07話 強い人は例外なく
「ではな。……回りすぎるなよ?」
フィトナが言うと、スベルグロウは気楽に返事を返した。
「はーい」
後はそれっきり、一人で延々と回り続けている。
シスカは何というか、主がこいつでなくて良かったと、心奥底から思った。
コレの側に四六時中いるとか、どんな拷問かと。
「他に気になるのはあるか?」
スベルグロウのところから辞して、フィトナがシスカに問いかける。
シスカは色々聞きたいことがあることはあるのだが。
もういい時間だった。
スベルグロウの元で時間を喰いすぎた様だ。
「あー……。そうじゃ、お主のご両親に挨拶はせんでもいいのか?」
少々悩んで、シスカはふと思い立って聞いた。
例えフィトナが実際に国をやりくりしていたとしても、本来であれば王達が治めているはずなのだ。
必然、この城も王達の物。
その城の中を自由に動いているのだから、一応挨拶をしておくのが礼儀と考えたのだが。
しかし、それを聞いて、一瞬でフィトナの眉が歪められた。
「……あの人たちは。……いや、一応やっておこうか。アレでも表向きは王だもんな」
一瞬フィトナは断りかけて。
微かな葛藤の末、頷いた。
王に対して、酷い言い分だったが。
「…………」
そんな口ぶりで良いのか?とシスカは思ったが、フィトナはその娘だ。
立場上許されるのかもしれないと思っておくことにした。
そして案内された場所は。
フィトナが居た部屋と同じくらいに豪華で、それよりもなお重厚だ。
フィトナは何も言わず、その扉を叩いた。
ごんごんと。やけに力を込めて。
失礼ではなかろうかとシスカは思ったが、フィトナもカナタも、門番として立つ衛兵もどこ吹く風と言った顔だ。
フィトナは一拍あけ。
返事も待たず、再びドアを叩いた。
ごんごんごんごんと。
ぶち抜かんばかりの勢いで。
執拗に。
「?!」
その様子にシスカが目を丸くして、慌てて辺りを見回す。
誰も彼も、平気な顔をしている。
そしてフィトナは、返事も待たずに扉を微かに開けた。
それを見て、シスカはふと理解した。
扉が異常に分厚い。そして同時に、それの理由も理解した。
音を漏らさぬためだ。
これでは生半可な音は通さぬだろう。
扉を叩きでもしない限りは。
そして直後に響いた音は。
「ああんっ!駄目よあなたぁ!娘がっ!んっ!フィ、フィトナちゃんが見て――」
「ふほほ!お前も喜ん――」
異様に重々しい水音と、なんか肉がぶつかる音。
それと、やけに嬉しそうな男女の声がして――――パタンとフィトナが扉を閉じた。
音は消えた。
「取り込み中だそうだ」
フィトナは鉄壁の笑顔を繕い、シスカに向けて笑いかけた。
シスカは目と口をあんぐりとあけて停止していた。
その顔が、見る見る真っ赤に染まっていき、そして全力で扉を指差した。
「な、何をやっとんじゃ!?」
唾を撒き散らして怒鳴った。
その声は届いたのだろうか。壁一枚向こう側から、なんか変な雰囲気があった。
「いや、それは」
フィトナが笑顔のまま何か言おうとして、
「ナニだろう」
カナタがあっさりと言い切った。
シスカはバッ!!とカナタに視線を向けた。
フィトナが煙に巻こうとして、カナタが真実を告げたから。
「ノックしたじゃろう!?なのに何で続けてッ?!」
その叫びはやはり聞こえているのだろう。
扉の向こうから、くぐもった悲鳴が聞こえてきた気がした。
カナタが扉の方を見た。
そして重々しく頷いた。
「性癖だ」
「性癖ッ!?」
乙女な彼女の中では、そう言う行為は陽が落ちてから恋人と密かに行うものだった。
それを夕方とはいえこんな時間に堂々と。
しかも娘が来てもお構いなしに。
いや、むしろ喜んでいるように聞こえた。
人間、進化しすぎじゃろう!!と、シスカは戦慄した。
「特殊な例もあると言うことだ」
