7 黒鷹町立郷土博物館
7 黒鷹町立郷土博物館
我々は車で山から下ると右手に「黒鷹町立郷土博物館」と大きな看板が掲げられている建物に着いた。「これ、ずいぶん立派な建物だけど、元は小学校か中学校だよね」とぼくが訊くと、スズちゃんが「小学校の廃校の跡地利用なんです」と教えてくれた。これが廃校だとは思えないほど、新しい建物だった。
「もったいない話ですよね。学校が新築されて5年も経たないうちに廃校ですよ。今は、博物館の他に、公民館として利用されているそうです。体育館や運動場は町民が利用できるそうです。子供たちだけでなく大人たちも土・日には体育館でバスケをやって、運動場では野球をしたりサッカーを楽しんでいるらしいです。それでもいかんせん住民が少ないので利用頻度が低くて、この建物を存続させるのに苦慮しているらしいですけどね。あっ、あれが佐和山さんじゃないですか?」
建物の中から若い男性がニコニコと笑顔を浮かべ、小走りでぼくたちのところへ近寄ってきた。
「予定より早く到着されましたね」
腕時計を見ると、午後1時半で約束の時間よりも30分早かった。
「思いのほか道路が空いていたもので」
「私、メールしました佐和山です。この度は、黒鷹町によくいらっしゃいました。風が冷たいですから、中の方に入りますか」
始めて顔を合わせた佐和山は、思っていたよりも実直そうな好青年だった。
我々は事務室に通され、若い女性がお茶を出してくれた。
「私、ここの郷土博物館で学芸員をしております穂刈澄香と申します。よろしくお願いします」と言って、我々に名刺を差し出してきたので、これを機に全員で名刺交換をした。
佐和山さんが「黒鷹町のみんなでお待ちしていますと書いたのに、二人だけですみません」と照れ臭そうに笑って詫びた。ぼくは「いえ、そんなことはありませんよ」と返した。すると、穂刈さんが「4時に町長にアポをとっていますけど」と言い、佐和山さんが「そうだったの? 役場はここから車ですぐなので、3時半頃にここを出ることにしましょう。それまで博物館の、とは言っても、小さな博物館ですが、見学してもらうことにしましょう」と言うと、スズちゃんは目の前のお茶を一気にぐびっと飲み干して、立ち上がった。
博物館は小学校の教室を利用していて、最初に古い農機具が陳列されているのが目についた。他には、紅花や養蚕で栄えた頃のパネルが並び、最上川の舟運や鮎漁などの展示があった。穂刈さんからこの地域の地理と歴史の概略を聴いた後、佐和山さんが「こちらへどうぞ」と小さなガラスケースの方を手招きした。中には古文書らしきものと、錆びついた古そうな十字架と一枚の銅板らしき物があった。
「これがですね、江戸時代初期に黒鷹にキリシタンがいたことを示す古文書なのです。町の重要文化財に指定されています。私、古文書は読めないんですけど、穂刈さん、そうだよね」と佐和山さんが、穂刈さんに助けを求めた。
「こちらの左にある古文書は、島原の乱を率いた天草四郎時貞から、この地に援軍の派遣を求めてきたものです。まだ、この古文書の詳しい鑑定がなされていないので、重要文化財には指定されていませんが、十中八九、本物です。実際、天草四郎は全国各地のキリシタンに蜂起や支援を求める文章を送ったことが知られています。これはその中の一通ということになりますね。つまり、ここ黒鷹は、遠く離れた九州の島原にも知られていたほどの有名な隠れキリシタンの里だったということですね」
穂刈さんの説明にスズちゃんは感激したみたいで、興奮して口を開いた。
「あの、あの、あの美少年の天草四郎ですか? これが天草四郎が書いた手紙なのですか?」
「いえいえ、天草四郎の直筆だとは考えていませんよ。おそらく代筆でしょう」
「代筆ですか・・・。それは残念ですね。でも、天草四郎が立てこもった原城から出されたものですよね」
「おそらくそうですね」
「ジンさん、聞きましたか。天草四郎ですよ。ブランドですよ。来てよかったじゃあないですか。この古文書、写真撮らせてもらっていいですか」
