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思い出のカナリーイエロー

作者: 海山 里志

 運命というものは本当にあるのだと思う。私、時告宿里ときつげやどりがゴールデンウィークに陸奥横浜に菜の花畑を見に行こうと思ったのも偶然だ。新幹線に揺られ、ローカル線に揺られ、バスに揺られ、たどり着いたその場所は、パンフレットで見るよりずっと鮮烈な、黄色い絨毯だった。

 夢中になって写真を撮っていると、視界の端をひらりと何かが横切った。顔を向けると、道の端に、菜の花に負けず劣らず鮮やかな、カナリーイエローのハンカチが落ちていた。その先に目を向けると、落とし物に気付いていないのだろうか、立ち去る女性の後ろ姿があった。

「すみません、これ落としませんでしたか?」

 私が声をかけると、彼女は振り向き、私の手にあるハンカチに目を向ける。やがて彼女は目を丸くした後に、はにかんだ。

「あ、すみません。ありがとうございます」

「いえいえ」

 互いに軽く礼を交わして、女性は再び立ち去った。私は改めて菜の花畑の写真を撮る。

 その時はそれっきりだと思っていた。だが、袖振り合うも他生の縁とでも言うのだろうか、その女性とはすぐに再会することとなった。

 昼食をとりに近くの食堂に入ったのだが、ゴールデンウィークということで中はごった返していた。記名台には「相席にご協力ください」との貼り紙があった。この盛況ぶりなら仕方ないだろう。私は名前を書いて待つことにした。

 回転が良いのかさほど待たずに店の中へと招かれた。席に着きメニューを見ると、ホタテフライ丼がおすすめとあった。私は迷わずそれを注文する。

「お客さま、相席にご協力ください!」

 店員に声を掛けられ、「分かりました」と私は答える。

「よろしくお願いします」

 かけられた声に顔を上げると、なんと先ほどの女性ではないか。不思議な偶然もあるものだと思いつつ、「どうぞ」と答える。

 さて、よくよく彼女を見ると、かなりの美人である。切れ長の目、やや高い鼻、立体感のある唇、透明感のある肌、濡れ羽色の髪……。そしてそれらの特徴は、ある女子を想起させ、胸の奥をチクリと刺した。

「あの……!」

 彼女の言葉にはっとする。ついつい見すぎていただろうか。

「出身はどちらなんですか?」

 彼女は尋ねる。気まずい沈黙を破るための雑談だろう――そう思って何も考えず答えた。

「富山です。でも今は東京の方の大学に進学しています」

「富山なんですか? 私もです!」

 その答えに胸が高鳴った。そして何よりその明るい微笑みが記憶を呼び覚ました。私は尋ねずにはいられなかった。

「よかったら、出身高校、教えてもらえませんか?」

「せっかくですし、せーので言いませんか?」

 彼女はいたずらっぽく笑う。私の胸はより高鳴った。

 唾を飲み込む。そして彼女と目を合わせて言った。

「「せーのっ!」」

「「中部高校!」」

 お互いに目を丸くして、そして子供のようにはしゃいだ。

 彼女はハンカチを取り出す。先程私が拾ったハンカチだ。

「ではこのハンカチ、覚えていますか?」

 彼女は鮮烈なカナリーイエローのハンカチを手渡す。この色、この刺繍、この手触り……。どうして忘れられようか。それは胸に杭が打ち込まれたように、私の心を縛っていたのだから。


     *     *     *


 話は高校一年の頃に遡る。きっかけは単純だった。彼女、橘香織たちばなかおりとは、同じクラスで、席が隣。それだけ。

 最初は挨拶から始まり、次第にドラマや映画について雑談を交わすようになり、放課後一緒に勉強するようになり、いつしか昼休み一緒に抜けだし中庭で昼食をとるようになった。

