第12話:血肉を踏みしめて…
ボクは死臭漂う大地の上で体を起こす。
ボクの横にはリーゼが眠ってるんだろう。
アスタロトはいつの間にかいない。
リーゼ以外誰もいない大地。
金属音も爆発音も激突音も無くなり、代わりに鳥の鳴き声と羽虫の震える音が聞こえるばかりだった。
アスタロトがボクに教えてくれた滅びの魔法スクリーム。
確かにアスタロトの言うとおりセフィロード軍は滅びた。
だけど、アスガルド軍まで滅ぼすことになるなんて。
ボクの手を握って守ってくれた神官様。
ボクのハープを喜んでくれた兵士さん達。
将軍さん。
隊長さん。
みんな。
みんな。
全部。
ボクが殺してしまったんだ。
守りたいと思っていたのに。
ボクの手で守るべきみんなを殺してしまったんだ。
もうボクはアスガルドの聖天使なんて呼ばれる資格なんかない。
ボクは悪魔になってしまったんだ。
リーゼはボクを決して許さないだろう。
ボクがリーゼの守ろうとしたものを奪ったのだから。
アスガルドの国は無事だけど、ボクの居場所は失ってしまった。
ボクはエテルナ・アインシュタインから、ただのエテルナになるんだ。
アインシュタイン家にはもう帰れないのだから。
ボクはリーゼの体を揺さぶって起こそうとする。
リーゼを起こして、お別れをしようと思った。
リーゼと別れるのはとても辛い。
別れたくない。
やっぱり別れたくない。
でも別れないといけない。
別れないといけないんだ。
ボクと一緒にいれば必ずリーゼを危険にあわすことになる。
リーゼがアスタロトに殺されかけたときに思った。
アスタロトはボクに思い知らせたんだ。
いつでもボクからリーゼを引き離せることを。
このままボクといればリーゼは…。
アスタロトに殺されてしまう…。
あいつはボク以外の人を害虫や愚者としか思ってない残酷な女だ。
セフィロード軍ですらもアスタロトにとっては害虫や愚者でしかないんだろう。
そうでなければ、ボクに滅びの魔法を教えて、セフィロード軍を滅ぼさせたりはしないはずだ。
アスタロトはボクを手に入れるために大切な居場所を奪い続けてくる。
ボクの大切なものを全て害虫のように駆除してくる。
だから、リーゼとは一緒にはいられない。
ボクにとって何よりも大切なのはリーゼだから。
リーゼだけは絶対に死なせたくない。
だから、リーゼとお別れしないといけないんだ。
リーゼを守るために…。
リーゼは目を覚ますことはなかった。
ボクがリーゼを通して滅びの魔法を使ってしまった影響なんだろうか。
死んでないけど、死んだかのようにぐったりと眠っていた。
まるでお伽噺で魔女に呪いを駆けられた眠り姫のように。
このまま寝たままでいるとリーゼの体が冷えてくる。
ボクはリーゼを運ぼうと背負うようにしていく。
ボクを押しつぶすかのようにして体を預けているリーゼ。
リーゼの体って、こんなにも重たかったんだ。
魂が抜けたかのようにぶらんぶらんとリーゼの手が揺れてるのを感じる。
リーゼはボクよりも体が大きいから、足を引きずるようになってしまう。
リーゼの柔らかかった髪は固くなっている。
浴びた血が固まったからなんだろう。
リーゼの微かな吐息がボクの頬にかかる。
すべすべだった肌もべとべとしてしまっている。
ボクが歩くたびにリーゼの肌がぬるぬると感じてくる。
早くリーゼをどこかで休ませないと…。
たくさんの血の匂いが呪いのようにボクにまとわりつく。
ボクが歩くたびに雑巾から水を絞り出したかのような音が出てくる。
人の手を踏んでる感触がする。
人の足を踏んでる感触がする。
何かを踏み潰す感触がする。
潰れた何かを踏んでる感触がする。
ボクは生まれたときから目が見えなかった。
もし目が見えていたらと思ったことは何度もあった。
けど、ボクは生まれて初めて思ったかもしれない。
目が見えなくて良かった。
どこまで歩いたんだろうか。
ボクの足にはまだ血肉を踏む感触がしてくる。
ボクは食べなくても眠らなくても大丈夫だけど、リーゼは違う。
ボクの背中越しに伝わるリーゼの心臓の音が少しずつ感じなくなってきている。
このままだとリーゼは永遠に眠ったままになってしまう。
リーゼがいなくなってしまったたらボクは多分ボクでなくなってしまう。
もう血の匂いは嫌だ。
人だったものを踏みたくない。
頭がおかしくなってしまう。
狂ってしまう。
早くこの血肉の大地から抜け出したい。
リーゼが死んでもボクは死ぬことが出来ない。
死んで逃げることも出来ない。
誰もボクと同じ時間を共にすることが出来ない。
