第16話:引き裂かれた翼
「話が少し逸れてしまったな…」
アスタロトは狂った笑いを止めて、またいつも雰囲気に戻った。
どうして、今まで気づかなかったんだろうか。
未来の兵器を使っていた時点で気づくべきだったんだ。
神の叡智。
過去、現在、未来を全てを見渡せる究極の叡智。
ボクなんかよりも凄い力じゃないかと思った。
なぜ、アスタロトはこれほどの力を持ってるのにボクが必要なんだろうか。
「さて、続きを話そうか…」
「貴方はこの世界の何を見てきたというの?」
リーゼの手が震えている。
当然だった。
相手は世界の過去も未来も見通せる、言葉通りの神様の叡智を持つ相手だから。
「見るがいい。この生物を…」
アスタロトの恍惚とした声がおぞましく響く。
歪な吐息と喘ぎ声が響く生きた物体。
「何がそんなに嬉しいの?貴方は神様がくれた命を冒涜したのよ!……もしかして、貴方は…そのために何度も他国に侵略戦争を仕掛けるようにしたわけなの!」
リーゼは怒りに震えてる。
アスガルド軍とセフィロード軍は確かボクが使った滅びの魔法で挽肉になったとアスタロトは言ってた。
そして、セフィロード軍に蹂躙された兵士さんは全部肉片になるほどだとお母さんは言っていた。
「なかなか鋭いな。その通りだ。私は貴重な材料を収集するために戦争を仕掛けていたのだよ。戦争こそが最も効率的に世界を浄化させる手段だからね。愚者は死に、世界は清められ、ついでに材料を仕入れられる。完璧で美しい流れだ」
ボクはアスタロトを一瞬でも人間みたいだと思っていた自分を消したい感じだった。
これが人間のはずがない。
人間だと認めたくない。
「そんなことのために多くの命を、お父様を奪ったというの!愚者は貴方の方よ!いいえ、愚者にすら劣る畜生よ!どんなに凄い叡智を持とうと貴方が持ってたら宝の持ち腐れよ!神様もさぞがっかりしてるでしょうね!叡智を与えた人が単なる畜生だったと…」
「黙れっ!」
空気の圧力に飲み込まれるかと思うほどに威圧的な声。
「君に何が分かる?私の何が分かるというのだ?所詮、君は君の常識でしか物事を見据えない愚者だということか…」
「貴方のことなんか分からない!分かりたくもない!どんな理由があろうとも、やってることは畜生にも劣る行為よ!貴方も神様がくれた命で、この世界で生きてるのよ。だったら、同じ命を弄ぶなんて許されることじゃないわ!」
アスタロトとリーゼの間の空気が熱くなってくる。
二人の怒りの空気が激突してるみたいに感じてくる。
「ならば、君は血肉を貪ったことがあるのか?金銭を盗んだことがあるのか?生きるために人を殺したことがあるのか?」
「あるわけないわ!そんな野蛮なことを!」
「だから君は愚者なのだ!君は良いだろう。騎士の正義を掲げれば、全てが許されるのだからな!例え、どれほど多くの者を殺めようともね…。君は正義の名の下に虐げられた者の末路を見たことがあるのか?」
「……っ」
リーゼは沈黙している。
騎士は正義のために戦うもの。
リーゼはそれを旨にして騎士になったんだ。
だけど。
「騎士は正義のために戦うもの、だったな。だから、正義の名の下に何をやっても許される。そう、例えば…」
アスタロトは一息つき、足音を僅かに立てる。
足音がリーゼよりもボクの方に響いた感じだ。
アスタロトがボクを見てるんだ。
何かボクにとって、重要なことを言う感じだった。
そして、ボクに絶望の言葉を投げかけてる。
「例えば、疫病が蔓延した村を焼き払っても許されるのだ…」
ボクの世界が止まった。
『はやく、薬を!』
『熱い!体が熱いよ!』
『ああ,エテルナ、可愛いエテルナ。お母さんに触ったらダメよ…病気が…病気がうつるから…』
