通学手段の概算と耳鳴りのような足音について
3.
僕の通っている大学は自宅から電車で二駅、そこからバスで十分の土地に立っている。大学構内のコンビニ以外に周辺に店らしい店もなく、民家すらまばらである。まるで陸の孤島のようだが、こういったところが多分全国的に普通なんだろう。どこからでも徒歩五分以内にコンビニがある都会のほうがおかしい。そう、おかしいんだ。などと、僕は都心に建っている大学に落ちたことを自分に言い聞かせて納得させようとしている。もちろん本当は東京で暮らしたかった。大学から徒歩数分でコンビニからも徒歩数分の壁の厚いマンションに住みたかった。でも親がそれを許してくれなかったのだ。あと僕の学力もそれを許してくれなかったのだ。
大学から駅までバスで十分。それは待つこと無く乗れれば、の話である。誰もが講義やサークルなんかが終わってすぐに大学前のバス停でバスに乗れるわけじゃないし、最後の講義が終わって夕方になってからはずっとバス停前には長蛇の列ができている。こうなったらもうこの列がなくなるまで待つ、なんてことはできない。駅までのバスは、夜には運行していないのだ。
バスを使わずに駅に到着する手段はあると言えばある。まずは車やバイクを使うという手。しかし僕は免許を持っていないし、免許を持っている友達なんかもちろんいない。となると自転車か徒歩ということになる。自転車を使うのは非現実的だ。大学の最寄り駅の周辺には駐輪場もないし、それに大学はちょっとした山の上に建っている。夏でも暗い急な坂道を自転車で登るのはちょっとしたスポーツだ。大学へ行く程度のことでスポーツはやりたくない。僕がこの大学を選んだ理由の一つとして、一年次の必修科目に体育系のものが入っていない、というものがあった。身体を使って疲れるのは嫌いだ。汗をかかずに一生を終えたい。まるでクズのような言い分だが、「まるで」じゃなくて「確実に」クズなんだからこんな主張をすることも致し方なし、ということにしておこう。うん。そうだそうだ、それがいい。
一人で納得し終えたので、僕は歩いて駅を目指すことにした。バスで十分の道のり、と言えば結構近いように思えるが、歩いてみるとこれが意外と長い。車というものは本当に高速で移動するものなのだなあ、と歩くたびに通関する。特にこういった周囲に店のない田舎では犬を飼っている家が多いので、歩いていると度々吠えられて驚くことになる。僕は吠える犬は嫌いだ。すべての犬から声帯がなくなればいいとすら思っている。多分僕は犬が嫌いんだんだろう。自分が犬派か猫派か、なんて質問もされたことがないからじっくり考えたことがないのだ。
住宅と空き地と誰が持ち主なのかわからない小規模な森のような木々が生い茂っている土地が交互に並んでいるような土地の脇の道を、僕は駅を目指して歩いている。この前にある小泉純一郎の写真集が未だに店頭に飾ってある古めかしいブティックを曲がれば、駅までもう一息、といったところだ。
ところで、さっきから小さな足音が聞こえる。子供のそれよりも軽く小さく、まるで小動物のような足音だ。ちょっと車が走っただけで、この足音は聞こえなくなるだろう。
振り向いてみた。小さな猫が足を止め、僕の目を見据えた。
「私に見覚えはあるか」
猫が問いかけてきた。
「喋る猫なら、見たことがあるけど」
けど、黒猫の個体差を見極めることは僕にはできない。この猫は昨日妹の部屋で見た猫とは違う黒猫かもしれない。
「ならばよし。私は喋る猫だ。昨日のボスだ。この名前を覚えているかね」
確か妹が飼っている猫の名前だったか。妹だけじゃなく、猫も大学に来ていて、大学から帰る僕をつけてきたのだろうか。
「今日の出来事について、君は疑問を抱かなかったのか」
「出来事って、あの妹とカラスの」
「カラス……確かに、外見はカラスだな。その件のことだ」
「疑問、というか、ひたすら臭かった」
「そうか。魔獣の体液は臭いからな」
魔獣って言った。この猫、魔獣って普通に言った。
「貴君の妹は戦っている」
「だろうね」
妹が戦闘以外の方法であの大きいカラスを殺したとは思えない。このやりとりで、あのカラスを殺したのは妹である、と決めて話さなければならなくなった。
「つまり、僕の妹はヒーローってことになるのかな」
「その言葉の定義について、私は詳しくないのだがね」
ヒロイン、とでも言ったほうが良かっただろうか。でも地球を守るヒロインが殺傷をする、というイメージはあまりない。どちらかと言えば浄化して片を付けるタイプが多い気がする。ギャグとかだとそんなこともないが。しかし、そのどれもがフィクションの話だ。
「まるで現実感がないな」
「その割には、貴君は猫と平然と話しているが」
「そうだね」
しかし、今更驚くのもわざとらしい。
「どうしてそんな話を、僕に?」
「あの娘にも一人くらいは理解者がいたほうが良いだろう、と判断してのことだ」
なんだか長めの説明が始まりそうな予感がしたので、僕は逃げ出すことにした。