カナタはあっさりとそう言い切った。
シスカは眉を歪めて情報の整理を必死に行って、
「……王が特殊でええのんか?」
真昼間からあんなことをしていて、国が大丈夫なのかと不安になった。
やることもやらず娘に全て放り投げて、ヤっている。
凄く駄目な気がする。
セーフかアウトで言えば、間違いなくアウトだ。
「お飾りだ。構わん」
誤魔化すことに失敗したと悟ったフィトナが、両親を切り捨てた。
後ではったおす。そう顔に書いてあった。
「さ、あの色ボケ共は理性がある時にするとしてだ。ああ、そうだ。第二位とかどうだ?あいつはまだ、と言うか大分マシだぞぅ?」
そして迅速に、国一番の恥部からシスカを遠ざけようと試みた。
「……お願いしようかの」
シスカもそれが分かっていて、あえて乗った。
さっきから壁の向こう側から、規則正しくドンドンと衝撃があるのだ。
そのうち扉から出て来るのではないかと、気が気ではなくなってきた。
「ああ。それがいい。こっちだ」
そそくさと、フィトナたちは移動した。
幸い扉は開かれなかった。
気まずい空気の中、無言で進み、また大きな扉の間に着いた。
すると、シスカの耳が音を拾った。
先ほどの様な、うわぁ、な音ではなく、軽快でテンポの良いリズムだ。
「なんだか、賑やかじゃのう」
シスカはぱちりと瞬きをして呟いた。
「そうだろう?ここにいる」
フィトナは笑みを浮かべて、そして扉を開いた。
そこは広間だった。
軽快な音が鳴り響き、男女がペアとなって、音に合わせて踊っていた。
シスカは感嘆した。
誰も彼も慣れているようで、音に合わせて優雅に踊り続けている。
皆上手いが、素人目のシスカから見ても極めて上手く踊る女性が居た。
シスカの目は、彼女に釘づけになった。
フィトナはそれを見て、頬を緩めた。
「ラーマ!!」
フィトナが呼ぶと。
その踊りの上手い女性がこちらに抜けて来た。
近くで見て、シスカは圧倒された。
強さではない。
圧倒的なまでの淑女オーラに押されたのだ。
顔は美形。表情はたおやか。体は細くてしなやかで、出る所は出ている。しかし下品ではない。
そして、まるで芸術の様な立ち姿だった。
「あら?フィトナさんどうしました?カナタさんもこんにちわ。そちらの御嬢さんは初めましてね?」
ラーマが、イメージそのままの柔和な微笑みを浮かべて、シスカにも柔らかい視線を向けた。
「う、うむ。シスカと言う」
シスカは慌てて頭を下げた。
「シスカちゃん!可愛らしい子ねぇ」
ラーマは慈しむような目でシスカを見つめて、優しくシスカの肩に触れた。
「そ、そうかのう?」
全く不快ではない。
しかし、その優しさに晒されたシスカが緊張して固まった。
「ええ!うふふふ」
ニコニコと、聖母の様な微笑みを浮かべるラーマ。
理想の女性そのままの姿に、シスカは我知らず憧れの視線を向けた。
「で、このラーマが二位だ。『誘う舞人』ラーマ」
カナタが赤面しているシスカに言った。
シスカは一瞬何を言われたか分からず瞬きをして。
「…………いやいや」
何を阿呆なこと言っとるんじゃコイツ、と言う目をカナタに向けた。
どう見ても戦う人ではない。
あのスベルグロウとかいう変態とも違う。
彼女は理性ある、目指すべき淑女だ。
シスカはそう確信したが。
しかし、フィトナは言った。
「彼女も普通ではない」
ラーマは可愛らしく唇を尖らせた。
「あら。酷いわねぇ」
それだけでも、シスカらから見ても憧れるしかない、いじらしさがあった。
「シスカ」
全く信じられぬ様子のシスカに、カナタが声をかけた。
「む?」
シスカが怪訝な顔でカナタを見ると。
「殴ってみろ」
カナタはとんでもない暴言を吐いた。
「――は?」
花の様な女性だ。
強く触れれば折れてしまいそうな女性だ。
この人を殴ることなど考えられぬ。
