白雪は空に帰るのか
「…いつ見ても、綺麗だ」
不意に、彼女が呟いた。
僕はその言葉に応えず、ただ彼女を見る。
海にそそり立つ壁の様な、切り立った崖の上。
そこに一本だけ植えられた、深紅に色付く楓の樹。
どんな季節でも赤い葉をしたこの楓は、トキワカエデと呼ばれている。
僕らは、その太く伸びた枝の一つに並んで座っていた。
見つめる僕の視線は気にも留めず、彼女はその澄んだ鐘の音のような声を遥か水平線へと贈る。
「こんなに綺麗だと、いっそ嫉ましく思えてくるな」
彼方を見つめ続ける彼女が、蕩けるように笑う。
その視線の先にあるのは、陽光に煌めく紺碧の海原か――
彼方、水平線に潮吹くクジラの群か――
それとも…
「ふふっ…なんか、ぼーっとしてたらお腹が空いてきた」
何の意味も持たない、他愛もない会話。
僕は彼女を見つめたまま、相槌を打つでもなく、黙って話を聞いていた。
普段、彼女はここまでお喋りじゃない。
……多分、気付いているんだ。
僕は彼女の綺麗な横顔から、華奢な白い背へと無理矢理に視線を移した。
流れる水のようにさらさらと落ちる、長い長い金色の髪…
その長髪にほとんど姿を隠されながらも、確かに存在を主張している背中の“それ”に、僕は指先で軽く触れる。
「……羽、もう殆ど生え変わったね」
一切の感情を込めず、僕は言う。
まるで吸った息を吐くかのように、言葉は僕の口から零れ落ちた。
僕の手に触れ、彼女の背に在るモノ。
それは――白。
雪とも、雲とも違う……例えるなら、そう光。
輝くように、煌めくように。
光に揺蕩う、純白の翼――――
いや、翼と呼ぶにはあまりに小振りかもしれない。
その片翼は、僕の掌ほどしかないのだから。
でも飛ぶのだ、彼女は“それ”で。
飛んでいたのだ、蒼く広がるこの空を。
今も……多分もう、飛べるのだ。
「……」
彼女は俯き、どこか寂しげに眼を伏せる。
僕は顔を上げ、零れ落ちそうな言葉を飲み込む。
別れの時が、近付いている――――――