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体育祭、言葉にならない声

 春の空は、やけに広い。

 四月に始まった新学期は、まだ教室の空気が馴染み切らないまま五月に差し掛かっていた。

 私の学校では、六月に入る前に体育祭が行われる。新しいクラスの親睦を深めるため――そんな建前の下に、準備は容赦なく進んでいった。


 クラスメイトたちは、リレーのオーダーや応援の出し物、装飾の看板づくりに、毎日賑やかに声を飛ばし合っていた。

 けれど、私はその輪に上手く入れなかった。

 もともと、喋るのは得意じゃない。

 感情を言葉にするのも、笑って応えるのも、苦手だった。

 ただ「陸上部だから」という理由で、気づけばクラスのリレー選手に決められていた。

 “澪なら速いでしょ”“頼むよエース”――そんな言葉が次々に飛んでくるたび、心がざわついた。


 ……私が走るのは、自分のためだ。

 みんなを背負えるほど強くなんてない。

 だけどそれを言葉にすることができなくて、ただ曖昧に頷くしかなかった。



「澪、顔、死んでる」


 放課後、陸上部のトラックでスパイクを履き替えていると、美優が声をかけてきた。

 彼女はいつものように軽口を叩きながらも、目だけは私の心を見透かすみたいに真剣だ。


「体育祭のリレーでしょ? 澪なら大丈夫だって。あんたが本気出したら、あのクラスには誰も敵わないんだからさ」


「……でも」


 喉まで出かかった言葉は、風に散る。

 “勝ちたい”とか“責任が重い”とか、色んな気持ちが混じって、結局うまく形にならない。

 美優は呆れたように肩をすくめ、私の背中をぱしんと叩いた。


「わかってる。あんたが言葉にできないの、昔からでしょ。でも、走りで見せればいいんだよ。あんたはそうやって生きてきたじゃん」


 その一言に、胸がじんと熱くなる。

 私は本当に、彼女に救われてばかりだ。



 体育祭当日。

 五月の強い日差しがグラウンドに降り注ぎ、白線がまぶしく照らされる。

 リレーが近づくにつれて、胸の鼓動が速くなった。


「高城、頼むぞ!」

「アンカーは任せた!」


 クラスメイトの声が、背中に重くのしかかる。

 私はただ、スタートラインに立ち、深呼吸した。


 ……言葉にはできない。

 でも、私はここにいる。

 走ることで、それを示す。


 バトンを受け取った瞬間、世界が切り替わる。

 視界は一直線にゴールだけを映し、風が頬を切り裂いていく。

 観客の声も、仲間の叫びも、何もかも遠ざかる。

 ただ走る。

 速く、強く。

 私の全てを、今、この瞬間に叩きつける。


 ゴールテープを切った時、耳がじんと鳴っていた。

 歓声が押し寄せ、仲間が駆け寄ってきて肩を叩いた。

 「やった!」「高城すげえ!ぐんぐん差が広がっていくんだもんな!」――そんな声が飛ぶ。


 でも私は、ただうつむいたまま、胸の奥に渦巻く感情を持て余していた。


 “勝てて嬉しい”だけじゃない。

 “応えられて安心した”だけでもない。

 もっと複雑で、温かくて、涙が出そうになるような――そんな気持ち。


 上手く言えない。

 でも、それは確かに“私自身の気持ち”だった。


 言葉が出てこない私の代わりに、美優が笑って肩を組んでくれる。

「ほら、顔上げなよ。……澪、ちゃんと届いてたよ。あんたの走り」


 私は小さく息を吸い、夕日の中で目を閉じた。

 言葉にできない感情が、少しだけ形を持った気がした。

 “ここにいていいんだ”――そんな実感とともに。

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