ティーンエイジ
明かりを消した部屋で横になりながら、ぼくは次に描く漫画をどうするかについて考えていた。
漠然と考えているのは、世界中の人の夢がリンクしているという世界の話。ヒロインとして、主人公を夢の世界へガイドする夢の精のような女の子を出そうと考えていた。
寝付いてからしばらくして、自分の体に温かい重みが圧し掛かっているのに気が付いた。目を開けるとそこには、奇麗な顔をしたお姉さんがぼくに向かって呼びかけていた。
「気が付いたかな?」
いきなりのことにぼくはびっくりして、絶句した。お姉さんはやさしくささやきかけるようにしていった。
「まず大前提としてここは夢の世界。わたしの存在も、これからあなたに起こることも、全て幻の話なんだと理解してくれる?」
そういわれ、ぼくは戸惑いながらうなずいた。これは明晰夢なのだろう。でないと、いきなり寝ているところにお姉さんが現れるわけもないのだから。
「それじゃあこっちに来てくれないかな? 十八歳のあなたが呼んでるの」
そういって、ぼくの腕を握って歩き出す。部屋の隅には、ぼくが寝付く前までイメージしていた『夢の世界への門』が設置されていた。それから二人で、体を密着させてその門をくぐる。
少しどぎまぎした。お姉さん、胸が大きかったから。
門の向こうには真っ白で何もない空間があった。ぼくのイメージしていた『夢の世界』の情景の一つだ。
「十八歳のあなたが呼んでいるの。ここに十三歳から十九歳までのあなたを集めて、相談したいことがあるんだって。これからほかのあなたに声をかけてくるところよ。待っててね」
そう言って、お姉さんは別の扉へと入っていく。
部屋にはすでに十三歳のぼくがいた。十四歳のぼくを見て、興味深そうな顔をしている。ぼくも当然、同じ気持ちだった。
「あんた来年のぼくだっけ? 漫画は描けた?」
十三歳のぼくがぼくに質問する。ぼくは頷いた。
「うん。次は応募しようと思ってる」
「すげーっ!」
十三歳のぼくは大げさに喜んでくれた。
「あのお姉さん。奇麗だね」
十三歳のぼくは、今よりも少し無邪気だったらしい。十四歳のぼくには『照れ』の気持ちが備わっていたので、「そうかな」とお茶を濁しておいた。
「なんだよ。……十八歳のオレがオレたちに相談? どうでもいい、おまえらで勝手にやってくれよ?」
つれられてきたのは、十五歳らしきぼくだった。やさぐれた顔をしてこちらを一瞥すると、けっ、とつぶやいてその場に座り込んだ。
「彼がやさぐれた理由を説明するとね。彼は連休を使って、自分の漫画を出版社に持ち込みにいったのね。けれど……こっぴどく突き返されちゃって」
「散々にこき下ろされたさ。どうせオレはなにをやってもだめなんだ。ははは」
こうもやさぐれている自分を見るのはショックだ。立ち直れるだろうか……。
「ああっ! 立ち直れるさ。その証拠に、今のオレは幸福絶頂さっ!」
言いながら、次に連れられて来たのは十六歳のぼくだ。高校生になっているはずだ。
「なんで立ち直ったのかって? それはな、愛の力だっ! オレを愛してくれる女の子にめぐり合えた、こんなに幸せなことはないねっ! 漫画だって読んでくれて、ほめてくれるんだ」
「ええーっ! すごい、あんた、彼女いるの?」
そう言って十三歳のぼくが食いつく。十六歳のぼくは鼻高々だ。
「すげーっ! いいじゃん。え? 何もしかして、その、もう童貞でなかったりするの?」
その質問には、ぼくもつい身を乗り出さざるを得なかった。その場でやさぐれていた十五歳のぼくも、ついちらちらと視線を送っている。中学生であるぼくたちは、もうとにかくそれが気になって気になって仕方がないのだ。
「え? 聞いちゃう? それ聞いちゃう? いやまだなんだけど明日その子の家に行くことになっててさ。両親がいないんだそうで……」
「やめておけ。その女は性病だ」
いいながら現れるのは、十七歳のぼく。その手にはアニメヒロインの女の子が印刷された抱き枕が握られている。右手にお姉さん、左手に抱き枕。
「は? マジかよ」
十六歳のぼくが目をむく。
「そうだ。おまけに一ヶ月もたたずほかの男に惚れたとかで別れた。オレに残されたのは医者に『もう女になったほうがいいんじゃないか』とまで言われる性病だけだ……。やはり裏切らない二次元が一番だ」
「本当かよ……」
げんなりする十六歳のぼく。なんだろう、ぼくの未来、ろくなことがないような……。
「おまえらは先に来ていたようだな」
いいながら現れたのは……思い悩んだような顔をした、十八歳のぼくだった。
「オレは十八歳のおまえらだ。おまえらに相談したいことがあって夢に呼んだ。相談ごとというのはほかでもない。これを見てくれ」
いって、十八歳のぼくは漫画雑誌を手に取る。ページを手繰り、指差す。新人賞入選作紹介のページ、『入選』の文字の下には、ぼくが十三歳の時に考えたペンネームがあった。
