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みちのく転び切支丹  作者: 美祢林太郎
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8 雪国

8 雪国


 先を歩く佐和山さんの後を付いて、我々はこの地方でも今時珍しいかやぶき屋根の農家に入って行った。地元でも知る人ぞ知る隠れた料理の名店らしい。囲炉裏端に宴席が準備されていた。我々の貸し切りらしい。とても風情のあるところだ。

 ビールで乾杯し、早速ぼくは目の前の料理に箸を付けた。

「おっ、これは美味しいですね」とぼくが感激して言うと、佐和山さんが「それ、何だかわかりますか?」と訊いてきた。中に入っているのは豚のひき肉であることは間違いないが、それを包んでいる外側の柔らかい部分が見当がつかない。茄子のようだが、歯触りと味が全然違う。

「これはアケビです。アケビはご存知ですか?」

「ええ、あの蔓になる紫色の実でしょう。田舎で育ったので、子供の頃、秋になると山に行ってアケビを採って、中の白っぽくて甘い実を食べたものです。種ばっかりでしたけどね。しかし、これ外側の皮ですよね。とっても肉厚で大きいですね。うちの故郷にはこんなに立派なアケビはありませんでした」

「栽培ものですよ」

「えっ、アケビを栽培しているんですか?」

「ええ、ここらのスーパーに出荷していますからね。どうです、美味しいでしょう」

「このほろ苦さがたまりませんね。やみつきになりそうです。でも、東京では手に入りそうにありません」

「山形では中身を捨てて、外側を料理に使うんですよ。アケビは、この肉味噌詰め以外にも、アケビを適当な大きさに切ってバラ肉と味噌や醤油で炒めたりします。日本酒に合いますから、日本酒を注文しましょう。山形の日本酒はどれも美味しいですよ」

 運ばれてきた冷酒を口にすると、普段日本酒を飲まないぼくでも、そのさっぱりとした切れのある美味しさに驚いた。

「これは美味しいですね。料理とよく合いますよね」とぼくは楽しくなってきた。

ここでスズちゃんが口を開いた。

「私の家でも、秋になるとアケビがしょっちゅう食卓に出てくるんですよ。子供の頃は、このアケビの癖のある苦さが嫌いで、一口食べて、後は残したものです。今は食べられるようになりましたけど」

「それはもったいなかったね。でも、わかる気がするよ。子供の頃は山菜などの独特な苦みは受け付けなかったよね。この苦みがわかったら、大人になったということだ」

佐和山さんが「アケビだけでこんなに感激してもらって嬉しいです。これから色々な郷土料理が出てきますから、ゆっくり楽しんでください。日本酒は違う銘柄を頼みましょうね」と言って、注文してくれた。

「この小鉢に入ったきれいな紫色をしたおひたしはなんですか? 何かの花びらのようにも見えるんですけど」とぼくが訊くと、佐和山さんが「菊の花ですよ。これは食用菊として栽培しているもので、山形県ならどこのスーパーにも並んでいます。山形ではとってもポピュラーな食べ物です。この菊は「もってのほか」と呼ばれています」と教えてくれた。

「どうして「もってのほか」と呼ばれているんですか?」

「私も知らないですね。穂刈さん、知っています?」

「天皇家の家紋の菊の花を食べるのは「もってのほか」だとか、「もってのほか美味しい」という説があるらしいですが、はっきりしたことはわかっていないようです」とまだビールを呑んでいた穂刈さんが、説明文を読むようにぶっきら棒に説明してくれた。

「山形は、独自の食文化がありますね」

「ただの田舎料理ですよ。今はキノコのシーズンですから、東京では食べることのできない、地元ならではの珍しいキノコが出てくるはずですので、ゆっくりと楽しんでください。実は、ここの大将がキノコ採りの名人なのですよ。毎朝、山にキノコを採りに行っているそうなんですよ。大将、今日は何が採れたの」と佐和山さんが厨房にいる大将に声をかけた。大将から「ムラサキシメジ。あとで茶わん蒸しで出すから」と声がかかった。

 ぼくはムラサキシメジがどんなものかわからなかったが、大将に聞こえるように「それは楽しみだ。黒鷹町は本当にいいところですね」と大きな声を出した。

 佐和山さんが、「黒鷹にとって、今の時期が一年で一番良い季節かもしれませんね。でも、あとひと月もすると、雪が降ってきます」と言った。

「どれくらい積もるのですか」

「多いところは、2メートルくらい積もるんじゃないですかね」

「2メートル? 人間の背丈よりも高く積もるんだ」

「それでも、現代は除雪が完備されていますから、車を運転したり生活するのに困ったりすることはありません。でも、車がなかった時代は、冬の間中、雪に閉ざされて、家から出られなかったんじゃないでしょうか。隠れキリシタンのいた江戸時代は、大変な生活をしていたと思いますよ」

「そう言われれば、雪深い東北地方は、雪のない九州地方とは、隠れキリシタンの生活も必然的に違っていたでしょうからね」

「そう、そう。隠れキリシタンの中には、役人に追われて、雪山に逃げ込んだ者もいると私は考えているんですよ」と佐和山さんは自分の考えを披露した。

「雪山に入ったら、食べ物もなく、寒さで凍え死ぬだけじゃあないのですか?」

「いえ、木の葉が落ちた雪山は見晴らしがきいて、猟をするにはうってつけなのですよ。もちろんかんじきを履いてですけどね。ご存知だとは思いますが、狩猟採集の縄文文化が繁栄したのは落葉広葉樹林帯の東日本で、冬でも青々と葉っぱの茂る照葉樹林帯の西日本では栄えませんでした。冬の森の中は、暗くてじめじめした西日本よりも、いくら寒くても東日本の方がずっと明るくて生活しやすかったのですよ。東日本は今よりも寒かったけれど、雪は少なかったようですからね。大陸から稲作が入った西日本は、森を焼いて、稲作を始め、弥生時代に入ったそうなのです」

