5 二度転ぶ
5 二度転ぶ
スズちゃんの隠れキリシタンのレクチャーがひと通り終わり、ぼくは窓の外を見た。「あの山は何?」とスズちゃんに訊くと、「那須連山じゃないですかね」と教えてくれた。彼女は外の景色に興味はないのか、それともぼくへのレクチャーが終わってほっとしたのか、ほどなくして眠りについた。天真爛漫な娘だ。腕時計を見ると、東京駅を出発して1時間くらい経っていた。
ぼくは窓の外の景色を見ながら、ボーっと子供の頃のことを考え始めた。ぼくは仕事にかまけて、何年もの間両親の住んでいる実家に帰ったことはないし、故郷に残っていたり全国にばらけた幼馴染と連絡をとったこともない。
ぼくは物心ついた頃から小学校低学年の頃まで、女の子たちとままごと遊びをするのが好きだった。粗野な男の子たちと遊ぶより可愛らしい女の子たちと遊ぶ方がずっと楽しかった。
幼稚園の頃はともかくとして、小学校低学年になってまで女の子たちと遊ぶ男の子は、同級生の中にぼくの他にもう一人いた。そのもう一人がひとみ君だった。そう、あの「かごめかごめ」の「鶴と亀が転んだ」のひとみ君だ。ぼくたちは休日になると、女の子の家に遊びに行って、彼女たちが自慢する小さな宝物に目を輝かせていた。それは着せ替え人形のハンドバッグだったり夜店で買った指輪で、今思えば本当に他愛のないものばかりだった。
小学校4年生になると、女の子たちと図書館で本を読んだり、教室の隅で音楽の話をするぼくとひとみ君は、クラスの男の子たちからからかわれるようになった。一緒に遊んでいた女の子たちは、そんな男の子たちを蹴散らして、ぼくたち二人を守ってくれた。この年頃は、男の子よりも女の子の方が体格が勝っているし、口も立って頼もしかった。
クラスの一部の悪ガキたちは、しつこく纏わりつく夏の蠅のように、女の子たちが追い払っても、すぐにぼくたちのところに舞い戻って来て、執拗にぼくたちをからかった。ぼくたちは遊ぶこともままならず、そのしつこさに辟易するようになっていった。かれらはぼくたちをからかうことが日課になっていた。今考えると、悪ガキたちはぼくたちと同じように女の子たちと遊びたかったのかもしれない。だけど、それが言い出せなかったのだろう。ぼくとひとみ君が羨ましかったに違いない。
そのうち悪ガキたちは、ぼくに照準を絞って攻撃を仕掛けてくるようになった。かれらは、ぼくが体格だけは大きいが、ひ弱なひとみ君よりも、ずっと気の小さいことを見透かしていたのだろう。子供は異常に嗅覚が鋭い。女の子とひとみ君のグループからぼくの引き剥がしを企むようになった。テレビで見た、ライオンの群れに狙われた小象のようなものだ。狙われたら、もはやなすすべがない。
悪ガキに「おとこ女」「おまえもおっぱいが膨らんできたぞ」「もう生理は始まったか」とみんなの前でからかわれ、ランドセルに給食の食べ残しを入れられたり、上履きに落書きをされたり、階段の上から突き落とされたり、校舎の裏で暴力を振るわれた。陰湿ないじめが毎日続いた。ぼくは先生や親に窮状を訴えることはできなかった。どうしてだか今でもわからない。
ぼくはいじめに段々耐えられなくなってきて、ある日を境にして、ぼくは女の子とひとみ君のグループから離れて、悪ガキたちと一緒に遊ぶようになった。
その日、体育の授業時間が始まる前だった。みんなが着替えを済ませた教室に職員室に呼ばれて戻って来たぼくが一人で着替えをしているところに、悪ガキたちが揃って入って来て、ぼくを5人で取り囲んだ。ぼくは殴られることを覚悟し震えた。誰も助けてくれる者はいない。グループのリーダーが、「これから一緒に遊んでやるから、こいつの服を踏め」と偉そうにぼくに命令した。それはひとみ君の服だった。
ぼくは、他の悪ガキによって床に乱暴に投げ捨てられたひとみ君の服を、上履きを履いたまま踏んづけた。リーダーは「もっとだ」と大声で怒鳴り、ぼくは黙って何度も踏んだ。悪ガキたちがにやにやと醜悪に笑っていた。
体育の時間が終わって、ひとみ君は踏みつけられて皺くちゃになった服を見て悲しい顔をしたが、それでも服を拾って汚れを払い、それを机の上に広げて両手で丁寧に伸ばし、着た。だけど皺がきれいになくなったわけではなかった。