「それは構いませんけど」
「SNSに上げてもいいですか」
「どうぞ、どうぞ」
「ジンさん、これだけで『ユニコーン』に記事を載せられますよね」
「さあ、どうかな。全国に同じような文書があるって話だから」
「それじゃあ、こちらは何ですか」とスズちゃんは隣にあった銅板について穂刈さんに尋ねた。
「これは踏絵です」
「えっ、あの踏むに踏めない、でも踏んじゃった踏絵が、これですか? 私、本物の踏絵を見るの、初めてなんです」と言って、スズちゃんはショーケースのガラスにびたっと顔をくっつけた。
「何が描かれているかわからないのですが。ジンさん、わかります?」と言われて、ぼくもガラスに顔を近づけたが、何が描かれているか、というよりも彫られているかわからなかった。穂刈さんはショーケースの鍵を開けて、いつの間にか白い手袋をはめた手で踏絵を取り出して、ぼくたちに見せてくれた。
「これはですね。マリアとイエス・キリストの像がレリーフになっているんです。古いからはっきりとわからないでしょうけど、ここがマリアの顔で、その隣にキリストの顔がうっすらとですが、判別できますか?」
そう言われれば、二つの顔が見えてきたが、マリアの方はなんとなく観音様のように見える。これがマリア観音というものだろうか? それでも、マリアはまだいい。観音様だからありがたそうだ。だが、イエス・キリストだと言われている方は、仏像のようなパンチパーマのかかった丸い顔をしている。いくらなんでも、本物のイエスは、日本人のようにのっぺりしたふくよかな顔はしていないだろう。踏絵が日本製の仏教美術から影響を受けているとしても、せめてイエスはガンダーラ美術の仏像のように、面長で彫りの深い精悍な顔立ちをしておいて欲しかったと思う。それともみんなに踏まれてほりの深かったイエスの顔が潰れてへしゃがれてしまったのだろうか? それでも、当時のキリシタンはここにイエスを見ていたのだろう。
「これ、観音様と布袋様じゃないんですか?」とスズちゃんは素直だが恐ろしい感想を言った。二人が怒り出すかと思ったが、佐和山さんは「やっぱりそう見えますよね」と言ってほろ苦そうに笑った。
「もちろん江戸時代の日本人は、いや、当時の日本人のみならず世界中の人々がそうですが、イエスの顔を誰も見たことはありませんから、仏像に似せて踏絵を作ったことも十分に考えられますね。でも、布袋様だと言われたのは初めてですよ」と笑いながら穂刈さんが言った。
「しかたがないですよね。当時の東北の人たちは西洋人を見たことがないでしょうから」と、ぼくは自分の思い込みを口にした。すると穂刈さんが「いえいえ、宣教師のジュリアーノが、この地にたどり着いて布教したそうです。彼はみんなに慕われていたそうです。ですから西洋人の顔は知っていたはずです」と言った。
「それは明治以降の話ですか」
「いえ、徳川家康の時代の話です」
「古文書などの記録は残っているのですか」
「残っていません。口伝で伝わっているだけです」
「どんな伝承ですか」
「イエズス会のジュリアーノが九州に上陸して、京に上り、それから布教のためにこの地に来たと伝わっています。ここで、貧しい人たちの病気を治して、子供たちと一緒に唄を歌って遊んで慕われたそうです。他にも、教会や病院、学校まであったそうです」
「そんなにここでキリスト教が根付いたのですか」
「なにせ、天草四郎が援軍を要請するほどでしたから」
「これは想像していた以上のスケールで黒鷹の地にキリスト教が広まっていたんですね」
「ですから、禁教令が発令されてからのキリシタンに対する弾圧も凄まじかったのです」
「そりゃあ、そうでしょうね」
「明日、キリシタンを拷問した史跡にお連れしようと思っています」と佐和山さんが言った。
「そんなのが残っているのですか?」とぼくは訊いた。
「ええ。その場所で穴吊りの刑も行われたらしいんですよ」と佐和山さんがにんまり笑って答えた。
