12話 いらんかったんや
襲い掛かって来たのはよくいる魔物の一種、オークだった。
恐らくは落ちて死んだ人間の肉でも漁りに来ていたのだろうか。
ただし、外で見たオークよりもガタイが良く、力も強かった。
とはいえ所詮はオーク。
例えどれだけ集まろうが、カナタの敵にはならなかった。
カナタは、瞬く間にオークの群れを殲滅した。
「ふむ」
虐殺現場を造り上げたカナタは、返り血一つ浴びずに一言呟きながらシスカを見た。
シスカは、ようやく嘔吐を止めることが出来たところだった。
しかし、平衡感覚は未だに戻ってきていないようである。
「ひーっ、ひーっ、ひーっ。…………んぷっ。……ふぅ、ふぅーっ、ふぅーっ。……ごっ、ごろずっ……ごろじでやるぅ……」
しかも、何故かカナタを睨み付けて物騒な台詞を吐いている。
口元がゲロ塗れなのに元気なことである。
「その元気があれば大丈夫だな」
カナタはそう言ってシスカを拾い上げた。
「ヒッ!?お、降ろすのじゃあああああああああ!!」
先ほどまでの出来事を思い出したシスカは必死に抵抗し始めた。
しかし、まだ立つことも出来ないのだ。
カナタはシスカの口元を拭いてやり、肩に担いで歩き出した。
「……ん?」
そしてすぐ様気付いた。
「お、降ろすのじゃ!後生じゃからっ!頼むっ!はやくうっ!!」
未だに暴れるシスカ。
その暴れ方が、嫌に必死なのだ。
直後に、カナタの鼻孔は匂いを感知した。
オークの血肉の匂いではない。
シスカの匂いでもない。
シスカのゲロの匂いは多少アレな感じだが、拭いてあげた今ならば、それ程でもない。
問題は、アンモニア臭だ。
「…………」
カナタは、そっとシスカを降ろした。
「うっ、ううっ…………!!」
シスカは足から着地するも、すぐに腰が砕けた。
しかしそれでもめげずに、必死に地面を這ってカナタから離れた。
そして木陰に隠れて。
しばらく衣擦れ音が聞こえて来た。
「…………」
そして、二本の足で歩いて木陰から出て来たシスカは。
服が替わっていた。
上下揃って変わっていたが、シスカが主に替えたかったのは下だけだろう。
そして、下着も替わっていることだろう。
「……行くか」
前回のう○こ事件で学習したカナタは、懸命にも言わなかった。
「漏らしたのか」と。
「…………」
シスカは何も言わず、カナタの後ろを歩き始めた。
呪いと言うものがあれば、カナタは呪い殺されていたかもしれない。
カナタとシスカは、数日塔の中を進み続けた。
カナタにとって残念なことに、特に胸が躍る展開も起きない。
雲があり、雨があり、川まであった。
魔物も頻繁に遭遇する。
確かに塔の外の魔物に比べると強いだろう。
ものによっては、倍以上も強くなっている魔物すら居たかもしれない。
だが、元々が規格外のカナタだ。
「うーむ……」
カナタが胸を組んで唸ると、シスカは、また碌でもないことを考えているのではなかろうかと、ジト目を向けた。
「どうしたのじゃ?」
主に対して警戒し、距離まで作っている。
何かあれば、即座に反転して走り出す構えだ。
シスカの不安とは裏腹に、カナタはおかしな行動をしようというのではなかった。
「こんなものか……」
心底残念そうに、足元に転がる死体を見た。
「……当たり前じゃ」
シスカは頬を引き攣らせた。
カナタの足元に倒れているのは、小山ほどもある巨人の死体だった。
シスカなら丸呑みにできるほどの大きさの魔獣の死体には、頭が無かった。
シスカが何かしたわけではない。
カナタがアッパーカットをしたら、首から上が無くなってしまったのだ。
別に戦えばシスカも勝てる。
勝てるが、ここまで雑魚扱いするような相手ではない筈だ。
外でこのクラスの化け物が発生すれば、軍隊が派遣されるレベルであろう。
フィトナレベルならばあるいは一人でも撃破することが可能かもしれないが、彼女でも安全を考慮して一人で立ち向かいはしないだろう。
