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第7話:鎮魂曲

リーゼはなかなか帰ってこなかった。


もう何日待っただろうか。


たった一日だけでも何年も待ってるかのような感じがしてくる。


もしかしたら…。


それはあり得ない。


リーゼはボクの騎士になったんだ。


騎士は守るべき存在がある限り戦い続ける。


リーゼがボクを置いていくことは絶対に無い。


アスタロトが来たあの日以来、ボクはリーゼの部屋に入るのが怖くなっていた。


ハープを弾こうにも手が震えてしまうんだ。


もうボクは何日も寝てないし、食べてもない。


元々ボクは寝なくても、食べなくても死ぬことがないんだ。


ただ、リーゼと過ごしていくうちに人間と同じ習慣が身に付いただけ。


人間。


あれ、どうしたんだろう。


ボクも人間のはずなのに人間とは違う視点で物事を考えてるみたいだ。


何だかボクがボクで無くなっていく感じだ。


『人は自分とは違う存在を決して認めようとしないものだ。君は必ず世界から弾き出されていく。そして、永劫の孤独と絶望を味わっていくのだ』


アスタロトの声が頭に響いてくる。


ボクも人間なんだ。


ただ、神様に特別な力を貰っただけの。


『だが、私は違う。なぜならば、私は君と同じ存在だからだ』


違う。


ボクはあいつとは違うんだ。


あいつはボクの大切な居場所を奪おうとしてくる。


リーゼを害虫と言って殺そうとする酷いやつだ。


アスタロトはボクの運命の前に立ちはだかる敵だ。


このままではいけない。


ただ守って貰うだけではダメだ。


ボクも守るために戦わないといけない。


アインシュタイン家の一員として。



ボクに出来ることは何だ。


他者を治癒する力と分け与える力だ。


この力を今こそリーゼのために。








そして、何日も経ち、リーゼ達が帰ってきたのだ。


深い悲しみと共に。


「クロムウェルは最後まで立派に戦ったわ…」


お母さんの声は悲しみに包まれていた。


お父さん。


ボクに男とは、こういうものだと教えてくれたお父さん。


ボクがハープを弾いてはいつも楽譜に書き留めて喜んでくれたお父さん。


ボクを取り合って、いつもリーゼとお母さんと喧嘩していたお父さん。


そして、誰よりも深く家族を愛してくれたお父さん。


今はもう動くことが無く、応えること無いお父さん。


ボクは動かなくなったお父さんの手を握った。


ボク達家族を守るために血で汚れてしまった手。


この感触をボクは決して忘れない。


男は大好きな女を命をかけてでも守るもの。


お父さんはリーゼとお母さんを逃がすために最後まで戦ったんだ。


セフィロード軍は今まで見たことのない兵器を駆使して、アスガルドの前線を次々と突破していったらしい。


その兵器はまるで何世代も先を見据えた未知なる兵器でアスガルド軍の剣や魔法だけでは歯が立たなかったようだ。


そんな中、お父さんが殿軍として前線に残り、死神の名に相応しい奮闘で押さえ込んだんだとお母さんがボクに話してくれた。


それで何とか戦線を維持しているけど、いずれ王都までくるだろうとのことだ。


リーゼはただ何も言わず、お父さんの死体の横に佇んでいた。


けど、ボクには分かる。


リーゼも心の奥底ではもの凄く悲しいんだ。


だって、リーゼの回りの空気が凄く重々しくて悲しいと泣いているんだ。


目が見えないからこそ、余計に見えてしまう。


ボクはリーゼの背中にそっとしがみつく。


体が震えている。


悲しみで体が熱くなっている。


リーゼの激しい吐息が聞こえてくる。


リーゼはいきなり体をボクの前に振り向いて抱きしめてくる。


ボクの頭に熱い滴が落ちていく。


何かを我慢するかのように息を止めようとしている。


ボクはリーゼの背中に両腕を回し、柔らかい胸に顔を埋めた。


そうしたら、リーゼは声を上げて泣いたんだ。


ボクも一緒に声を上げて泣いた。









お父さんは国葬として、王様が直々に執り行ってくれることになった。


お父さんはアスガルドが誇る英雄だったんだ。


今回の戦いでお父さんの活躍が無ければ、とっくに王都に攻め込まれてたらしい。


アスガルドのみんなはお父さんの死を、偉大なる英雄の死を悼んでくれている。


国葬は夕方に執り行われるらしい。


国葬が始まるまで、まだ時間がある。


ボクはその時間まであることを準備しようとした。


国葬でお父さんの魂が無事に天国に行けるように。


そして、リーゼにボクもこの戦争に参加することを伝えようと思った。


リーゼは多分許してくれないだろう。


けど、リーゼに譲れないものがあるのと同じでボクも譲れないことがある。


