郭図と沮授
公孫瓚を倒し、四州を平定した袁紹陣営では、対曹操戦略で論争が起きた。
沮授と田豊は持久戦を主張した。
郭図と審配は短期決戦派である。
「官渡に城が築かれています。張繡、呂布、劉備との戦いにも決着がつき、曹操には余裕があります。短期決戦の機は過ぎ去りました」沮授は言う。
「いまこそ速攻の機会です。四州から動員できるこちらの兵力は、曹操軍を圧倒できるほど大きいです。官渡など一気に揉みつぶし、そのまま許都を急襲しましょう」郭図は言う。
袁紹は、郭図らの急戦策に乗ることにした。
威勢のいい作戦が気に入った。公孫瓚との長かった戦いに倦み、さっさとけりをつけたくなったという面もあった。
曹操との決戦の前に郭図は、「監軍の権力は大きすぎます」と袁紹に讒言した。
郭図は、沮授を目のかたきにしている。
郭図を重用する袁紹には、人を見る目がないと言わざるを得ない。
沮授は都督に落とされた。袁紹軍は、沮授、郭図、淳于瓊の三都督体制となった。
短期決戦の準備を進める袁紹を、田豊は諫めつづけた。
「おまえの言葉は、軍の士気を損なう」と袁紹は怒り、田豊は投獄されてしまう。
曹操は諜報により、沮授の軍権が落ち、田豊が牢に入ったことを知った。
「袁紹は自らを押しあげてくれた者を捨てようとしている」と荀攸、荀彧に向かって言ったらしい。
官渡城を築城した荀攸は、袁紹との決戦に軍師として従軍することが決まっている。
荀彧は許都の留守を預かることになっている。
この頃、俺は郭図になっていることに気づいた。
官渡の戦いの直前だった。