スズちゃんは嬉しそうに「あのキリシタンを一番苦しめたという穴吊りの刑の場所ですか? 心霊スポットになっていますか?」と嬉々として訊いた。ぼくの目には一瞬スズちゃんが舌なめずりをしたように見えた。ぼくはそんなスズちゃんがぼくは少し怖くなったが、拷問の跡ということに触手が動いた。記事にはもってこいだろう。スズちゃんが何気なく口にした心霊スポットというのもなかなかいい線を突いている。もう一息話を膨らませてほしいところだが、それは明日からの楽しみだ。
佐和山さんが「心霊スポットか・・・」と小声で独り言を言ったのをぼくは聞き逃さなかった。彼も心霊スポットという言葉で触手が動いたようだ。
「こちらの十字架は、生き埋めになったキリシタンが身に着けていたものだそうです。生き埋めの場所にも明日行きましょうね」の佐和山さんの言葉で、ぼくも今回の取材が充実したものになることを確信した。スズちゃんは「そこも心霊スポットですか?」と訊いたが、佐和山さんと穂刈さんは聞こえないふりをしているようだった。
「いま展示しているのはこれだけしかありませんが、最近もっとたくさんの十字架や踏絵、マリア観音像が発見されていますので、整理が終わったら、順番に展示していく予定になっています」と穂刈さんが嬉しそうにいった。
腕時計を覗いた佐和山さんが、「そろそろ役場に向かった方が良いんじゃないですかね。町長には約束通り4時に伺うと連絡しておきました」と言った。穂刈さんは佐和山さんの車に同乗し、ぼくらの車は彼らの車の後を付いて行った。5分もすると役場に着いた。
役場の中に入ると、佐和山さんが総務課の女性に「稲村さんと高野さんがいらっしゃいました」と告げ、ぼくたちは町長室に通された。
町長は大きな机の椅子から立ち上がり、ぼくたちに笑顔で「遠いところからよくいらっしゃいました」と言って、ぼくたちに名刺を配り、我々も名刺を渡した。町長が「ささ、お座りください」とソファに座るように促し、スズちゃんとぼくは町長と対座するように座った。佐和山さんと穂刈さんは、ぼくたちから少し離れて座った。
「ようこそ黒鷹町にいらっしゃいました。どこか見て回られましたか?」と町長が訊くと、佐和山さんは「今、着かれたばかりなので、博物館を少し見てもらっただけです」と応えた。
「そうですか。踏絵をご覧になりました。なかなかのものでしょう。あれだけのものは、九州の他はうちくらいしかないものだと、偉い学者さんが言ってました。うちの町は、これから隠れキリシタンで町おこしをして行こうと、佐和山君と穂刈君を中心に計画しているところです。黒鷹町はこれまでは春の桜くらいしか観光資源はありませんでしたが、これからは隠れキリシタンですよ。佐和山君が色々と面白い企画を立ててくれているので、これからは日本のみならず世界から観光客が来るようになりますよ。インバウンド、インバウンドですよ。それに爆買い、爆買いもですね。円安だから、西洋人なんかは黒鷹町にわんさかと巡礼に来るようになるんじゃないかな。佐和山君、日本テレビやフジテレビにもコンタクトをとったんだよな。わしにできることがあったら、何でも言ってくれ。先生方も、面白いアイデアがあったら何でも佐和山君や穂刈君に言ってください。町長の私が全面的にバックアップしていますので、隠れキリシタンをよろしくお願いします」と一方的に喋って、町長は立ち上がってぼくたちに手を出して、ぼくの手を両手で包み込むように大きく腕を上下して握手した。ぼくたち4人は町長室を後にした。役場の人たちがぼくたちを怪訝な目で見ているように感じた。
車に乗って、「そうとう町長は入れ込んでいますね。佐和山さんと穂刈さんも期待されているようですし」と言うと、佐和山さんはぼくの言葉を無視して「盆地は日が暮れるのが早いので、少し早いですが一席設けていますので、その店に行きましょう。ぼくの車についてきてください」と言った。スズちゃんは嬉しそうに彼の車の後を付いていった。
そう言えば、今夜、ぼくはどこに泊まるんだろう?
つづく