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となりの妹さん  作者: 天城春香
36/69

食べられると死ぬことについて

12(3).

 僕は食べられない、しかし無明さんは食べられる。そういう約束だった。


 部屋に戻って黒猫に確認してみると、黒猫はそう言った。

「私たちは人間を食べることでしか行きていけないんだ。君を特別扱いしているのだから、君の友人は特別扱いはできない」

 できない、ということになるのか。


「じゃあ、僕が別の食べてもいい人間を紹介する、というのは」

「そんなことをされても。君の知り合いの数にだって限界があるだろう」

 限界、というか、実際のところは現在の行動範囲での知り合いなんて無明さんくらいしかいないので限界が来る、なんて悠長な表現は必要ない。既に限界である。そもそも食べられてもいい知り合いなんてものが、存在するわけがない。化け物に食べてもらいたいくらい嫌いな相手であれば、そんなものは知り合いなんて呼ばないだろう。


「しかし、そっちの誰かがこっちの特定の誰かを狙って食べる、ということはあるの」

 僕は安倍と名付けた穴の向こうのなにものかに尋ねてみた。安倍の無明さんを食べる宣言の後、どうしてそんなことを言い出すのか不思議に思い、僕が部屋まで連れてきたのだ。

「あるよ。どうやら自分を不審がっていない、食べようとするまで油断していそうだ、という場合、これは食べるために向いている環境、これは他の人間や虐殺者に見つからない場所にその人間を導ける、ということになるんだけど、そういったところに連れていけそうな相手を見つけられれば、僕たちはそいつを狙って食べようとする。他の、もしかしたらしっかり対策してくるかもしれない人間を狙うよりも食べることが簡単そうだから」


 穴の向こうの存在の行動原理はほぼ食事である。その他の行為、例えば娯楽とかにどういった意味があるのかすらよくわかっていない。穴の向こうの存在の中でも比較的話が通じやすい黒猫や安倍ですらそういった考えを持っているのだから、人間の言葉を解さない相手だとこういった説明すらしてくれないだろう。

「お前は、こいつ……君が安倍と名付けたんだったな。そんなこいつが、無明という名前を持つ人間を食べることが嫌なのか?」

 黒猫がまず尋ねてくるであろう質問が、ようやく飛んできた。

 そして、それに対する決定的な答えを、僕は用意できないまま話を始めてしまった。もちろん今この場でとっさに説得力のある、そして人間以外の黒猫や安倍を説得できそうな答えなど思いついていない。でも、無言でいるわけにも行かないので、到底通じないであろう答え方をするしかなかった。

「嫌だね。知り合いだから」


「どういうことだ」

「わからないな」

 もちろん黒猫にも安倍にも通じなかった。相手は人じゃないんだから、人情なんてものが理解できるわけがない。

 大体、僕だって自分に人情、というか、出会って数日の相手に情が写っていることに気づいて驚いた。今まで友達もいなかったし、失いたくないような人間が現れることもなかった。それがどうして、無明さんが急に食べられる、つまり死ぬことになって、それを嫌がっているのか。しかも僕が能動的に動くことによって無明さんが死ぬわけではない。僕が何もしなくても無明さんは死ぬのだ。まるで自然死みたいに、僕がどうしようもないことで死んでしまう。


 それが我慢ならないなんておかしい。などと考えるのはおかしいんだろうか。例えば僕は人が自殺することについて、これといった意見を持っていない。死にたい人が死ぬ。ならばそれは自然なことだ。死にたい人が死のうと行動した結果、死ぬことができたのだから、別にそれでいい、と考えている。今でもその気持ちに変わりはない。逆に、死にたい人が誰かの説得や何かの妨害によって死ぬことを諦めたり、死ぬことが不可能になったりする、ということが起こるほうが不自然なのではないか、とも考えている。死にたい人が死ぬつもりで行動したのに、それを邪魔するなんてひどいんじゃないか、そう思っている。死ぬための行動を起こした人が本当は死にたくなくて誰かに死ぬのを止めて欲しいと思っていたなら別だけど。そしてその結果、死ぬのを止めてもらえずに死んでしまった場合、これは仕方がない、と僕は思っている。死ぬのを止めてもらうための行動に失敗した結果なんだから仕方がない。


 そして無明さんはもうすぐ食べられて死ぬ。無明さんは死にたいと思っているだろうか。思っていないんじゃないか、と僕は予想する。死にたいなんて口走っていないし、死にたがっているような素振りなんか見せていない。

 ということは、僕が勝手に、無明さんに死んで欲しくない、と思っているのか。なんていう自分勝手だ。更に酷いことに、僕もまだ死にたくないのだ。無明さんの身代わりになることさえ僕は拒否している。これはちょっと、ひどいんじゃないか。あり得てはいけないわがままなんじゃないか。


「嫌だなあ」

 だから僕は、黒猫と安倍に無明さんを食べないで欲しいと再度要求することもできずに、自分の身勝手な感情を呟くことしかできなかった。

「嫌、と言われても。私たちは食事をしないと死ぬのだから、食べられる側から嫌だと言われても承諾はできない。人間だって食べずにいれば死ぬんじゃなかったか? 私たちも、食べずにいれば死ぬんだ」

「君、まるで僕達を説得することはできない、と言いたげだね。正解だ、僕達を説得することはできない。僕は単に人間の言葉が理解出来るだけで、人間の言葉に従属するつもりはないんだ」

 黒猫の言い分も安倍の言い分も、つまりは諦めろ、と言っているようなものだった。

 仕方がない。気が進まないが、これを阻止してくれる相手に頼むしかないのか。


 僕は部屋を出て、隣の部屋のドアをノックした。

「インターホンくらい押してよ」

 隣の部屋に住んでいる妹が顔を出した。

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