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目が泳ぐ

翌朝、教室に入った瞬間から、美優の視線が刺さっていた。


 「あれ? 昨日、部活後ってすぐ帰った?」


 「……いや、ちょっと寄り道」


 「ふぅん?」


 問い詰めるような目が、じわじわとにじり寄ってくる。

 視線を逸らすと、美優はにやっと笑った。


 「ねえ、顔赤い。なんかあったでしょ、絶対」

 「なにも。暑いだけ」


 「澪が“ちょっと寄り道”って言うときは、だいたい何かあるんだよ。……誰かと会ってた?」


 言葉に詰まって、水筒のフタを開けるふりをした。

 なのに、美優はさらに近寄ってきて、小声で囁く。


 「……まさか、彼氏できた?」


 「違う!」


 思わず大声が出た。数人がこちらをちらっと見る。


 「……マジで違うから。そういうんじゃない」


 「そういうんじゃない、ってことは……“何か”はあったってことじゃん」


 返す言葉が見つからない。

 だから私は、ごまかすように教科書を出しはじめた。


 美優には悪いけど……まだ、誰にも話したくなかった。


 ――だって、自分でもまだ整理できてないのに。



 放課後のトラックは、風が強かった。


 スパイクを履き替えて、軽くアップを始める。

 ピッチを整えながら、心のどこかで、今日も“あの部屋”のことを考えていた。


 ――あの絵、どうなってるんだろう。


 昨日、下書きの輪郭だけをチラッと見ただけ。

 なのに、それだけで心がざわついた。


 私の姿勢も、目も、ちゃんとそこに“あった”。

 見られてる、描かれてるって実感が、じわじわ残ってる。


 それは、練習中のフォームチェックとはまったく違っていた。


 「澪、次400×3いくぞー!」


 顧問の声に、思考が切り替わる。


 走らなきゃ。

 集中しなきゃ。


 でも、ピストルの音と同時に走り出しても、

 いつものようにスイッチが切り替わらなかった。


 ふと、スタートの瞬間に感じた“見られてる感覚”が蘇った。


 佐伯先生の視線。

 無言の観察。

 描かれる自分。


 ――変だな、私。

 こんなにも誰かの目を気にしてるなんて。


 でも、不快じゃなかった。


 むしろ、どこかで期待してる。

 どんな絵になるんだろう。

 自分でも知らない“私”が、そこに映っていたら――


 ……そのとき、私は、初めて自分の未来が少しだけ見たくなった気がした。



 練習が終わって帰り支度をしていたとき、美優が隣にやってきた。


 「今日さ、美術室の前で佐伯先生と話してなかった?」


 「えっ」


 「遠くからだったけど、澪の姿見えた。……ほら、やっぱり何かあるでしょ」


 「……なんにもないよ。ただ、ちょっと、モデル頼まれて」


 「モデル⁉」


 声が大きい、美優。


 「声、でかい。……なんか、先生の制作で必要なんだって」


 「え~! 美術部でもないのに、モデル? っていうか、それってもう――青春じゃん?」


 からかわれてるのはわかってるけど、否定もできなかった。

 なぜなら、自分のなかでその言葉を少しだけ肯定してしまっていたから。


 ――青春、か。


 陸上にすべてをかけてきた私にとって、

 それは“別の世界”の話だと思っていた。


 でも、今は。

 あの人の筆の先にいる私が、走ってるときとは違う感情を持ってる気がする。


 それが何なのか、まだ言葉にはできないけれど。



 次の日も、佐伯先生は「完成までもう少しかかる」と言った。


 私はまたモデルとして、部活後に立った。

 昨日よりも、少しだけ落ち着いて立てた気がした。


 先生は絵に集中していて、私も無言のまま、ただ立っていた。


 けれど、その沈黙が、居心地が悪くなかった。

 走ってるときとは別の静けさ。

 誰にも伝えたことのない感情が、ほんの少しずつ、先生の手のなかで形になっていく気がしていた。


 ――もうすぐ完成。


 そう思うと、なぜだろう。

 期待と同時に、胸の奥が、少しだけ怖くなった。


 完成したとき、私はどんな“自分”を見せられるんだろう。



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