学舎の不思議な構造と声の大きな輩について
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空気は不穏だが、それだけだ。
学生課の掲示板から図書館へ向かうには中庭を突っ切るのが一番早いのだが、青いビニールシートが通り道を占拠していたので通ることができなかった。恐らくあそこで殺人事件が起こり、あの中で現場検証やらが行われているのだろう。仕方がないので遠回りしなければならなかった。まず西棟の端まで歩き、そこから一旦地下に降りて地下通路を経由して東棟まで出て、そこの廊下を中庭を大回りするように通り、そして終端でまた階段を下りる、という道筋をたどってやっと図書館まで辿り着く。
この東棟というのが妙な建物で、一階を歩いていたはずなのに、図書館へ入るために階段を下り、図書館に入るとそこは図書館の一階となる。つまり図書館がわからしてみれば東棟の二階から階段を降りることで図書館の一階にやって来る、ということになる。一階を歩いていたと思ったらいつの間にか二階になっている建物なのである。どこを境に二階になっているのか、まだ明らかにはなっていない。多分先輩とか教員とか職員の誰かはわかっているんだろうが、まだ入学して少ししか経っていない僕にはどこからが二階になっているのかわからない。
図書館の入口にはゲートが有り、ここは学生証をセンサーにかざさないと通れない仕組みになっている。東京の大学の図書館は学生じゃなくても使えたりするらしい。そういう大学へ通いたかった。いい加減未練がましいが、僕はもっと都心の大学に通いたかった。一体どうしてこんなことになったのか。自分の学力不足である。じゃあ仕方がない。
無明さんは時折窓から見える青いビニールシートを何度も確認していた。
「誰が死んだか、知ってる?」
「知らない」
朝のニュースも、ニュースサイトもまだ見ていないから、僕には昨日の夜に世間でどんな事件が起こったのか全く知らない。真の情報遮断とはこういうことか。こんな暮らしをしていると、きっと九州あたりで大地震が起こったとしても知らないままだったりするんだろう。そういう面では、強制的に知りたくもない情報を垂れ流すテレビというものも、まだ世間には必要な物なのかもしれない。
「誰が死んでたら嫌だと思う?」
無明さんは物騒なことを尋ねてきた。
「この学校の誰か、という縛りなら、ちょっと思いつかないな。ほとんど知らない人ばっかりだし」
「じゃあ、知ってる人だったら?」
どうしてそんなことを知りたがるんだろう。嫌がらせの材料にするためだろうか。
「知ってる人だったら、」
僕が顔を知っている人の内、誰が死んだら僕は泣くだろう?
考えてみた。
「思い当たらないな」
「えっ」
無明さんはまるで呼吸が一瞬止まったかのような変な声を出した。
そして、変な声が出たところで僕たちは図書館の入口に到着した。
図書館は、なんとなく大声で会話するのがはばかられる場所だ。時折大声で会話してる人もいるけど、そういうのはあまりいい目では見られない。少なくともそれがきっかけになって人気者になる、ということはないだろう。きっと同じような声量で飲み会を盛り上げたりして、別のところで人気者になっているに違いない。そんなのがどうして図書館へ来るのか、疑問でならない。
ゲートを通過すると一階フロア、正面には雑誌新聞コーナーとこの大学の主な学科名にもある経営関連の専門書が揃えられている。僕はこの一階の本を、入学してから一度も手に取ったことがない。
でも新聞コーナーには行列ができていた。新聞は専用のちょっと手前側に傾いた机に広げられるようになっており、一度に読めるのは椅子の関係で一人だけだ。もちろん全国紙のほとんどが取り揃えられている。それら新聞コーナーの、それぞれの新聞紙が広げられている後ろに並んでいる人たちがいた。
「並ぶ?」
無明さんは並ぼうというのか。
「ネットで読めるのに」
スマートフォンか、そうじゃなくても携帯くらいあればニュースくらいすぐに見られる。ここに並んでいるのは、新聞には独自の見解が乗っているとか詳細をじっくり眺めるにはやっぱり紙じゃなきゃねとかそういう意識を持った人たちなんだろう。こういう人たちも飲み会で騒ぐ。さっきの図書館で大音量で会話する人たちとはまた別の話題で大盛り上がりするに違いない。
さっきから無明さんはまるで初めてここに来たかのように、館内を興味深そうに見回している。
「ここ、初めて入った」
初めてだった。そういう人もいる。もしかして図書館を普通に利用するほうが異常だったりするんだろうか。
「僕は地下に行くけど」
「地下? どうして?」
「読める本が地下にしかないから」
僕は階段に向かった。この図書館の階段は、青白い照明が抑えられていて、夜なんかだととても怖いだろう。
「読める本って?」
「専門的じゃないやつ」
僕は生まれてこの方、経営関連の専門書を読んだことがない。そんな僕が属しているのは経営技術学科である。本当にどうしてこの大学を選んだのか、自分でも不思議でならない。




