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となりの妹さん  作者: 天城春香
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犬よりは猫の方がましだという主張と理想を押し付ける人に対する態度について

3(2).

 猫から走って逃げきれるわけがない。実際に猫と徒競走をしたことがある人は少ないと思う、というか猫が徒競走に応じてくれることなんてことからしてまずありえないんだが、人を追いかけるときの猫は本当に足が速い。陸上選手でぎりぎり逃げ切れるくらいなんじゃないだろうか。一体どうしてこんなにも素早いのか……あ、足が二倍あるからか。


 そんなことにも気づかずに、僕は猫から走って逃げようとした。僕が愚かだった。もっといい大学、例えば僕が第一志望としていた大学に合格した人ならこのくらいの事にはすぐに気付けただろうか。でも猫に追いかけられるという経験からして、滅多にあるものではない。猫は身勝手だ。アニメソングの中でだって猫は人間に一方的に追いかけられる。人間に対して好意を抱いていたり、人間を必要とした上で人間を追いかけたりする例は見当たらない。しかし魚を取られたくらいで裸足で追いかける例の人妻も一体どういう精神構造をしているのだろう。裸足で一歩でも外に出れば、靴を履いている状態より遥かに遅くなってしまうことくらい気づけそうなはずなのに。


 そんなわけで、猫というものは人間に対して基本的に好意を抱かない。飼い主になついているように見える猫だって、このような振る舞いをすれば食いっぱぐれないということを学習し、それを実行しているだけだ。なんてことを決めつけてしまう僕は犬より猫が好きだ。犬は鳴き声がうるさいから。


「貴君が猫が好きではないことはよくわかった」

 息を切らせながら逃げることを諦めつつそれでも駅への道のりを歩み続ける僕に、全く疲れた様子を見せない猫のボスはそんなことを言った。

「猫が嫌いなんてひとことも言っていないよ、単に猫は人間のことをなんとも思ってないんだろうなあ、と思っただけ」

 猫が人間に抱いている感情は嫌いより下のそれだろう。


「しかし、私がなにか話を始めようとする素振りを見せた途端に逃げ出すとは。よほど私の長話を聞きたくないと見受けられるが」

「僕には非現実的な設定を現実とすりあわせつつ接していく自信がないんだ」

 あんなことをした妹が現実的な設定を持ち合わせているわけがない。猫はきっと、僕の知らない妹の素顔、というか設定を説明して、それでいて僕に妹への理解を示してほしい、とか話すつもりだったんだろう。


「貴君は現実が好きなのか」

「嫌いだよ。だから設定を聞きたくない」

「どういうことかね」

「非現実的な設定が現実に現れたら、それはもう現実だから。化け物を殺す妹という現実と向き合っていかなきゃいけなくなるから」

「なるほど。魔法の実在が証明されたら、夢物語は夢物語ではなくなってしまう。それが嫌だと、貴君はそう言いたいわけか」

「わかってるなら例えなくていいよ」

「しかしだな、貴君が存在しているのは現実だよ」

「それを感じるのが一番嫌だ」

 そんな夢想家だから僕には友達ができないんだろうし、地に足の着いた努力ができなくて第一志望に落ちたりしたんだろう。


「一生夢を見て過ごすつもりなのか」

「そう言った言葉を使って説教をする奴は現実が見えていない、と僕は決め付けることにしている」


 そんな僕が正しいか間違っているかとかではなく、僕が勝手に決めつけている。現実を生きろ、という言葉が正しいのか正しくないのか、人を幸せにするのか不幸にするのか、そんなものは相手と状況によって変わる。だから、僕は立ちはだかる現実に対して主観的な寝言で返すことにしている。


「なんて、言葉にしないのが一番いいんだけど」

 こういうことを口にすると怒り出す人、というものがいる。相手が現実を見ていないことに腹が立つ、という人たちだ。しっかりと現実を見据えて前向きに生きる人、という理想をすべての人に押し付けるとても身勝手で夢見がちな人たちだ。

「それは屁理屈と言わないのかね」

「屁理屈と決めつけることで勝手に納得して、それで黙ってくれるならそれでいいんだよ」

 と、猫相手に熱弁するほど僕は現実が嫌いだ。


「まるで異世界の住人のようだなあ、貴君は」

「異世界になんか行っても、そこが現実になってしまう」

「……なるほど。貴君という人間の人柄が見えてきたぞ」

 猫は言うが、そんなに含んだ言い方をするほど僕の人柄は深くも分厚くもないんじゃないか。


「それを踏まえて、私の言いたいことを言おう。私と、そして妹は、貴君が知っている夢物語のような設定を持っている。そして実は、貴君の妹は貴君に期待して隣に引っ越してきたのだ」

 それだけだ。と言い終えると、猫はそれ以降、ずっと黙っていた。

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