第五十三話
―――1942年七月アフリカ―――
「おいトム。あそこにイタリアの戦闘機じゃないか?」
P-40のパイロットが哨戒飛行中に敵イタリア軍の戦闘機を見つけた。
『確かにイタリアの戦闘機だ。ミックやるのか?』
「当たり前じゃないか。スコアを増やすチャンスだ」
二機のP-40が二機のイタリアの戦闘機の後方に回り込む。
「死ねッ!!」
ダダダダダダダダダダッ!!
二機のP-40が十二.七ミリ機銃弾を叩き込んだ………はずだった。
『な、何ィッ!?』
イタリア軍の戦闘機はヒラっとかわして左旋回をして今度はイギリス軍のP-40の後方に回り込む。
ダダダダダダダダダダッ!!
ドドドドドドドドドドッ!!
イタリア軍の戦闘機の機首と主翼から機銃が火を噴いて、二機のP-40に突き刺さる。
グワアァァァーンッ!!
グワアァァァーンッ!!
エンジンと主翼の付け根から噴き、地面へ墜落途中で爆発四散した。
「よし。これより帰還する」
イタリア軍の戦闘機は基地へ帰還する。
この戦闘機、機首に液冷エンジンを搭載しているが、機体はどう見ても日本の零戦に酷使していた。
戦闘機の名前は『MC206Zゼロ』。
日本が、日独伊三国同盟の一環として零戦二二型三機をイタリアに提供したのだ。
イタリア空軍の上層部は装甲の薄さや速度を気にしていたが、航続距離や空戦性能に惚れ込んで、MC202と同じダイムラーベンツDB601A-1液冷エンジンを零戦二二型に搭載したら速度は六百二十キロ近くまで向上したのだ。
この結果に喜んだイタリア空軍の上層部は、職人の国と吟われる技術を使って独自に改良したのが、MC206Zゼロである。
これをアフリカ戦線に投入すると、イタリア空軍はドイツ空軍と同じレベルにまでなり、アフリカ戦線の制空権はドイツとイタリアに渡りそうだった。
更にイタリアは日本から一式中戦車一両を購入して、自国のM13/40中戦車より強いと判断すると日本と交渉をして一式中戦車のライセンス生産を締結した。
日本はイタリアからの接触に少々驚きつつも、これを了承したのである。
アフリカ戦線に送られたイタリア軍版一式中戦車(砂漠用)はイギリス軍のクルセイダー巡航戦車を余裕で撃破したりと、史実のヘタリアの汚名返上する戦いをしていた。
一方のドイツ軍は零戦二二型を毛嫌いしていた。
一部のパイロットは零戦二二型を使用すべきと考えていた。
理由は勿論航続距離の長さである。
しかし、大半のパイロットはメッサーシュミットを好んだ。
ほぼ打ち捨てられた状態だった零戦二二型を救ったのはフォッケウルフである。
フォッケウルフの設計者は、零戦二二型の航続距離や空戦性能に惚れ込み、独自のフォッケウルフ戦闘機を開発するのである。
アフリカ戦線は徐々にドイツ軍とイタリア軍が連合軍を押し始めたのであった。
さて、日本は今のところは小休止の状態だった。
第一航空艦隊のパイロットの大半は内地の飛行学校に送られて、空母が配備されるまで教官をしている。
訓練空母は鳳翔と訓練用に改装された翔鷹型空母二隻がいた。
翔鷹型空母は廃船間際の輸送船二隻を海軍が徴用をして改装したのである。
訓練空母であるが、高角砲と対空機銃を搭載している。
本来は武装は載せず、飛行甲板と機関を改装するだけにする予定だったが、訓練空母なのだから新米兵士のために武装を付けようと決定したのだ。
そのため、翔鷹型空母は訓練空母という名の小型空母とも言われるようになる。
日本海軍は空母の他に、秋月型駆逐艦や新型伊号潜の建造や配備をしていた。
秋月型駆逐艦は四番艦までが竣工して、第一防空隊を編制して第二航空艦隊に配備されている。
秋月型駆逐艦は三十隻の建造予定である。
新型伊号潜は一〇〇型からの番号になっている。
新型伊号潜はドイツからの防音技術を使用しているため史実のように簡単には捕捉されにくくあったのである。
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