第14話:告白
世界は冷たく固くボクの体から熱を奪う、そんな世界だった。
「エテ…ルナ」
リーゼがボクの腕の中で目覚めた。
七日間ぶりのリーゼの声だ。
なんだか目が熱くなった。
「ここは一体どこなの?なんで私と君はここにいるのかしら?」
話せば、長くなるものだった。
ボクはこの状況を確認してから話すとリーゼに約束した。
まずはボクとリーゼが今いる状況を理解しないとダメだと思ったから。
決してリーゼに話したくないからじゃない。
それに約束したんだ。
約束は守るべきもの。
だから、絶対にリーゼに全てのことを話すんだ。
リーゼは立ち上がろうとしたが、ボクに寄りかかってきてしまう。
七日間も寝てたんだ。
きっと足に力が入らなくて、膝を折ったんだろう。
ボクは自分の首にリーゼの腕を回して、支えるように寄り添った。
「ごめんなさい、しばらくこのままで頼むわ…」
リーゼが一人で立てなければ、ボクが支えるのは当然だった。
だから謝る必要なんか無いんだ。
「ふふっ、本当に強くなったね、エテルナは…。だったら私はエテルナが立てなくなったら支えていくわ。私と君は互いの片翼の天使なんだからって、言ってて恥ずかしくなったわ」
ボクも少し恥ずかしくなった。
けど、ボクはそうありたい。
いや、そうありたかったと言うんだろうか。
リーゼはボクがアスガルド軍のみんなを殺してしまったことをまだ知らない。
しかもリーゼの体を道具のようにして滅びの魔法を使ったんだ。
アスタロトは悪魔のような存在だと思ってたけど、ボクもそうなんだ。
『なぜならば、私は君と同じ存在だからだ』
確かにその通りなのかもしれない。
『お願い、エテルナ。貴方は私や姉様のようにはならないで。貴方には寄り添い合える相手がいるのだから…』
アスタロテはそう言ってたけど、ボクではリーゼの寄り添い合う相手にはなれないんだ。
リーゼに一方的に自分とは違うと思ってたけど、実は違う。
ボクはただ怖かったんだ。
ボクがリーゼとは違うのだと認めてしまうのが。
そして、リーゼに嫌われてしまうのが。
ただ、それだけ。
自分の心を守りたかっただけなんだ。
アスタロトの精で仕方ないと誤魔化していただけだ。
ボクは結局はリーゼのことを見ていなかった。
だから、理解し合えない。
だから、寄り添い合えない。
同じ神様を見ることが出来ない。
ボクはリーゼの片翼の天使にはなれない。
しばらくボクとリーゼは道なりに歩いていた。
ここには木々の揺らぐ音も虫が唄う声も鳥が囀る声も聞こえない。
冷たくて寂しい世界だった。
周囲には生命の息吹が感じられず、ただ無機質な物体が佇んでいるだけ。
こんな冷たい世界がセフィロードなんだろうか。
こんな冷たい世界でどんな神様が見えるんだろうか。
「だいぶ足が慣れてきたわ。もう大丈夫よ」
足に一人で歩ける力が戻ってきたんだろう。
ボクに寄りかかるのを止めて、力強く二本の足を踏みして立つリーゼ。
リーゼは片翼の天使なんかじゃない。
もう翼を揃えていて一人で飛び立てる天使だ。
「さあ、行きましょう。エテルナ」
ボクに何かを差し出してくる。
リーゼの手だ。
ボクと手を繋いで歩くつもりなんだ。
大丈夫、ボクは目が見えないけど、一人で歩ける。
ボクはリーゼと手を繋がず一人で歩いた。
「そう…」
リーゼは少し悲しそうに、だけどそれ以上は何も言わなかった。
ボクとリーゼの足音が寂しく冷たい世界に響き渡る。
「これはまさか…」
リーゼの足音が消え、驚いたような声を出す。
立ち止まって何かに驚いてるんだ。
いったい何に驚いてるんだろう。
周囲は全て無機質な物体が乱雑している。
目が見えないボクでも感じることができない無機質で区別できない物体の塵。
「エテルナ、これは…」
「この場所は未来の兵器、軍事兵器を生産する工場なのだよ…」
リーゼの声を繋いでいくように響く無機質な声。
アスタロテの優しい声とは比べものにならないほどの冷たい声。
この冷たい世界の主たる者の声。
「アスタロト・ヴァンシュタイン…」
リーゼの息が止まりそうな息づかいを感じる。
アスタロト・ヴァンシュタイン。
アスガルドを侵略しようとするセフィロードの最高神官。
ボクからリーゼを奪おうとする悪魔。
「貴様っ!」
リーゼは風を切る音を出す。
アスタロトに剣を向けてるんだ。
ふと、かたかたと小刻みに動いてるような金属音が耳に響く。