こうなってしまえば、ボクも結構頑固なんだ。


ボクはリーゼに逢って、戦争に参加することを伝えた。


「何言ってるの!戦場は危険なところよ!ダメよ!私はもう誰も失いたくないの!」


案の定、リーゼはもの凄く怒ってきた。


お父さんの国葬のときに話したのだから少し不謹慎だと反省した。


けど、今ここで言わなければいけない気がしたんだ。


ボクも誇り高いアインシュタイン家の一員だ。


それにボクは男だ。


守られているだけではいけないんだ。


それでもボクは戦う力がないことは分かってる。


だから、せめて救護班として同行したいと言った。


救護班は神官様達で構成されているもので、回復魔法で負傷兵を治療する役目だ。


ボクには治癒術がある。


治癒術は本来神官様しか使えない高等魔法らしく、子供のボクに使えるなんて不審がられると思うけど、たまたま才能があったと誤魔化せばいい。


世の中には子供の頃から剣や魔法とかの才能があって、正規兵とも互角に戦えるような凄い子供もいるはず……だと思う。


だから、ボクが治癒術が使えるぐらいおかしくない。


ボクの必死の説得にリーゼのため息が耳に響いてきた。


「いつの間にか立派な男の顔になったんだね、エテルナ…」


リーゼは嬉しそうに、けれど、どこか悲しげにボクを褒めてくれた。


「お願い、決して前線に出ないで、エテルナに何かあったら私は決して生きてはいけない…」


リーゼはボクをきつく抱きしめる。


ちょっと痛い。


「我慢しなさい。けど、なんか安心するわ。エテルナを抱きしめていると…。どんな困難でも乗り越えて行けそうな気がする」


それはボクも一緒だ。


リーゼに抱きしめられるときが一番安心する。


しばらくして、リーゼはボクを離してくれる。


「エテルナ、決めたわ。私はお父様の意志を継いでアインシュタイン家の当主として、アスガルドを必ず守ってみせる。お父様が守ってきた愛する祖国を…」


アインシュタイン家の当主。


それはアスガルドの守護神として国の盾となり、剣となって最後まで戦い抜いていく者。


リーゼはついに背負ってしまったんだ。


アスガルドを導く者としての大いなる力と責任を。


リーゼはボクの両肩に手を添えてきた。


「だから、ごめんね、エテルナ。もう君だけの騎士ではいられないかもしれない。でも、君のことは絶対守ってみせるから、けど…」


リーゼはボクを抱きしめてくる。


いや,ボクの胸に頭を当てていた。


リーゼはボクよりも背が高いはず。


リーゼはしゃがみ込んで,ボクの胸にしがみついていたんだ。


これは抱きしめるというより,縋り付くって感じだ。


「お願い、少しでもいいから、私を…支えてくれる…」


初めてだった。


リーゼはいつもボクに「君を守ってみせる」と言ってくれていた。


けど、初めてボクに対して「支えて欲しい」と言ったのだ。


リーゼが震えている。


何となく分かった。


今まではお父さんがアスガルドの守護神として国を支えていた。


そんな偉大な英雄であるお父さんの代わりが自分に務まるのかが不安なんだ。


ボクはリーゼの肩に手を添える。


ちょっと細い感じだ。


こんな細い肩にアスガルドの命運がかかってるんだ。


ボクは気づいた。


リーゼは誰よりも強く気高くても、一人の女性に過ぎないんだ。


今までボクはリーゼに守ってもらってきたんだ。


だから、今度はボクがリーゼを支えよう。


少しでもリーゼの不安が消えてくれるように。


「ありがとう、エテルナ…。私、がんばるから。がんばるからね…」


ボクはリーゼを立たせ、リーゼの胸にボクの頭を押しつける。


縋り付かれるのも良かったけど、やっぱりこっちの方が良い。


「愛してるわ、エテルナ…」


リーゼはボクの両頬に挟んで顔を上に向けさせる。


そして、ボクの唇に多分、リーゼの唇が押し当てられる。


アスタロトに不本意ながらもキスされてしまったが、リーゼとキスする方が断然気持ちがいい。


一回目はリーゼに初めて出会ったときの口づけだった。


二回目はリーゼがボクの騎士になっての初めての口づけだった。


三回目はリーゼがアインシュタイン家当主になっての初めての口づけだった。


そういえば,ボクとリーゼがキスするときは必ず何かがあったときだった。


思い出に残りやすいからいいけど、たまには何事も無く自然にリーゼとキスをしたいなとボクは思った。








夕方が来て、お父さんの国葬が執り行われた。


会場では鼻を啜る音や泣いている声が聞こえてくる。


お父さんがアスガルドのみんなからいかに慕われていたかが感じられた。


お父さんの棺はアインシュタイン家の使用人さん達が運んでいく。