教室に入って来た担任の先生がひとみ君に「その服、どうしたの?」と訊いたが、ひとみ君は「転んでしまったんです」と嘘をついた。先生はそれ以上何も言及しなかった。女の子たちがひとみ君のところに集まってきて慰めた。女の子たち全員が、彼女たちの輪の中に入ってこなかったぼくを見た。ぼくは机に座ったまま、凍ったように固くなって俯いていた。
放課後、ぼくは声を掛けられて悪ガキたちと一緒に帰った。そんなぼくを見送ったひとみ君の淋しそうな眼を今でもぼくは忘れられない。ぼくはひとみ君に申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、彼に土下座してでも謝りたかったが、表向きはそんな素振りを微塵もみせなかった。ひとみ君が1年生の時に「かごめかごめ」で唄ったように、ぼくは「転んだ」。ぼくの心に大雨が降った。
ひとみ君はその後も、それまでと同じように、ぼく抜きで女の子たちと仲良く遊んでいたが、そのうち自然と女の子たちの輪から離れ、一人で休憩時間を過ごすようになっていった。
ぼくは小学校高学年になると、父親の影響もあってか、野球のとりことなり、少年野球チームに入って、一生懸命に練習に励むようになった。ぼくが悪ガキと連れ立って歩いたのは、あの日から一ヶ月程度だった。でも、もはやひとみ君の元へは戻れなかった。ぼくはひとみ君を忘れようとして、野球にのめり込んでいった。
ぼくは中学校に入学して野球部に入部した。ぼくは生来の運動神経の良さもあってか、ぐんぐん上達していくのが自分でもわかった。2年生なると、ピッチャーで四番打者になった。それまで大会に出ると一回戦負けの弱小チームが、自分で言うのもなんだが、ぼくの活躍もあって、春の市の大会で優勝し、県大会で優勝した。ぼくは夏の県大会の二回戦で完全試合をして、県内だけでなく全国にも名を知られるようになった。この頃、確か球速は135キロを超えていた。
ぼくは練習に励めば励むほど筋肉が隆々となり、身長も3年生になった春には、175センチを超え、学校で一番背が高かった。近所のおばさんたちとすれ違えば、「将来はプロ野球の選手ね。楽しみにしているからね」とか「将来は大リーガーになるの? 今からサインをもらっておかなくっちゃあね」と言われた。その言葉が満更嘘には聞こえない程、ぼくは野球で図抜けた活躍をしていた。
2年生の夏を過ぎた頃から、全国の高校のスカウトがぼくの出場する試合を観に来るようになった。誰もが、ぼくが名門の高校野球チームに進学して、甲子園で活躍するのを当然のように想像していた。ぼくは大阪や横浜の高校の名門チームに誘われて、その高校の野球チームの練習を見学に行ったこともある。この頃のぼくは、何の疑いもなく、野球人生を歩むものだと思っていた。
学校内ではスーパースター扱いで、試合では女の子たちから黄色い声援を受け、バレンタインデーには段ボール箱に満杯になるほどのチョコレートが届けられた。ラブレターを手渡しで受け取ったことが何度もある。だけど、ぼくは野球の練習に忙しかったので、誰とも交際をすることはなかった。
そんな飛ぶ鳥を落とす勢いのぼくが、中学3年生の夏の県大会を目前に、交通事故にあった。激しい練習でよっぽど疲れが貯まっていたのだろう。日が暮れて、いつものように自転車で帰宅する途中、自転車を漕ぎながらぼくはうとうとと寝てしまった。道路の中央側にハンドルが切れ、後ろから来たトラックに轢かれた。ぼくは夏休みの間中入院した。足や腕の骨折は順調に治ったが、左肩の複雑骨折は、日常生活をこなすのには支障ないが、ピッチャーを続けのは無理だと医者から宣告された。ぼくはそんな医者の言葉をすんなりと受け入れることはできなかった。ぼくは周りの者が止めるほど、必死でリハビリに励んだ。しかし、肩の痛みは取れず、以前のようなスピードボールを投げることができなかった。全力で腕を振ると肩が激しく痛んで、しゃがみ込んだ。ぼくに寄せられる言葉は、励ましから同情に代わり、一か月もすると、声をかけてくる者は誰もいなくなった。ぼくの野球人生は終わった。
ぼくは家族や友だちにも表面上は平静を装い、人前で荒れることはなかった。ぼくは野球特待生として入学が決まっていた大阪の私立高校から内定が取り消され、地元の公立高校を一般受験して進学することになった。