アホみたいな魔法耐性に、強靭な筋肉。
生半可な武技では肉を切り裂くことすら出来ず、また、繰り出される攻撃の一発が致命となる。
それ程の怪物なのに、カナタは興奮など全く抱かず、作業の様に下しただけだった。
襲われたから倒した。
ただそれだけなのだ。
「はぁ」
カナタは残念そうに溜め息を漏らして、
「もっと手応えのある奴はいないのか……」
戦闘中毒者みたいなことをほざいた。
いや、みたいではなく、立派な戦闘中毒者だろう。
「……ドラゴンとか、出るといいのう」
これ以上となると、ドラゴンだ。
ドラゴンと言っても、そこらの小型な奴では駄目だ。
もっとこう、天災みたいなドラゴンを……。
「いや、あれもあまり楽しくなかったぞ」
カナタは既に戦闘済みだった。
結論から言えばワンパンだった。
スベルグロウやラーマと戦っていた時の方が心躍った。
しかし、彼等と本気で戦うことは禁止されているので、戦っても鬱憤が溜まるだけだ。
カナタはまた深いため息を漏らした。
「…………」
シスカはもうカナタには何も言わなかった。
歩き続けた。
通常の人間であれば武勇伝間違いなしの魔物と戦いながらも、全く危ないところは無く。
あっさりと、塔の天辺付近まで到着してしまった。
シスカは完全に荷物持ちだった。
この頃には、シスカは全てを悟ったような顔をして粛々と荷物運びをし続けた。
わしいらんかったわー、と思いながら。
「お?」
しかし、その顔が驚きに染まった。
何故なら、視界に映ったのは……。
「村だな」
そう、村があった。
ここに来るまで人間とは出会うことなく、その気配すらも感じ取れなかった。
だが目の前にある村には何かの気配があり、そして生活している空気があった。
「……誰か来るようじゃの」
カナタたちが村を発見したと同様に、村の誰かがカナタ達の存在に気が付いた様だった。
「ふむ」
初めは警戒して近づいて来た影は、お互いの顔が見える距離になると警戒を解いた。
目を見開き、嬉しそうな顔をして。
次に、気の毒そうな顔を浮かべて、駆け寄ってきた。
「……鬼か」
その頭にシスカ同様の角を見つけて、カナタは軽く目を見張った。
「……その様じゃのう」
シスカも同様だった。
鬼という種族は、話には良く聞くが、実際に見たものは少ない。
カナタもシスカが初めてだったし、シスカは当然あったことも無かった。
理由は簡単で、誰もシスカと同じ様に洞窟で発生し、そして打ち破った者に付いて、塔の中に潜るからだ。
「おお、やはり!!よくここまで来れましたね」
駆け寄ってきた鬼は、喜色満面の顔を浮かべた。
そして労う様に二人を「こちらに!」と誘導し始めた。
「楽だったぞ」
カナタはあっさりと言い切った。
「……」
シスカはさっきと同じ顔を浮かべた。
鬼はその二人の顔を見て、特にシスカの顔を見て、内心で納得した。
強がりだと思ったのだ。
そして実に優しい笑みを浮かべた。
「ここは安全です。ゆっくり休んでくださいね」
カナタは正直休む必要は無かった。
歩いているだけのシスカも同様だった。
しかし、建物の中で眠れると言うだけでも気分は優れるものである。
「ありがとう。世話になる」
カナタは特に悩まず、世話になることになった。
カナタを案内した鬼は、バードムと名乗った。
彼以外にも、村にはちらほらと人影があった。
彼等は誰もが好意的な視線を向けて来てくれたが、頭には例外なく、角が生えていた。
「鬼だけしか居ないのか?」
人心地ついたところで、カナタが問いかけた。
「……はい」
バードムは頷くのを見て、カナタもシスカも感嘆した。
レアな鬼だけしかないというのも珍しいと思ったからだ。
「元々ここに住んでいたのか?」
この塔だからこそだろうか。
そう思ってカナタが問いかけたが、バードムは首を振った。
「いえ。私達は皆、シスカと同じなのです」