「アスガルドが誇る偉大なる英雄クロムウェル・アインシュタイン。汝は献身的に国のため、身を粉にして報いてくれた。汝の偉業を我等は永久に忘れぬであろう」


王様の言葉が高らかにアスガルドのみんなに響き渡る。


王様の次はリーゼが話すことになってる。


リーゼが歩き出し、ボクも隣で一緒に歩いていた。


ボクはリーゼと手を繋いで歩いていたんだ。


「一緒についてきて…」


ボクはリーゼからアインシュタイン家当主になることを全国民に宣言しようと決心したとき、そう言ったのだ。


リーゼの足音は毅然としていて、決意を秘めていると感じさせるような堂々とした響きだった。


そして、リーゼとボクは壇上に立ったんだ。


会場に張りつめた空気が流れるのを感じる。


「私はアインシュタイン家の長女リーゼロッテ・アインシュタインである。父クロムウェル・アインシュタインの葬儀に集まってくれたこと誠に感謝する。そして、陛下、この場に立たせていただいたことに感謝致します。皆の者聞いてくれ。このような場で申すのは誠に不躾であるが、私は父の跡を継ぎ、正式にアインシュタイン家の当主となることをこの場に宣言する!」


リーゼの宣言に会場がさらに張りつめた空気が流れてくる。


ボクの手を握っているリーゼの手が僅かに震えていた。


ボクはがんばれの意味を込めて、リーゼの手を強く握る。


リーゼもボクの手を強く握り返してくれた。


私はがんばる、という意味を込めて。


「私は若輩者だ。だが、国を想う心は誰にも負けない。父はアスガルドを守るため、名誉の戦死を遂げられた。そんな誇り高い父に恥じないようにしていくつもりだ。今、まさにアスガルドは存亡の危機に立たされている。私はこの国を守りたい。父が命を賭して守ってきた愛する国を、民を守っていきたい。だから、皆、どうか私に力を貸し欲しい。私と共にこの国のため、愛する家族のために戦って欲しい!」


会場からボクの耳が痛いほどに爆発的な歓声が鳴り響く。


空気がもの凄く熱くなってきている。


いや、空気が熱くなってるんじゃない。


みんなの心が熱くなってるんだ。


ボクも何だか熱くなった気分だ。


ふと、リーゼがボクの手を引っ張ってきた。


そして、ボクをリーゼの前まで移動させて肩に手を置いてきた。


リーゼは何をするつもりなんだろうか。


「ありがとう。皆、まだ聞いて欲しい。彼は私と同じアインシュタイン家の者エテルナ・アインシュタインだ。エテルナは私のように戦う力は無い。だが、エテルナの国を、そして、家族を想う心は本物である。彼は救護班として兵に志願したのだ。自分に何が出来るかを懸命に考えて…。そんな彼も祝福して欲しい」


今度は鼻を啜る音と泣いている声が沢山聞こえてきた。


そして、しばらく経ったらまた耳が痛いほどの歓声が沸き上がってくる。


何だかとっても恥ずかしかった。


最後にお父さんが眠っている棺にみんながそれぞれ別れの挨拶をしていくんだった。


棺に向かって歩いていく足音が無くなった所を見計らってボクは棺の前に立った。


ボクの手にはハープがある。


これからボクが作った曲を最後にお父さんに捧げるんだ。


曲作りにはお父さんの代わりにお母さんに協力してもらった。


もちろん楽譜を書き留めてもらうのも忘れなかった。


ざわめいていた声が静かになっていく。


ボクの周囲の空気が熱くなってきている。


みんな、ボクに注目しているのだろうか。


アスタロトに逢ってから、指が震えてしばらく弾かずに置いていたハープ。


もうボクの指が震えることはない。


ボクは決めたから。


リーゼを支えていくことを。


そして、ボクはハープを奏でていく。


お父さんに初めて出会ったのは戦場で染みついた血の匂いでボクが吐き気に襲われたときだ。


お父さんはリーゼの紹介に何も言うことなくボクを受け入れてくれた。


お父さんは色んなことをボクに教えてくれた。


お父さんはボクの理想の大人の男性だった。


お父さんはボク達家族のために戦場で戦い、血に汚れてたんだ。


今ではお父さんが出す血の匂いも愛しいと感じられた。


戦争は人が死ぬものだから悲しい。


けど、それでも生きていくために戦わなければならないときがあるんだ。


ハープの音色は悲しみに包まれていて、けれど、それに立ち向かう力強さを響かせていった。


ありがとう、お父さん、ボクの家族になってくれて。


ボクはお父さんが守ってきたアスガルドでリーゼと一緒にがんばって生きていきます。


曲を弾き終えて、ボクはお父さんの棺に向かって祈っていく。


背中からリーゼが抱きしめてくれる。


さようなら、ボクの大好きなお父さん。

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