77,狼君の失敗。
虚しい勝利の翌日からレキ君は自分を発見すると怯えるようになってしまった。
だがすでに一度接触していることから触るのに躊躇がなくなったので彼には悪いが堪能させてもらうことにしている。
ただ問題もあった。
レキ君の鎖の長さはストレスを軽減させるためにすごく長い。
それは等しく彼の行動半径を意味する物であり……詰まるところ捕まらないのだ。
彼の運動能力は並外れている。
それこそラクリアに捕まえてもらうように頼んでもなかなか捕まらないほどに。
結局鎖を引っ張って距離を詰めたところを抱きついて無力化して堪能するという力技で事なきを得ている。
【でもこの方法だとそのうち嫌われちゃうと思うんだよね】
「レキも気持ちよくしてもらってるんだから、そんなことないと思うよ?」
【そうかなぁ~……かなり無理やりだし、私だったらいやだなぁ】
「大丈夫! リリーを嫌うなんて無理だよ! 嫌ったら私がぶちのめしてあげるよ!
レキなんてちょちょいのちょいだよ、むふー!」
大量の鼻息で少々上昇しそうなくらいのドヤ顔のクティだが、今回ばかりはレキ君の怯えがなくならないので困り物だ。
捕まえるまでは激しい抵抗を見せるレキ君だが、捕まえてしまってからは大人しくなる。いや大人しくならざるを得ない。
クティには効かなかった圧縮魔力の撫で撫でもミラ同様にレキ君にはばっちり効果を示している。
抱きついたあとの零れるような鳴き声からも、魔力の流れからも快感の渦に放り込まれているのがわかる。
だが彼的には未知の感覚に戸惑っていてそれを強制的に与えている自分が怖いということだろうか。
でも堪能して離れるとその日はもう逃げなくなる。
すっかり撫で撫でに体力を奪われて動けないのもあるだろうけれど、事後は従順になるようだ。
ツンツンしてたのが実力行使でデレデレになってしまったかのような感じだ。
レキ君はまさかのツンデレだったのだ。
【だからね、レキ君? 私も逃げられると追いかけたくなるんだ。
でも私の運動能力では君を捕まえることなんて出来ないから実力行使するしかなくなっちゃうんだよね。
そこで提案をしようと思うんだ。いいかい?】
「ぐぅぅぅ……」
威嚇では決して無い――怯えと今すぐにでもこの場から離れたいといった感情の混じった唸り声。
ぐるるる、というそれっぽい唸り声じゃないからあまり怖くない。
レキ君は決して噛み付いたり爪を使って攻撃したりはしない。首輪の効果もあるのだろうけど、やろうと思えば痛みはあるが攻撃できないことはないのだ。だがしない。
「お、お嬢様ぁ~……この子力がぁ~……昨日よりずっと強くなってますー!」
「もおちょっお」
逃げようとするレキ君の鎖を力ずくで抑えてもらっているラクリアが情けない声を出すけれどもう少し頑張ってもらおう。
普段はある程度距離が縮んだら突撃してしまうので、こんなに長い時間抑えてもらう事は無い。
無力化しちゃうと思考能力も落ちちゃうようでレキ君にしっかり教え込むことができないのだ。
おかげでここ数日レキ君の勉強も捗らない。困ったものだ。
まぁ自分はふかふかのレキ君ソファーでサニー先生の授業を受けられるので困ってないけど。
【レキ君が逃げなきゃ、撫で撫でして無力化する必要もないんだよ?
でも無力化しちゃうとレキ君のお勉強も進まないし、私としても困ったものなんだよ?