この音はリーゼがいる位置から聞こえてきた。
「ふふっ、何を震えてるのかな?君は確かアスガルドの戦女神と称えられたリーゼロッテ・アインシュタインで相違ないね…」
リーゼは震えてるんだ。
そういえば、リーゼはアスタロトに拳銃という兵器で一度殺されかけてたんだ。
リーゼは自分を死の一歩手前に追い詰めた相手に恐怖を抱いたんだろう。
「君は今まで目に見える形で挫折したことがなかったのだろう。そう、君は私に負けたことで恐怖を学んだのだ。自分で認めたくはないのだろうが、敗北に刻まれた体が真実を物語っている」
アスタロトは冷たい言葉の刃でリーゼを切り刻んでいた感じだった。
「私は貴様だけには絶対に負けたくない!貴様は…貴様は私からエテルナを奪おうとしてるのだから!」
金属音が震える音が高くなってきている。
けど、熱を帯びた激しい震え。
リーゼは恐怖を怒りに変えて、アスタロトに向き合ってるんだ。
「私が君からエテルナを奪おうとしてた?はははははっ!滑稽なものだ。君はどうやら騎士道精神から敗北主義者に宗旨替えしたみたいだな」
「私が敗北主義者になっているとはどういうことだ!?」
リーゼが敗北主義者になっている。
アスタロトはなぜそう言ったのだろうか。
「私と君の間ではまだ何も交わしていないし、ましては戦ってすらもいない。私は確かに君を死の手前まで追い遣った。君が敗北したと宣言した。だが、真の敗北者は己の剣が折れたことを認めたときだ」
金属音の震えが聞こえなくなった。
「君の父親、アスガルドの守護神と謳われていたクロムウェル・アインシュタインは絶望的状況になろうとも決して己の剣を折ることは無かった。それこそ死の手前になろうともね…」
アスタロトはお父さんのことを知ってるような口振りだった。
「貴様!なぜ、お父様のことを知ってる!」
再び金属音が響く。
けど、恐怖に震えているようでも怒りで高ぶってるような音でない。
何か知りたくないような知りたいような迷ってるような、そんな震え。
「なぜ、とは本気で言っているのか?君はすでに気づいているのではないのか?それとも現実を認めたくないと考えないようにしているのかな?」
ボクはアスタロトの会話を思い返した。
『君の父親、アスガルドの守護神と謳われていたクロムウェル・アインシュタインは絶望的状況になろうとも決して己の剣を折ることは無かった。それこそ死の手前になろうともね…』
それこそ死の手前になろうともね。
アスタロトはお父さんが死の手前になっていた様子を見ていた。
だったら、お父さんは…。
「君の父親は呪いを吐くように君と母親、エテルナの名前を言っていたね。悲しいほどに、痛々しいほどに、最後の瞬間までにね…」
お父さんはアスタロトに…。
「私が立てた計画ではアスガルドの王都まで進軍し、エテルナを迎えに行く予定だった。だが、君の父親の戦いで見事目論見が崩されてしまった。そう、君の父親に私の計画が初めて狂わされたのだ…」
アスタロトがお父さんを…。
「初めて計画を狂わせた君の父親に私は敬意を払ったよ。だから私は敬意を表して君の父親をせめて人間らしく冥界へと旅立たせたのだよ。無事に君達のアインシュタイン家へ綺麗に届くようにね…」
セフィロード軍に蹂躙された兵士は肉片になるほど凄惨な死体になっているとお母さんから聞いたことがあった。
だから、綺麗な死体で見つかったのが不幸中の奇跡だと言ってたんだ。
違う。
不幸中の奇跡でもない。
アスタロトが。
アスタロトがそうやって。
お父さんを殺したんだ。
「貴様がっ!貴様があっ!お父様をおおおおっ!」
一瞬通り抜けるような風が吹き、壁に激突するかのような音が高々と響く。
リーゼとアスタロトの間の空気が遮断されている。
激突音はリーゼの方向から聞こえている。
アスタロトが結界をはってリーゼの剣を受け止めたんだ。
「アスタロトぉおおおおおおおおっ!」
リーゼの咆吼と共に金属が壁を引っ掻くような音が痛々しくボクの耳に響く。
「ふん!私に近寄るな!汚らわしい!」
「がはっ!」
鈍器で叩かれた音と共にリーゼのうめき声が聞こえてくる。
地面に金属音と鈍く激突する音が冷たい世界に響き渡った。
「くっ!」
冷たい世界に焼けるほどに熱い空気が漂っていた。
リーゼの怒りの空気なのだろうか。
「気が変わった。やはり、ここで駆除しておこうか…」
リーゼが倒れている位置に向かってアスタロトの足音が近づくように響いてくる。