バードムは寂しそうな、そして羨ましそうな顔でシスカを見つめた。
シスカはきょとんとした。
「ふむ」
カナタが先を促す様に相槌を打った。
バードムは一度頷いた。
「私達も主様を得て、共に助け合ってここまで辿り着いた。……そして、主様を失ったのです」
悲しげに、苦しげに眉を歪めて、バードムは呻いた。
「……」
カナタにはその感情はいまいち理解できなかった。
しかし、シスカはハッと目を見開き、同情の視線を向けた。
バードムはその視線を受けて、強がるように引き攣った笑みを浮かべた。
「この先に居る、あの怪物に負けたのです……。私達は人間よりも強い。だから辛うじて生き残った。奴は追撃はしてこない。だから何とか生き延びて。そして、……どうすることも出来ず、ここに留まったのです」
そう、力無く呻いて肩を落とした。
ピクリとカナタの眉が反応した。
『強い』と言う単語に反応したのは明らかだった。
「強いのか?」
「……はい」
バードムが頷くと、カナタは益々興味を覚えた。
「どんな奴だ?」
バードムは、思い出すのも恐ろしいと言った風情で身体を震わせ始めた。
「姿は、人間です。……でもアレは違う!人間でも、鬼でもない。アレは、ただの怪物です……!」
感情的に吐き捨てたバードムに、シスカは気遣いながら疑問を投げた。
「能力持ちかの?」
村には、決して多くは無いが鬼たちが居る。
その彼等が集まっていても、戦うこともせずにこうして留まっているのだ。
ただの相手ではあるまいと、シスカも意識を引き締めた。
「……そうです。『自信』と言う能力と、奴は言っていました」
直後に、ぐりんとシスカの首が動いた。
「…………」
じっとカナタを見る。
『何か知っとるんか』と言う視線をカナタに送り、それをカナタは肩を竦めることで『知らん』と答えた。
シスカが多少疑わしそうにカナタを睨んでいたが、嘘はついていないことを理解してバードムに視線を戻した。
「……攻撃が通じんとか?」
バードムは少し目を見開いて、頷いた。
『良く分かったな』と、その顔が言っていた。
「……はい。何をしようとも奴は傷一つ付かなかった……」
しかし、すぐに驚きも過ぎ去って沈痛に沈む。
「やり過ごすことはできんかったのか?」
シスカは続いて問いかけた。
敵は一体で、防御力が高いだけならば。
例え一人二人ではどうしようもなくても、これだけ鬼がいればどうにかなるのではないか。
そう思って聞いたのだが。
「可能です。実際にやった者もいます。…ですが、塔から出られぬのです。奴の言葉を信じるならば、奴を倒せば塔は開くと言うのですが……」
「なるほどのう」
つまり逃げても意味が無い。
倒すしか道は無いと言うことだ。
なるほど、彼等が困っている理由も分かった。
「……やるか」
そこでカナタは一言呟き、やる気満々で立ち上がった。
「え?!お待ちください!!話聞いていました!?私達の攻撃でも無理だったんですよ!!人間の貴方じゃ――」
バードムが泡を食って、慌ててカナタを止め始めた。
「燃えるな」
しかし、火に油を注いだだけだった。
更にやる気出してしまった。
「ええ!?何言ってるんですか貴方!?え?ちょっ、力強っ?!」
バードムは歩き始めるカナタを止めようとして取り付き、一瞬で引きずられて目を剥いた。
力を振り絞っても、微塵も止まる様子を見せないカナタに驚いたバードムは、慌ててシスカに眼を向けた。
それを受けたシスカはバードムに頷き返した。
「まあまあ、主様。今日くらいはゆっくり休もうではないか、の?」
そう言いながらカナタに歩み寄り、その耳元でぼそりと「お楽しみは明日に取っておけばよいのじゃ」と耳打ちした。
キチガイの扱い方が上手くなり始めていた。
「……それもそうか」
カナタは我慢できる大人だった。
我慢すればするほど、お楽しみは価値をあげると知っているからであるが。
ともかくバードムは胸を撫で下ろした。