『逃げるのよ!エテルナ!あなたはまだ感染してない!だから、遠くまで逃げて!』
『エテルナ、母の最後の願いを聞いてちょうだい。貴方は必ずこの荒んだ世界で光を照らす天使になるはず…。母には分かるのです。だから、生きて…』
『見つけたぞ!』
『疫病を広げないためにも生かしておくな!』
『あれ?君、泣いてるの?』
リーゼと初めて出会った場所はアスガルド王国の領地。
村を焼き払ったのはどこの国の軍隊だったか。
簡単なことだった。
アスガルド軍だったんだ。
セフィロード軍と戦う前に一緒に過ごしてきた軍のみんな。
ハープを弾いて喜んでくれた兵士さん達。
ボクが治してきた兵士さん達。
隊長さん。
将軍さん。
ボクが守りたかったみんな。
あの中に。
お母さんを。
殺した奴が。
いたんだ。
いたんだ。
いたんだ。
いたんだ。
いたんだ。
いたんだ。
いたんだ。
いたんだ。
いたんだ。
いたんだ。
いたんだ。
い。
た。
ん。
だ。
ボクの手に握ってる者は。
誰だ。
アスガルド軍。
お母さんの。
仇だ。
離れないと。
「エテルナ…?」
ボクは。
やっぱり。
リーゼとは。
同じ神様を。
見れない。
ボクは。
リーゼの手を。
離した。
「あははははははははははははっ!」
アスタロトが高らかに笑っていた。
「エテルナ、君が見ていた神は幻だったということだ!あははははははははははっ!」
「どういうことなの!?」
「良いことを教えてやろう。エテルナは疫病が流行った村で生まれたのだ。疫病が国に蔓延しないために軍が村を焼却することを決定したわけだ」
「そんな…………、まさかっ!」
「アスガルド軍がエテルナの故郷を焼き尽くしたのだよ…。可哀想なエテルナ、彼は何も知らず故郷を奪った国に幻を抱いて過ごしていたのだ…」
何だろうか。
リーゼとアスタロトが何か言い合ってる。
リーゼは何も悪くない。
何も悪くないんだ。
ただ、知らなかっただけ。
それに。
疫病が広がったら。
みんな死んでたんだ。
仕方なかったんだ。
だけど。
ボクの感情が。
言うことを聞かないんだ。
確かなことがある。
ボクはもう二度とアスガルドの土を踏むことはないんだ。
「まって!エテルナ!私の話を聞いてっ!」
リーゼは悪くない。
「ごめんなさい!私も気づくべきだったんだわ!どうして、あの場所でエテルナに逢ったのか…」
分かってる。
分かってるんだ。
なぜ、あの場所でリーゼに出会ってしまったんだろうか。
どうしてボクとリーゼは出会ってしまったんだろうか。
分からない。
「もう私達は…寄り添うことが…出来ないの……エテルナ…」
『大丈夫、もうすぐ私は大人になって騎士として戦えるようになれる。そうしたら私がエテルナを絶対に守ってみせるから』
分からないんだ。
『私はエテルナの騎士になりたいの。君を苦しめる全てのものから守りたいから…』
どうしたらいいんだ。
『アスガルド王国騎士団団長クロムウェル・アインシュタインの長女リーゼロッテ・アインシュタインは貴方の騎士になることをここに誓います。私は剣となり盾となり、貴方を阻む全ての敵を討ち砕きましょう』
ボクはいったい何を信じたらいいんだ。
『私は…エテルナの騎士よ!騎士は…守るべき者を…決して…見捨てないんだからっ!』
どうしたら…。
「神になればいい…」
アスタロトの声が耳に透き通るように響く。
「エテルナっ!聞いてはダメよ!」
「神になって世界を作ればいいのだ」
アスタロトの声はボクの耳に入り込むように響いていく。
「私と共に…」
ボクは。
「君と私は同じなのだから…」
ボクは。
アスタロトの手を。
取ってしまった。
「誰よりも愛しているよ、エテルナ…」