アスタロトは今度こそリーゼを殺そうとしてるんだ。
ボクはリーゼが倒れているところに向かって走っていく。
アスタロトの足音がリーゼの位置にいく前に間に入るようにボクは立った。
「エテ…ルナ…」
リーゼがボクの名前をか細く言う声が痛々しく聞こえてくる。
リーゼを絶対に殺させない。
ボクは目の前にいるだろうアスタロトに告げた。
「またしても君はその女を庇うというのか…」
ボクにとってリーゼは何よりも大切だ。
例え、寄り添えなくても。
例え、リーゼに嫌われても。
ボクはリーゼが好きなんだ。
だから、リーゼに手出しはさせない。
アスタロト。
お前だけには絶対に。
「やはりその女は君には害悪となる。退いてもらえないかな…」
ボクは退かない。
ボクは死なないんだ。
だから、どんなことをされても退かない。
例え、殺されたって退かない。
「逃げて!私のことはいいから!君だけでも…」
リーゼはどんなに傷ついても自分よりもボクを気遣ってくれる。
リーゼ、ボクにはそんな資格が無いんだ。
「エテルナ,そんなこ…」
ボクはアスタロトと同じ神様から力を貰った存在なんだ。
「…っ!」
ボクの告白にリーゼの息が止まった。
アスタロトは神様から叡智を貰っている。
だから伝承魔法を使ったり、未来の兵器を作ったり出来るんだ。
「そして、エテルナは神の力を下された存在だ…」
アスタロトがボクの言葉を受け継ぐように言ってくる。
「神の力とは朽ちることのない不滅の肉体と尽きることのない無限の力。そして、無限の力は他者を癒す力と分け与える力にのみ作用するのだ…」
「他者の癒す力と…分け与える力…」
リーゼの息が止まりそうなほどの微かな息づかいが聞こえてくる。
「リーゼロッテ、君は既に幾度もエテルナの力の恩恵を受けているはずだ。その力がどれほどの価値が有るのかを知らずにな…」
力の価値なんて関係無い。
ボクはただ大切な人を守りたいから使っただけだ。
「エテルナ…」
リーゼの声が震えていた。
やっぱりボクはお前とは違う。
「違わない。エテルナ、君のことをこの世界で誰よりも理解できるのは私だけなのだ」
お前はボクを理解しているつもりで、実は全く理解できてないんだ。
「私は君と同じ神の力の所有者だ」
お前が見ているのはボクじゃない。
神様の力だけだ。
ボクとお前は同じ神様を見ていないんだ。
「ならば、その女は君と同じ神を見れるとでも?ふははははははっ!その女はただの愚者だ!彼女こそ君のことが何一つ見えてはいない!ただ、君を守ることで自己顕示欲を満たしたいだけの愚かで浅はかな女なのだ!」
違う。
ボクがリーゼに何も教えていなかっただけだ。
それにリーゼはボクの内面を考えていてくれた。
何も言わずにアインシュタイン家に迎えてくれた。
暖かいベットで一緒に眠ってくれた。
ボクに温もりをくれたんだ。
ボクはそんなリーゼを誰よりも愛していたんだ。
「エテルナっ!」
リーゼの涙を交えた声が冷たい世界に響き渡る。
「愛とは花のように儚く散るものだ。君は年老いること無く無限に悠久の時を生き続ける。彼女には耐えられないだろう。何一つ変わらない君に対し、自分は醜く老いていく。そして、思い知るのだ!自分が君とは違う存在だということを!やがて、彼女の愛は憎しみに変わっていく!君は彼女の憎しみに染まり、絶望していくのだ!」
例え、リーゼがボクのことを嫌いになってもボクは変わらない。
リーゼが年老いても。
ボクが変わらなくても。
ボクはリーゼの内面を、心を見るからだ。
ボクは老いること無く永遠に生き続ける存在。
だったら、ボクはリーゼへの想いを抱いて永遠に生き続けていく。
「度し難い者だ!だが、私は君を許そう。全てはその愚者が君を惑わせてるのだ。私は君を誰よりも愛している。愛しているからこそ君に憎まれることも厭わない!例え、君が絶望に打ち拉がれようとも!運命を呪おうとも!苦痛に苛まれようとも!私は悪魔となり,君を病める者全てを等しく滅ぼしてくれよう!永遠に!無限に!悠久の時の果てになろうともだ!」
アスタロトの足音がボクとリーゼに向かって近づいてくる。
「君には眠って貰おうか…」
ボクの胸が突き刺さるように熱い。
「愛は時として辛いものだ。愛するが故に敢えて鞭を与えねばならないのだから…」
アスタロトが。
ボクに。
魔法を。
放ったんだ。
リーゼ。
「エテルナぁあああああっ!」