生まれて初めて名付け親になった話
12(2).
昨日はどうもありがとう、とコスプレみたいな髪の中性的な顔を持ったなにものかは言った。
どういたしまして、と僕は返した。昨日ちょっと顔を合わせただけだから仲良しなんてわけでもないので気軽に話をすることができない。急に顔を見せられても気まずい。
「誰?」
無明さんが青髪のなにものかに興味を示した。
「名前は、わからない」
穴から出てくるなにものかにそれぞれの個体名が存在するのかすら僕は知らない。部屋に戻って黒猫に尋ねればわかるかもしれないが、この疑問を帰るまで覚えていられるだろうか。そのくらい興味がなかった。
「そちらの方は、初めまして」
それだけ言うと、青髪は名乗らなかった。
「あの、お名前は?」
無明さんは名前を知りたがった。中性的ということは美形ということだし、興味を持ったのかもしれない。
「うーん、どうしようかな」
青髪はまるで焦らしているようだが、本当に焦らしているのか定かではない。
「君、ちょっといいかな」
と、僕は手招きされた。無明さんとセットではなく、僕単体が呼ばれたのだろう。青髪のあとについて、無明さんの目の届かない男子トイレ前まで歩いた。
「名前、どうしよう?」
「ないの、名前」
「ないんだよ。呼び合う必要が無いから」
穴の向こうから出てくるなにものかに、それぞれの名前はないらしかった。
「なんとか属とか、人間とか、そういった生物を区別する用の名前とかは」
「ないんだよ。僕達はずっと、穴の向こうで生まれて、穴を通ってこっちで人間を食べて、それを殺されるまで続ける存在だからね。たまに僕みたいな言葉を使うのも発生するけど、そういうのが寄り集まるってこともないから、自分たちをどう呼べばいいかも知らないんだ」
穴の向こうは一体どんな世界なんだ。野生の王国なのか。でも食事はこっちで行なって、しかも食料は人間なのか。大迷惑だ。
「それは大変だ」
「だから、名乗れって言われても困るんだよ。君、僕が名乗っても不自然じゃない名前をつけてくれない?」
「名乗りたいの」
「名乗りたいね。どうも向こうから近寄ってくれるみたいだから」
嬉しいんだろうか。この青髪も、無明さんに興味を持ったのか。
「じゃあ、……えーと、安倍」
青太郎と言いそうになったが、流石に不自然というか変なので、急遽変更した。
「そうか。じゃあ、今日から僕は安倍ということにしよう」
「特に疑問も持たないんだ」
「名前に対してどう疑問を持てばいいのか、僕たちは知らないから。じゃあ戻って名乗ることにしよう」
僕と青髪改め安倍は、男子トイレの前から階段前に戻った。まだ無明さんは待ってくれていた。
「ちょっと個人的な相談事があったんだ。でも解決した。あと、僕の名前は安倍というよ」
「へー、安倍さん。大物っぽい名前ですね」
大物っぽい名前ってなんだろう。大御所にいそうな名前、ということなのか。
不思議だったが、無明さんの表情を見て納得した。やっぱりこの人は初対面の中性的な顔の人物に興味を持ったのだ。安倍を男だと、人間だと思ったのだろう。まあ訂正してもしょうがないので何も言わないでおこう。
「安倍さん、大学生ですか?」
安倍の背丈は僕達と同じくらいだった。僕達に比べれば童顔ではあるが、子供っぽくは見えない。
「いや、僕はそういうのに縛られていないんだ」
戸籍も住所も学歴もないんだから、まず大学を受験できないだろう。
「自由人なんですね。アーティストかなにかですか?」
アーティストってそんなに自由だったっけ。むしろ最近のアーティストは学歴を割と重視されているような気がする。
でも無明さんにはそんなこと関係ないんだろう。とにかく僕が名付けた安倍という青髪の中性的な相手について、なんでも知っておきたいのだ。全てを知ったら好きとか言っていられなくなるだろうが、安倍はそういうあけっぴろげな性格はしていない。
それから僕たちはビルの一階にある喫茶スペースで話し合った。ほとんど無明さんが一方的に安倍に話しかけるばかりだったけれど。そして無明さんの口からオセロの話は一切出なかった。
無明さんも話し疲れるだろう、と思えるほどほど話し終えた頃、僕達はようやく喫茶スペースから出た。そして無明さんは駅に向かって帰っていった。無明さんがどこに住んでいるのか、もちろん僕は知らない。隣駅かもしれないし、駅の反対側に住んでいるのかもしれない。
僕と安倍は無明さんを見送った。無明さんの姿が見えなくなると、安倍は僕に相談がある、と話を切り出した。
「あの無明さんって人間、君とよく会うの?」
「今日は部屋に訪ねてきたよ」
「そうなんだ。よく会うってことは、君の近くにいれば無明さんにまた会える可能性が高いってことだよね」
「それは保証できないけど、最近になって結構話しかけられるようになったよ」
「じゃあ、今度僕と君と無明さんの三人で会うことになったら、僕と無明さんを二人きりにしてくれないかな」
人間じゃないこの青髪にも、恋愛感情が芽生えたんだろうか? と僕は予想した。予想したんだが、
「食べるから」
その予想は一瞬で裏切られた。