シスカが視線でカナタを責めたが、カナタはびくともしなかった。
「軽くでいい。すぐに分かる」
再び殴れと言う。
「いや……」
シスカは苦言を呈そうとしたが。
「ラーマ。シスカは君と踊りたいらしい」
フィトナが、ラーマに対してそう言った。
すると、
「まあ!!素敵な踊りにしましょうね?」
ラーマは目を輝かせて、シスカの手を掴んだ。
「いや、ちょっと待――ッ?!」
意味が分からないと、シスカが抗議しようとした瞬間だった。
シスカは踊りはじめた。
いや、踊らされ始めた。
「なっ!!ちょっ!?なんじゃぁ!?」
手が、足が。
勝手に動くのだ。
シスカの意思に関係なく。
シスカは慌てて手足を動かそうともがいた。
「あらあら。とても力強いのね」
手足が意思通りに動いた。
そう思ったのは一瞬で、意思通りの場所に着地できていなかった。
逃げようとしているのに、何故ラーマに近づいているのか。
何故ラーマの周りをくるくると回らさせられているのか。
「ちょっと、おかしいじゃろこれ!?」
離れられない。
何をしようがどうしようが。
「はい、はい。あら、良いステップね」
全部ラーマの踊りに付き合わされる結果になっている。
「どうなっとんじゃこりゃあ!?」
シスカは、自分の体が自分の物では無いないと言う感覚を抱いた。
ぞっとして、冷や汗が浮き出て来た。
「『能力』を使ってみろ」
カナタの言葉を聞いて。
ようやくシスカは、自分にその力があることを思い出した。
「――っく!」
手加減など感じなかった。
彼女に抱いていたのは、いつしか未知なるものへの恐怖へと変わっていた。
だから彼女に向かって思いっきり『拒絶』を撃ち放って。
「あら?面白いわ!新しい音ね!!」
ラーマがするりとステップを踏んだだけで、何事も無くやり過ごした。
彼女の顔は驚愕と言うより、新しいおもちゃを見つけた時の様に輝いていた。
「ええええええ?!?!何で離れないんじゃあ!?」
シスカは目を剥いて絶叫した。
少なくとも、ステップ一つで回避できるような規模の威力ではなかった。
そもそも手も繋いでいる。避けようがない筈だ。
なのに何故ラーマは平然としているのか。
「もっと、たくさん下さいな?」
踊りが激しくなった。
シスカの視界がぶれる程。
「うッ?!おおおお!?」
シスカは泡を食って『拒絶』を放ち続けた。
だがしかし、それはラーマを喜ばせるだけの結果に終わった。
そしてラーマとシスカは踊り狂った。
「そこまでだ」
フィトナが制止し、
「あら?残念……」
ラーマが踊りを止めた。
同時に、シスカはへたり込んだ。
へたり込んだシスカと裏腹に、ラーマはピンピンしていた。
「また踊りましょうね?」
そう言って、再び踊る人混みの中に消えた。
即座にパートナーを見つけ、踊り始めている。
あの細い肉体の中に、一体どれ程スタミナがあるのだろうか。
「…………」
シスカは、ようやく言うことを聞いてくれるようになった手足に安堵し、恐る恐るラーマを視線で追った。
踊っている。そしてよく見れば、パートナーを躍らせている。
相手が疲れると解放して、新たな相手と組む。
そして良く良く見れば。
パートナーを入れ替えている一人の間にも、常にリズムを取っていた。
爪先で、足の運びで、体の動かし方で、手の動きで、首の動きで、目の動きで、呼吸の仕方で。
常に何かしらのリズムを叩いていた。
「…………あれも、あれなのかの?」
シスカは、要点の定まらない呟きを漏らした。
だがフィトナは意味を察した。
「ああ。スベルグロウの同類だ。全てが踊る為の曲だ、と言うのが奴の弁だ」
スベルグロウが常に回っているのならば。
ラーマは常に踊っているのだ。きっと年中休むことなく。
「……キチガイは強いんじゃのぅ」
思わず漏らしたシスカの呟きを、フィトナは否定しなかった。