だからね? ここはお互いに歩み寄って、私も撫で撫でを控えるようにするからレキ君も逃げないで? どうかな?】
「ぐぅぅぅ……がうッ!」
「あ」
「あッ!?」
「むッ」
レキ君が一瞬溜めると彼の4本の足全ての魔力が異常に活性化するのがわかった。
わかったけれどどうしようもなかった。運動能力は幼児のソレだ。
このまま鎖が千切れたら千切れた箇所にもよるだろうけど、位置的に自分の方に飛んで来るだろう。それを避けるのも防ぐのも自分だけの力じゃ不可能だ。
思考の次の瞬間には繋がれた鎖がラクリアが持つ部分とレキ君の真ん中くらいから引き千切られる。
すごい力で引き千切られたので鎖がまるで生きているかのように反動でこちらに向かってきていた。予想通りすぎて笑える。いや決して笑えない。
すごい勢いの鎖の直撃なんて受けたらまだまだ成長途中の体ではひとたまりもない。
ラクリアも力比べのように対抗していたため、すっかりバランスを崩してしまっている。
でも自分にはクティがついている。
だからこのくらいは問題ではないのだ。
……のはずだったのだが、防いだのはバランスを崩したはずのラクリアの足とお婆様の手だった。
2人が防ぐよりも早く展開された隠蔽魔術と防御魔術では強度が足りず鎖の速度を減速させることすらできていなかったようだ。
「お嬢様! 大丈夫ですか!?」
「ラクリア! よくやりましたわ!」
「わわわわ……リリー! 大丈夫ッ!? 余所見してたらなんかすごいことになってたよ!? ごめんね、ごめんね……怖かったよね……」
「危うかったな。極小防壁で強度が足りなさ過ぎてあの2人がいなければ危険だった……。瞬間的に隠蔽も含めて使用するにはやはり事前の仕込みがいるか……」
【先生ありがとうございます、助かりました。
クティ、大丈夫だよ。みんなが止めてくれたし……それに……】
どうやらクティは余所見をしていたらしい。
なんというタイミングの悪さか。お婆様とサニー先生とラクリアがいなければ大変なことになっていた……なんてことは実はなかったりする。
サニー先生が言っていたように事前の仕込があれば問題なく防げるのだ。
クティもどうやら先生にも内緒でやっていたのだろうか。先生が使っている隠蔽魔術よりも緻密な魔術により隠されている魔術がある。
たとえより高度に隠蔽されていても自分には見えてしまう。そして深まる知識によりそれがオートで発動する防御魔術だということもわかっている。
だからクティが余所見していても大低のことは防げてしまうのだ。
もちろん防げば防御魔術が展開したことがわかってしまうため、一体誰が使ったということになってしまう。
お婆様はおろか他の誰にもクティのことは知らせていない。発動させるような事態は自分が大怪我を負うような状況でもあるのであってはならないが、これほどの力を持つ存在を周知させるのは問題がありすぎる。
だけどやはりお婆様はすごい。少し距離を置いて見守っていたはずなのに、しっかりカバーしてくれている。
ラクリアもバランスを崩していたのに足を伸ばして飛んできた鎖から守ってくれた。
でも鎖を受けたところの魔力の流れがおかしいことになっている。まるで流れ出るように流出している。
あの勢いの鎖の直撃だから怪我をしたのだろう。
如何にクリストフ家のメイドとはいえ、バランスを崩したところから無理をすれば怪我をするのだ。
この流れ出るような魔力は出血か。
怪我や出血は初めてみる。
血が流れると魔力が流出しているような感じになるらしい。
魔力は血のようだという仮説が真実味を帯びてくる現象だ。
直撃を受けたラクリアの足からは出血しているが、カバーに入ったお婆様の手からは出血していない。
ダメージ的には同じくらいだったと思うんだけど、やはり鍛え方が違うのだろうか。
「らうりあ、だいじょぶ? ありあとね?」
「お、お嬢様……もったいないお言葉です。これも私の務めですのでお気になさらないでください」
「んーん。ありあと、らうりあ」
「お嬢様……」
自分の心配する声と感謝の言葉に痛めた足をものともせずに姿勢を正すラクリア。
