官渡の戦い
袁紹軍は官渡城を包囲した。
郭図が沮授を妨害しつづけた歴史では、この頃沮授は無理がたたって血を吐き、前線に立てなくなるのだが、この世界線では元気だ。
沮授は攻城戦でも無理をせず、長期戦を献策して、袁紹に採用された。
「土山と櫓を築きましょう」沮授は言った。
公孫瓚が籠もる易京城攻めでも使われた戦術だ。
高所から矢を射る戦法は、有効だった。
城壁に立つ曹操の兵を減らすことができた。
「発石車を使いましょう」と荀攸が提案したらしい。
曹操軍は投石で対抗し、櫓を砕き、土山の兵を殺した。
沮授は焦らなかった。
「地下道を掘るのです」と提案した。
袁紹軍はトンネルを掘って、官渡城を攻撃しようとした。
曹操軍はそれに対抗し、城からも掘り進んで地下戦闘を行い、袁紹軍を撃退した。
官渡の戦いは持久戦になった。
両軍の兵糧が減っていく。
袁紹は苦い顔をしたが、曹操はそれ以上につらかったはずだ。
籠城は気持ちが萎える。曹操は許都へ退却することを考え、荀彧に手紙を出したという。
許都へ引き、袁紹軍をおびき寄せ、一挙に滅ぼしたい。
兵糧も不足している。
許都で決戦すべきと思うが、どうか。
俺が持つ知識では、そういう内容であるはずだ。
荀彧は反対したようだ。
皇帝の御所を戦場にすべきではありません。
殿が兵糧で悩んでいるとき、敵も同様に苦しんでいます。
袁紹を叩くのはいまです。
官渡までわざわざやられに来てくれているのです。
殿があきらめなければ、勝つことができます。
袁紹陣営には内紛があるはずです。
必ず勝利の機会が来ます。
荀彧はそういう返事を書いたはずだ。
あいにくといまの袁紹軍に内紛はほとんどない。
最大の問題であった郭図と沮授の対立はないのだ。
許都から夏侯淵が兵糧を運んでくる。
勇気と能力のある夏侯淵は袁紹軍の包囲網を突破し、何度も官渡へ食糧を運搬し、城兵の命をつないだ。
さすがだ。
袁紹軍も一枚岩ではない。
許攸が曹操軍に投降する。
許攸が曹操にもたらす情報によって、袁紹軍は危地に陥るのだが、そのことも俺は知っている。




