白馬の戦い
紀元二百年、袁紹は四州を有していたが、曹操もまた四州を制している。
袁紹の版図は、冀州、青州、幽州、幷州。
自らは冀州牧となり、長男の袁譚を青州刺史、次男の袁煕を幽州刺史、甥の高幹を幷州刺史として治めている。
お気に入りの末子袁尚は身近に住まわせている。
曹操の勢力圏は、司隸、豫州、兗州、徐州。
曹操は兗州牧になっている。
彼の本拠地は豫州の許都だが、その牧は劉備だった。これは名ばかりのものである。
徐州は長らく戦場だったが、劉備を追い払い、曹操の版図となっている。
こうして見ると、袁紹と曹操の勢力は拮抗しているようだが、その動員力には大きな差がついている。
両雄が激突した天下分け目の戦い、官渡の戦いでの曹操の兵力はわずか五万で、袁紹は圧倒的な三十万を動員した。
常識的に考えて、普通に戦えば、袁紹が勝つ。
曹操は、指揮しやすい兵力の上限は五万という考えを持っていたようだ。
持説に従い、精鋭五万で戦うことにした。しかし、強大な袁紹と戦うには、あまりにも少なすぎる。
司隸や徐州は支配したばかりで、徴兵できなかったという事情もあって、曹操は大兵力を動員することができなかったのだ。
袁紹は華北を支配してからの期間が長い。
五十万を動員できる実力があったという説もある。
袁紹の兵力は相当に大きかった。
両軍の指揮官はどんな人物だったか。
総大将曹操のもと、軍師荀攸がいて、武将としては曹洪、曹仁、于禁、李典、楽進、徐晃、張遼ら錚々たる顔ぶれが並んでいる。
徐州で劉備とはぐれた関羽が、張遼の隊にいる。
袁紹側には都督の沮授、郭図、淳于瓊がいて、武将としては顔良、文醜、張郃、高覧、許攸らがいる。
田豊がいないのが寂しいが、宿敵公孫瓚軍を撃ち破った綺羅星のごとき将軍たちである。
曹操に敗れ、徐州から逃れてきた客将の劉備も、このときは袁紹に従っている。
官渡は司隸河南尹の西部にある。
そこから官渡水、濮水を渡って北へ進むと、黄河南岸の兗州東郡白馬に至る。
黄河を越えると、袁紹の支配地の一部、冀州魏郡である。
曹操軍は官渡城に集結する。
曹操と荀攸は作戦を打ち合わせた。
「袁紹の領土を攻撃する構えを見せましょう。白馬に進出します」
「決戦の地はそこか」
「敵は大軍です。一挙に殲滅するのはむずかしい。白馬で敵兵を削り、敵を漸減しながら官渡に退いて、粘り強く戦いましょう」
「袁紹は短期決戦を欲しているらしい。こちらは長期戦をめざすか」
そんな作戦を立てたらしい。
曹操軍は白馬に進み、布陣する。
袁紹軍は鄴城から出陣し、南下して黄河北岸の魏郡黎陽まで進んだ。
対岸に白馬がある。
黄河を挟んで、両軍は対峙した。
「黎陽に曹操軍を引き込んで包囲するのが上策です。じっくりと戦いましょう」と沮授は提案した。
「一気に白馬を攻撃することこそ最善の作戦です」と郭図が言うはずだが、この世界線では俺が郭図になっている。
そんなことをしたら、白馬の戦いで袁紹が敗れることを知っている。
前の世界線では、郭図、淳于瓊、顔良が袁紹軍の先鋒として黄河を渡るが、「後方を攪乱して渡河を遅らせ、半渡に乗じる」という荀攸の作戦が功を奏して、袁紹先鋒軍は大敗するのだ。
顔良は関羽に討たれることになる。
青龍偃月刀がぶうんと唸り、顔良の頭部を吹き飛ばす。
指揮官を失った顔良隊は、曹操軍に蹂躙される。
三国志における関羽の見せ場だ。
ここから袁紹のつまずきが始まる。
俺が沮授に反対しなければ、白馬の戦いとそれにつづく官渡の戦いの帰趨は変わるだろう。
俺は沮授に賛成し、袁紹を勝たせるべきだろうか。
袁紹が曹操に勝てば、歴史は大きく変わる。
三国時代は到来せず、上手くやれば袁紹が天下を統一するかもしれない。
それほど紀元二百年の時点での袁紹は強大だ。
最大の兵力を有している。
曹操の支配地域を呑み込めば、中国統一が見えてくる。
だが、袁紹を勝たせていいのだろうか。
袁紹に曹操ほどの包容力、政治力、軍事的才能があるだろうか。
曹操亡き後に天下を主導する司馬懿ほどの知略、忍耐力、構想力はあるだろうか。
ないだろう。袁紹はそれほどの器ではない。
だが、三国志の知識を持っている俺が協力すれば、袁紹は勝てるかもしれない。
俺は悩んだ。
袁紹の軍師のひとり、郭図に転生したが、俺は袁紹を勝たせていいのだろうか。