「そうだったのですか。すると、江戸時代の隠れキリシタンの子孫は、山の中で暮らす猟師かもしれないというわけですか? この説について、穂刈さんの考えはいかがですか?」

「そうですね。面白い説だと思いますね。もしかすると、山中には戦前まで猟師を生業とする隠れキリシタンがいたかもしれませんね。現代は、猟師専業の人はいませんから、他の職業についているはずです。でも、今では、そんなに山の奥に集落は残っていませんよね。一人で生きていくわけには行きませんからね」

「話は違うのですが、最近、町で密かに噂になっていることがあるんですよ」と佐和山さんが切り出した。

「それは何でしょうか?」

「寝たきりだった独居老人が、突然起き上がれるようになったというのです」

「ただ、病気が治って元気になっただけじゃないんですか」

「何年も寝ていたんですよ。その人が突然起き上がって一人で歩き出したというのです。周りの人が奇跡が起こったって言っているんです」

「まさか神様が現れて奇跡を起こした、というのではないでしょうね」

「そのまさかですよ」

「誰か神様を見た人はいるんですか」

「その老人が見たんですよ」

「見たと言っても、それは単なる幻覚なんじゃないでしょうか」

「はっきりと見たと断言しているんですから、簡単に否定することはないんじゃないですか。『ユニコーン』の編集者らしくないですよ。なにせ、その老人は正直者で通っていて、嘘などついたことのない人だそうですから」

「正直者だって幻を見ることはありますよ」

「このほかにも、最近、この町には色々と不思議なことが起こっています」

「『ユニコーン』の読者が好きそうな話ですね。それで具体的にはどんな話ですか」

「村のお堂に突如として十字架の染みが現れたのです」

「それは誰かが描いたか、それとも単なる雨か何かの染みじゃないんですかね。十字模様なんてありふれていますからね」

「十字架を馬鹿にしているんですか」。佐和山さんは少し語気を強めた。酔いが回ってきたのではないだろうか。

「馬鹿にはしていませんが、世の中に十字模様なんてどこにでもあるでしょう。あの棚だっていたるところに十字が組まれているじゃあありませんか」

「それなら、聖母マリアの像はどうですか。ある日、村のはずれの地蔵様の背中に聖母マリアの像が浮かんできたんですよ」

「誰かが彫ったのでしょう」

「いえ、そんなことはありませんよ。明日、見に行きましょう」

「行きましょう、行きましょう」

「明日は隠れキリシタンの遺跡を見て回ることにしましょう」

「それは楽しみですね。どんな遺跡があるのですか」

「まずは教会の跡ですね」

「どこらに教会はあったのですか?」

「険しい山の上です。昔はたくさんの人が巡礼するので、麓は大いに賑わったそうですよ。宿坊の跡まであるのですから」

「それは羽黒山や湯殿山などの山岳信仰のことであって、キリスト教とは別の話なんじゃないのですか」

「いえ、そんなことはありません。イエスが十字架を担いで登ったというゴルゴダの丘もありますからね」

「さすがにゴルゴダの丘は日本にはないでしょう」

「そりゃあ、本物はありませんよ。ゴルゴダの丘はエルサレムにありますからね。だから、それを模したものですよ」

「まさか、修験道がみんな隠れキリシタンだったと言うんじゃないでしょうね」

「キリシタンの修験道はみんな、仏教徒に転びました。子孫は誰も先祖がかつてキリシタンだったということを知りません。大きな声では言えませんが、過去の記憶は幕府の手によって消されたのです」

「何かその証拠はあるのですか」

「すべてが口伝ですので、書かれたものは何も残っていません」

「現在ではこの町の人たちは、ほとんどが仏教徒です。完全に転んでしまったのです。我々の先祖は弱かったのです。そんな転びキリシタンの末裔ですから、意志の強い血を引く者は誰一人としていません。裏切者の子孫なのです。我々は隠れキリシタンを売ってきました。卑怯者たちです。我々が恨むことができるとすれば、我々の先祖をキリシタンにした宣教師たちです。口車に乗ってキリシタンにさえならなければ、我々は転向するという後ろめたさを子々孫々にまで抱き続けなくてよかったのです。何と言っても、仲間たちまで売るようなことをしなくてすんだのです」

 佐和山さんは泣き上戸だった。穂刈さんもつられて泣き始めた。厨房からは、大将夫妻のさめざめと泣く声が聞こえてきた。

 ぼくは困って、「まあ、まあ、もう400年以上も前のことじゃないですか。そんな古いことを言ったら、私の祖先だってどんな罪深いことをしたかわかったものじゃないですよ。もうそうした過去のことは水に流すことですよ」と2人を慰めた。

「原罪を忘れてしまっては、宗教は成り立ちません」

「まあ、そうかも知れませんが、現代まで子孫が生き延びたってことは、それなりに先祖もみんな努力をしてきたのでしょうから、それでいいじゃあありませんか」

 それでも、2人はしばらくの間、泣き続け、ぼくとスズちゃんは黙って酒を呑んでいた。

 「ひと泣きしてすっきりしました。原罪って言葉、なかなか強烈でしょう」

「演技だったのですか?」

「町おこしも大変なんですよ。あの手この手です。これはですね、最上川で獲れた鮎です。熱いうちに食べてください。女将さんも協力ありがとうございます」と料理を運んできた大将の奥さんに佐和山さんは礼を言った。

 (佐和山さんは若いのになかなかしたたかな男だ。これは面白くなってきた)


   つづく

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