『君は必ず世界から弾き出されていく。そして、永劫の孤独と絶望を味わっていくのだ』
ボクは永劫の孤独と絶望を味わっていく。
これがボクに課せられた運命なんだろうか。
いや、アスガルド軍のみんなを殺してしまったボクへの罰なんだろう。
だったら、受け入れよう。
けど。
せめて、リーゼだけは…。
「なんともまあ、壮絶な姿をしてるわね。戦場で血まみれの兵士はたくさん見てきたけど…、ふふっ、まるで真っ赤な泥人形みたいね」
声が響いてくる。
この血肉の大地で初めて聞く人の声。
それにこの声はどこかで聞いたことがある。
『さすがは姉様から頂いた力だわ。まさか伝承魔法まで使えるようになるなんてね…』
ゴーレムを操っていた女の人の声。
それにこの声は似ているんだ。
あのアスタロトの声に。
口調は全然違うけど。
『今は私の代わりに妹が軍を指揮して、アスガルドに進軍している』
確かアスタロトは自分の代わりに妹がセフィロード軍を指揮していると言ってた。
『どうということはない。君が戦場にいることを知らなかったとは言え、伝承魔法を使用した妹に対する摂関だと考えてくれればいい』
伝承魔法を使用した妹。
ゴーレムを操っていたアスタロトの声に似ている女。
「さて、目が見えない貴方、私が誰なのか答えられるかしら…」
『ああ、妹というのは私の双子のアスタロテのことだ。私と違って実に女らしい妹だ。君が私の元に来たときには紹介してあげよう』
女の声がボクを試すかのように楽しげに響く。
答えはもう導き出せていた。
アスガルドに進軍していたセフィロードの指揮官。
伝承魔法ゴーレムの使い手。
アスタロト・ヴァンシュタインの双子の妹。
アスタロテ・ヴァンシュタイン。
「正解よ、全く姉様も酷いことするわね。いくら姉様のお気に入りに手を出したからと言って、まさか神の御業と言われた失われし魔法、よりにもよってスクリームを発動させるなんて本当にありえないわ」
アスタロテは何だか怒っているようだ。
そういえば、アスタロテも戦場にいたはずだ。
どうやってスクリームから逃れたんだろう。
そのとき、ボクの顔に吐息を感じる。
「貴方はわかりやすいわね。顔に出てるわよ。どうして生きてるんだろうってね」
ボクの顔を覗き込むように見てるんだろう。
なんだか馬鹿にされてる気がした。
「はいはい、教えてあげるわよ。空間転移の魔法で戦場から逃れたのよ」
空間転移。
ある場所から別の場所へ瞬間移動する闇属性の魔法。
確かにその魔法を使えば、簡単に逃げれるだろう。
「納得した?だったら私の手を掴みなさい。良いところに連れて行ってあげるわ」
ボクの手前に何かが差し出された感じがした。
アスタロテの手なんだろう。
良いところとは何だろうか。
もしかして、アスタロトの所なんだろうか。
アスタロテの妹なのだから。
「大丈夫よ。貴方を怖い姉様の所には連れて行かないから。それよりも貴方が背負ってる娘が危ないんじゃないの?」
そうだ、リーゼが危ないんだ。
早くリーゼを休ませる場所に連れて行かないと。
リーゼの命には代えられない。
アスタロテの言葉を信じるしかない。
どの道、ここままだと何もできない。
ボクはアスタロテの手を握る。
「安心しなさい。悪いようにはしないから」
ボクの周囲の空気が揺らめいていく。
こんな空気の流れは初めてだ。
一瞬足場が無くなり、体が浮いた感じがした。
ボクの足から血肉を踏んでる感触がしない。
固い地面に立っている。
それに死臭もしない。
鳥の鳴く声も羽虫が震える音もしない。
別の場所に瞬間移動したんだ。
これが空間転移なんだ。
ここはどこなんだろうか。
鳥がさえずる声が聞こえてくる。
それに木々が揺れる音。
空気が心地よく冷たい。
前方の広い範囲から空気の流れがこない。
目の前に大きな物体がある。
おそらく建物があるんだろう。
自然に囲まれている場所だ。
どこかの山奥なんだろうか。
「ここはアスガルドでもセフィロードでもない辺境の地、私の隠れ家よ」
目の前の建物はアスタロテの家なんだ。
「私の家にようこそ、歓迎するわ、エテルナ」
ボクの手を優しく握り、微笑むように声を出すアスタロテ。
こんな優しい声が出せるんだ。
けど、ゴーレムを操っていたときは怖い声を出していた。
いったいどっちが本当のアスタロテなんだろう。
それにどうしてボクとリーゼを助けたんだろうか。
色々とわかないことがあるけど、とりあえず今はリーゼを早く休ませるんだ。
分からないことを考えるのは後にしよう。
ボクはリーゼを休ませるためにアスタロテの家で過ごすことになった。