中学3年の12月のクリスマスイブ、夜になってそれまで降っていた小雨がいつしかみぞれにかわっていた。ぼくは自転車を漕ぎながら傘を差して家に向かっていた。家に近づくと、街灯の下に誰かが傘も差さずにみぞれに濡れながら、ぽつんと一人で立っていた。ぼくはすぐにひとみ君だということがわかった。ぼくはひとみ君を見て胸が高鳴った。ひとみ君が小学生の時のように「ジン君」と声を掛けてきてくれた。ひとみ君の声が懐かしい。ぼくは自転車を停めた。
ひとみ君は、背が低く、華奢で、目が大きくて、色白で、きれいだ。中学に入学して、美術部に入り、部室で一人で絵ばかり描いていることを知っていた。ひとみ君が球場の片隅で幅広の帽子を被って、密かにぼくを応援してくれていたことも知っていた。ぼくには小学校のあの日以来、ひとみ君に負い目を感じて、彼の顔をまともに見ることができなくなっていた。だけど、ぼくはどんな時もひとみ君のことを忘れたことはない。
ぼくはひとみ君にできるだけ優しい声で「どうしたの?」と声をかけたが、自分の声があの少年の頃のような透き通った声ではなく、野太い声になっていることに軽い嫌悪感が湧いた。ぼくはもうあの頃のぼくではないことを知った。
ぼくは自転車から降りて、かれに傘を差しかけた。ひとみ君が「ぼく、明日この町を出て行くんだ」と言った。ぼくは驚いて、目に涙が溢れてきて、声を上げて泣き出しそうだった。ぼくの顔に冷たいみぞれが落ちてきた。
ぼくは冷静さを失い、「どうして町を出て行くんだよ」と慌てて訊いた。ひとみ君はぼくの顔を見ながら「両親が離婚して、ぼくはお母さんと一緒にお母さんの実家に引っ越すことになったんだ」と教えてくれた。
ぼくは傘を手から離して、いきなりひとみ君を抱いた。ひとみ君は驚いたようだった。自転車がガシャンという音を立てて倒れた。ぼくはひとみ君に口づけをしていた。涙を流しながら口づけをしていた。ひとみ君もか細い両腕をぼくの広い背に回し、ぼくの口づけを受け入れてくれた。ぼくたち二人はどのくらいの時間抱き合っていたのだろう。数十分だったかもしれないし、数秒だったかもしれない。ぼくにとって限りなく甘美な時間だった。このまま時間が止まって欲しいと思った。
すると、近くから「ジン君?」という女の子の声が聞こえた。その声ですぐにぼくは突き飛ばすようにしてひとみ君から離れた。振り向くと、同級生の女の子がいた。ぼくは「ああ」と低い声で素っ気なく答えた。女の子が近づいてきて、「みぞれに濡れて、どうしたの?」と訊かれたので、咄嗟に「自転車のチェーンがはずれて直していたんだ」と取り繕った。ひとみ君は傍で黙って俯いていた。
ぼくは地面に落ちた傘を拾い上げて、ひとみ君に傘を押し付けた。ひとみ君はぼくの目を見たが、ぼくは目をそらした。ぼくは自転車を引いて、女の子の差し出した傘をぼくが持って、二人で歩き出した。ぼくはひとみ君に「さようなら」と言ったのかどうかさえ覚えていない。ぼくは女の子にひとみ君と抱き合っていたところを見られたかどうかということだけが心配だった。だけど、彼女からそのことを訊かれはしなかったので、見られなかったのだろうと思い、少し安心した。ぼくは後ろを振り向かなかった。ぼくはもっとひとみ君と話したかったことがあったはずなのに・・・。
ぼくは歩いている間に女の子から、ぼくのことがずっと好きだったと告白され、クリスマスプレゼントを渡された。彼女はあそこでずっとぼくを待っていたんだ。その日からその女の子と付き合うようになった。
クリスマスイブの3日後に家に小さな宅配便が届いた。宅配便にはひとみ君の名前はあったが、彼の住所はどこにも書かれていなかった。包みを開いてみると、ぼくのダイナミックなピッチングフォームを描いた水彩画が額に入れられてあった。中に手紙は入っていなかった。今のぼくはこの絵のようにかっこよくないよな、と涙を流しながらこの絵をじっと見つめていた。
付き合い始めた彼女とは、一緒に初詣に行き、彼女はおみくじを引きながら「クリスマスイブに出会ったのは、運命的な出会いだよね」とぼくに体を寄せて夢見るように言った。受験勉強の合間に何度かデートをしたが、一ヶ月くらいして別れた。その間、ぼくは彼女がひとみ君との抱擁を知っているかどうかを密かに探っていた。その心配はなさそうだったが、万が一知っていたとしても、決して口外することがないように、保険のつもりで、彼女とキスをした。ぼくは卑劣漢だ。
ぼくは二度転んだ。
つづく