専属の役目に自分を守ることも含まれているのは知っている。でも助けてもらったらちゃんとお礼を言うべきだ。
お礼を言われた彼女だが、足は痛くないのだろうか……。
両手を胸の前で組んでうっとりとした顔をしている。そこまで喜んでもらえると正直反応に困る。
でも怪我をしたのだから治療をしなければいけない。
「ばーば。らうりあをなおしてあえて」
「わかっていますよ、リリーちゃん。すでに救護班を呼んでいますから大丈夫」
「ん。ばーばもありあとね。だいしゅき!」
「ふふ……ばーばもリリーちゃんが大好きですよ……よかった、無事で」
お婆様に優しく抱きしめられているうちに何人かラクリアに近づいてくる。
2人の救護班の人の間に浮いた――恐らく担架に乗せられた――ラクリアをお婆様の腕の中で見送ると、ラクリアと交代してジェニーが引き継ぐ。
「ばーば。おろちて。りぇきくんにおせっきょしあいと」
「そうね。あの子はもうリリーちゃんのものなんだから、しっかりね?」
「あい」
広い空間の隅の方でこちらを凝視しているレキ君は小刻みに震えている。
自分のしでかしたことがわかっているようだ。ちょっと遠いけど瞳に宿る魔力には怯えと後悔が見える。
反省はしているようだ。
だが、しっかりと上下関係をわからせていなかったのが今回の出来事を起こした原因だ。
まだ甘やかしていたのだ。
だから厳しく行こう。
ゆっくりと近づきながら魔力を全開で放出していく。
お婆様からもしっかりね、と許可を頂いている。だから隠す必要も遠慮する必要もない。
逃げる場所を無くすようにレキ君のいる場所を覆うように広げていく。
放出した魔力に物理的な効果はない。
でもレキ君は魔力を視認できる。その目にはまさに絶対破れない壁に見えるだろう。しかもレキ君を一瞬で行動不能にする状態異常付きの。
だから彼にはこれで十分壁になるのだ。
幼児の小さな歩みでどんどん彼との距離を縮めていく。
彼もどうやら観念したようで身を縮めて完全に平伏している。瞳の魔力も諦観と怯えと反省がない交ぜだ。
【レキ君……駄目でしょ? ちゃんと反省してるかな?】
魔力文字を見た瞬間右足を素早く前に出すレキ君。
その速さと震える足でちゃんと反省しているのがわかるが、これで終わりにしてはだめだ。
【もう逃げちゃだめだよ? 今度逃げたら……】
「わ、わぅ……」
レキ君の震えがガタガタと大きくなる。
【こう、だからね?】
周囲を完全に覆っていた魔力を操作してレキ君を一瞬にして包み込む。
彼の鳴き声は聞こえなかった。
包み込む速さはガタガタと震える彼に身動き1つ取らせることのない速さ。
包まれた瞬間大きく体を震わせたレキ君だったが、その後は一切動かなくなってしまった。
放出していた魔力はいつもレキ君をもふもふするときの圧縮魔力と同じ圧縮率ではない。
いつもより遥かに高い圧縮率で包み込まれた彼は今まで以上の快感の渦に飲まれて失神してしまったようだ。
「あわわわ……漏らしちゃってる……り、リリーちょっとやりすぎじゃないかな……」
【ありゃ……漏らしちゃったのか……でもだめだよ。ちゃんとわからせないといけないんだから】
「……ぶるぶる。り、リリーが怖いよぉ……」
「おまえも余所見してたんだから、ちょっとアレ受けてこい」
「ひぃぃ……! む、無理! 無理だから! あんなの受けたらお嫁にいけない!
……あ、リリーに責任とってもらえばいいんだ!
よ、よーし……。やっぱり無理ーッ!」
「あ、逃げた」
【逃げましたね】
脱兎の如く逃げ出すクティを微笑ましく見ながらレキ君を包み込んでいた魔力を霧散させる。
これで上下関係ははっきりとわかってもらえたと思う。
目が覚めた時が楽しみだ。
ついつい甘やかしていたツケが回ってきてしまいました。
クティは最高の魔術師ではあっても、お婆様のような達人のような反応ができるわけではありません。
奔放な性格でもあるのでよそ見している事も多いです。
なので彼女なりに準備はしてあったりするのです。
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