 橘さんは美人だが、それ以上にまっすぐだった。そんな彼女に惹かれなかったといえば嘘になる。

 夏休みの近づいたある日、橘さんは帰り際私の目の前でハンカチを落とした。カナリーイエローのハンカチだ。彼女はそのまま去っていこうとした。私は呼び止めた。

「橘さん!」

「はい」

 彼女は立ち止まり、振り向く。私はハンカチを差し出した。

「これ、落としましたよ」

「ありがとう」

 橘さんはぎこちなく笑って受け取った。その瞳は何故か悲しげだった。その理由を尋ねることができないまま、彼女が去っていくのを見送ることしかできなかった。

 橘さんの転校を知ったのはその翌日のことだった。ショックだった。

 自分の気持ちは自覚していた。だが橘さんの気持ちはどうか。そして遠距離恋愛という形で彼女を縛ってしまうことが、はたして彼女のためになるのだろうか。

 その答えが出せないまま、とうとう終業式の日を迎えてしまった。放課後彼女は言った。

「ありがとう。時告くんのおかげで楽しかった」

「うん、私も。元気でな」

 私が返すと、橘さんは寂しそうな顔をした。それでも彼女は笑顔を作る。

「高校生のうちはお互い忙しいだろうしお金もないだろうけどさ、大学生になったら、会えたら会おうよ。はい、約束」

 橘さんは小指を差し出した。ガラケーがまだ高価だったころの話である。まだお互いに連絡手段なんてない。それでも私は橘さんと指切りを交わした。一縷の望みをかけて。

「それじゃあね! お互い大学受験頑張ろう!」

 彼女は拳を高くつき上げ、去っていった。それが彼女の姿を見た最後だった。

 女性が男性の目の前でハンカチを落とす意味を知ったのは、夏休みに入ってからのことだった。心に杭が打たれたのは、その日からのことだった。


     *     *     *


 そしてそのハンカチが今私の手の中にある。私は笑顔で答えた。

「覚えているさ。覚えているとも! 橘香織さん、会いたかった!」

「私もよ、時告宿里くん!」

 興奮のあまり立ち上がり、抱き合おうとしたその時。

「お待たせいたしました! ホタテフライ丼になります!」

 私と橘さんの目の前に、ホタテフライの卵とじの丼が置かれる。私たちは一瞬で冷静になって、なんだか可笑しくなって、二人で笑った。

「『幸福の黄色いハンカチ』って、本当にあるんだなぁ」

 橘さんと再会できた喜びをしみじみとかみしめながら私は言い、ハンカチを橘さんに返した。彼女はそのハンカチをぎゅっと握りしめる。

「うん、本当に……」

 そして私は箸をとり、橘さんにも手渡した。彼女は「ありがとう」と言って受け取る。思えば一緒にお昼を食べるのも高校一年以来だ。

「ねえ、こんな風に一緒にお昼を食べているとさ、高校時代を思い出さない?」

 橘さんに話しかけると、彼女は笑って答えた。

「そうね。懐かしいなぁ。大変だったけど、でも時告くんのおかげで楽しかった」

 この言葉を聞いて決心する。もう迷わない。もう躊躇わない。この出会いは偶然でも、約束されたものだから。

「橘さん。お昼食べ終わったら、私と一緒にもう一度、さっきの菜の花畑に行かない?」

 まっすぐ伝えたいのに、声が震えてしまう。それでも私の意図を察してくれたのか、橘さんは笑顔で頷いてくれた。


     *     *     *


 蒼天の下、黄色い菜の花畑に、橘さんのライムグリーンのワンピースはよく似合った。記憶にあった頃から少し大人になった彼女に、私は意を決して想いを告げる。

「橘香織さん、ずっと好きでした! 告白が遅れてごめんなさい。でも、この思いに偽りはないから。だから私と、付き合ってください!」

「遅いよ……。本当にもう、遅い……」

 その言葉を聞いて膝から崩れ落ちそうになる。まさかもう、橘さんには付き合ってる人がいるのか?

 だが、彼女の言葉には続きがあった。

「どれだけ待ちわびたと思ってるのよ……。本当にもう、遅いんだから……」

 橘さんの目から涙が零れた。そして彼女は私に勢いよく抱きついた。

「私も時告くんのことが好き! 高校時代からずっと好きだった! これからよろしく、宿里!」

 下の名前で呼ばれた。その事実が嬉しかった。だから私も抱き締め返して答えた。

「ああ、こちらこそよろしく、香織」

 私たちはお互いをそっと放した。香織はあのカナリーイエローのハンカチで、頬に煌めく涙滴を拭いた。この思い出のカナリーイエローは決して色褪せることはないだろう。

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