「やるじゃん」
十六歳のぼくが十八歳のぼくの肩をたたく。これはすごいことだ。十八歳のぼくは、夢をかなえているのだ。
「それなんだがな。実は悩んでる。このまま漫画家になっていいものか……」
言って、十八歳のぼくは説明し始めた。
受賞したのは良いものの、同時に親に薦められて受験した国公立の大学にも内定した。これから漫画家をやっていくなら、そんな忙しい大学に通うのは無理だろう。出版社からは、本気でやりたいなら本社のある東京に来いとも言われている。しかし両親は大学に行かないなら出て行けの一点張り。なら出て行ってやるよと啖呵を切るほど、勇気もない。
「はたしてオレは漫画家として挑戦すべきなのか?」
十八歳のぼくはそう思い悩んでいるようだ。
「親の許しが出ないんなら難しいな」
「そうだな。大学に行かないってことは、一生を漫画に捧げるってことだ。親の支援も受けずに一人で」
冷静に、十六歳と十七歳のぼくが意見する。ぼくはどうも釈然としない気持ちだった。
「そうなんだよ。今まではただ楽しく漫画を書いていればよかったが、いざ道が開けると、踏み出すのには障害が多くてだな……」
そう言って、ぼくたちは暗い顔をして下を向く。なんで夢がかなってこんな空気になるんだろう……今より少し大人に近づいたぼくたちを見て、不思議な気持ちになった。
そのときだった。
「ふざけるなよ」
十五歳のぼくが、さっきまでやさぐれていたのが嘘のように叫んだ。
「あんたはオレが目指しても目指してもたどり着けないものを掴んでいる。気安くあきらめるなどというな」
「そうだよっ!」
十三歳のぼくが言う。
「これおもしろいよ。サイッコーに。絶対に大ヒット間違いなしだ。漫画家になれよ」
「そうか」
十八歳のぼくがそう言って、頷く。
「実は。おまえらにそう言って欲しかっただけなんだ、本当は。自分で、自分のことを信じてやれなくてさ。
本当はただ甘えてたんだ。今まで、誰かの言うとおりにしたら、回りが面倒を見てくれていたから。唯一自分でやりたいと思えたのが漫画だった。その漫画をあきらめちゃ、いつまでたってもガキのままだよな」
おまえらを笑えない、といって
「おまえらもありがとう。やってみることにするよ」
そういった十八歳のぼくに十六歳と十七歳のぼくが、頷いた。
「良かったわね。勇気が出て」
お姉さんがそう言って微笑んだ。
「話が済んでよかったわ。夢は長くは見れない、もうすぐ順番に、わたしたちはここから消えてしまう」
「そうだな……。ところで、オレ、十三歳から十九歳までのオレを呼んだはずなんだが。来年のオレはいないのか? できたら来年、自分がどうなってるのかを聞きたかったが」
「いるじゃない。ここに」
そう言って、お姉さんは自分のことを指差した。
「は?」
「あはは、いつ気付いて驚いてくれるかと思ってたんだけど、本当に分からなかったんだね。わたしは十九歳のあなた」
「ちょっと……」
ぼくたちは絶句する。冷や汗を流しながら、お互いの顔を覗き見る。どういうことだ? と。
「はいこれ証拠。これがわたしの……あなたたちの漫画よ」
そう言って、お姉さんは単行本を一冊、取り出して、ぼくに渡す。『続々重版』の文字がまぶしい。
でもそういう話じゃない!
「これからがんばってね。お金、かかるんだから」
言って、お姉さんは十八歳のぼくの額をつつく。
「な、なにに?」
「取るのに」
なにをとるんだ……。不穏極まる空気の中、お姉さんの体が消え始める。
「それじゃああなたたち、がんばってね。それから、シンスケさんによろしくね」
そう言って、次の質問を飛ばす間もなく、お姉さんは消えていった。
「なんだよシンスケさんって誰だよ」
「……知ってる。中二から体育一緒になったんだ。隣のクラスで……」
「確か志望校一緒だったような……」
「同じ高校に来てるよっ! 選択科目同じでメシも時々一緒に食う」
「……そういやこないだ家にあげたな」
「ま、前に変なこと言われたんだよ。『おまえ、女だったらかわいいだろうな』って……」
そういった十八歳のぼくが消える。続々と、十七歳、十六歳とぼくが消えていく。十五歳のぼくときて、すぐにぼく自身の体が消え始めた。
「ちょっと……消えないで。う、うわあっ」
目が覚めて、本当にそれが夢だったんだとぼくは悟った。
たぶん、いい夢だったんだろう。十八歳のぼくが漫画家になっている夢。これからぼくはいろんなことを体験して、大人になり、夢をかなえていく。そしてそれは一年一年、一日一日の日々の積み重ねなのだ。
だから目が覚めて、ぼくは誓った。
「毎日漫画を書いて、夢をかなえよう。それからシンスケとは距離を置こう」
その誓いを胸に、ぼくは今日もペンを取る。
がんばれば必ず夢がかなう場合も稀によくある。