフィス内に誘った。僕は何をされるのか。何を見せられるのか。ちょっと予想はついているが、それが裏切られることを期待しつつ、僕は学生課の中に入っていった。




